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空気は読むけど、信念を貫け。

2020年は、私のなかで「働き方改革」を起こした年だった。

まずは病棟看護師という働き方を卒業し、個人での仕事にも本格的に取り組める環境を整えた。

ひとつひとつが自分の意志で決めたことだから、これまで以上に日々が充実している。だけどそのぶん、今までにない悩みをたくさん抱えるようになった。

「悩み」と表現すると少しネガティブな印象だが、実際はそれはとてもよいことだと思っている。課題をひとつ解決するたびに、着実にステップアップしている実感がある。それは他人からは見えないくらいの、わずかな変化かもしれないけど。

私の日常に存在する「課題」のほとんどは、自分自身が「どう捉えるか」「どう反応するか」「どう考えるか」という観点でクリアできることがほとんどだ。

環境や他人など、本当に自分ではどうにもできないことに原因の100%があるような問題なんて、めったにない。

もっとこうだったらいい。
そうなるために、自分ができることはなんだろうか。

ありとあらゆることをこんな風に検証するとなるとやっぱり疲れるし、自分の未熟さを改めて思い知っては精神的に大ダメージをくらうことも多いけど笑、ただ若くて勢いだけがあった20代前半のときよりも、思考力がぐっと成長したと感じられる。

「自分の信念」をどこまで貫けるか。

どれだけ素晴らしい人でも、360°、全方位において完璧であるわけがない。

欠点がひとつもない人はいない。

つまり、足りない部分が0になることなんてないのは百も承知で、それでもできる限り人間性を高めたい。って、途方もなく矛盾していることに思えて、とても難しく感じる。

たとえば「人がなんといおうと気にしない」という特性は、ポジティブな見方をするとすごく自分の信念に正直で、強くてかっこいいイメージがあるけど、悪くいえば自分勝手で、他人や考え方の異なる人への敬意に欠け、チーム全体の生産性を下げる人になりうるかもしれない。

「自分を貫ける人」が賞賛される場合、それはたまたまその人が置かれた環境や能力がマッチしていて、周りのサポートとかもあって絶妙なバランスを取れていただけであって、全く違う状況の別の人がその「自分を貫く」部分だけを真似しても、同じような結果が出るとは限らない。

「人がなんといおうと気にしない」みたいなライフハックはよく聞くけど、それは「自分の進むべき道を決めるとき」とか、そういう場面で有効なだけであって、日常/社会生活においては周りの人がどう思うかとか、どう感じるかとかを気にできる思慮は持ち合わせていたほうがいいと私は思う。

「信念」と「協調性」

空気をちゃんと読む無難な人間は、大きく飛躍できないかもしれない。

ちょっと協調性に欠けるくらいの図太さがあるほうが、死ぬまでに自分の中にある能力をきちんと開放するチャンスを手にできるのかもしれない。

最近、こういうことをよく考える。

私は自分で自分のことを「常識的で空気を読む無難な人間である」と思っているけど、自分のことは客観的に見れないので、周囲からも同程度の認識を得ているかは実際のところわからない笑。ただ、あわよくばもうちょっと図太くなれたらいいのにと思っている。

信念をもたず、周りに流されてばっかりの人はあまり信頼できないし、かといって自分がいつも正しいと決めつけがちな頭の固い人は非常に残念だと思う。

自分を信じられる強さは必要だし、同時に自分は間違っているかもしれないと常に考えられる謙虚さは大事だ。

何事もバランスが必要。それは持って生まれたセンスかもしれない。でも、バランスをとってばかりでは、結局全てが「よくて平均点」の人間になってしまうのではないかと思ったりもする。

そこに普遍的な正解はないんだと思う。自分はどういう人間でありたいか、それを考えながら試行錯誤していくことでしか、その場で最も適切なバランスは見つからないだろう。

何も気にしなければ楽かもしれない。でもそれは思考停止の始まりだと思っている。

もっと思考力を鍛えていきたい。

「考える力」があれば、世の中の全てを知らなくても、明確な正解がなくても、その時点でいちばん納得がいく「ベストな選択」ができるようになるだろう。

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