無意識にある幸せのリミッター

半年前くらいから、うすうす気がついていたことがある。

それは、

仕事が落ち着くと、家庭(主に小学生の息子)で何かがすぐに起こる。

いつもストレスフルに仕事をしているのだけど、
ああ、今日は心静かに取り組めたな、と、少し嬉しくなっていると、

小学校の先生から電話がかかってきて、
あんな問題がある、こんなことができない、と、学校での息子の生活についていろんなことを言われる。

毎回、こんなわかりやすい引き寄せってないよな、と思う。

こういう出来事について、2通りの考え方ができると思っていて、

1つは、私は自分の幸せさに、あるリミッターを潜在的に設けていて、うまくいく流れになってくると、すぐに問題を意図的に起こして、自分のリミット以上に幸せにならないようにしている。

という説。

2つめは、私が心の余裕ができたことを息子が察知して、自分に向いてもらえるように、問題をあえて起こす

という説。

書いてて3つ目思いついた。
私は潜在的に、仕事のことだけじゃなくて家族のこともちゃんと向き合いたいと思っているので、仕事が落ち着くと家族のことが気になり始め、それで先生からの電話を引き寄せる

3つそれぞれ、捉え方の角度が違うと思っていたけど、書いてみると繋がっているようにも見える。

最初のリミッターについては、心当たりがある。

私はこんなに不幸なんです、人生で苦労してるんです、だから、○○できなくても、許してください、怒らないでください、見捨てないでください、と、無意識のところで思っている、と、今は解釈している。

なので、幸せのリミッターは、私にとって社会から追放されないための、たいせつなものになってしまってるのだ。

辛いと思いながら生きたくないと願っているのに、辛いを手放すことを怖がっている。

あれもこれもできない、ありのままの自分を受け入れて、他の人にどう思われてもいいって開き直れば、色々楽になりそうなんだけど、

代償として、社会やコミュニティから仲間はずれにされそうで、

無理して今のところに居続けようとしちゃうんだよな。

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