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真の記憶術シリーズ3.「記憶術」で無意識を意識化して「本当の自分」になる

「記憶術」をマスターすれば、もう自己肯定感で悩まないし最短距離で幸せになれる

 本当の自分ってなんだろう……。こう思ったことが一度もないという人は珍しいと思います。

 記憶術の観点から見ると、いわゆる「自分探し」がいつも失敗するのは、「あ、これが本当の自分だ」と思ったことがあっっとしても、それを記憶できないで忘れてしまうことに原因があるといえます。


人に喜ばれたことなど覚えていないともったいない

自己肯定感がまったくない、または、人から褒められたことがまったくない、という人は実は稀で、誰でもささいなことであれば、自分てまんざらでもないなと素直に自己肯定できたりとか、他人から本心で良く言われた経験はあります。

 つまり、私たちは「自分らしい」と自分で自己肯定的に思ったり「〇〇ちゃんらしい」と人から承認されたりしたときに、はっきりとそれを記憶できないでいるケースが多いわけです。

 だから、褒められた時にそれがどんなに些細な事であってもそれをしっかり記憶し、ネガティブなことはそれがどんなに深刻なことであっても、必要な反省をした後はきっぱり忘れることができれば、人は最大限幸せになります。

 ということは、「記憶術」を正しくマスターすることこそが、本当の意味で、そしてもっとも確実に幸せになれる最短ルートだと言えるわけです。

記憶力が弱い人は「無意識のうちに」という呪文で冤罪で死刑宣告だってありえる

 ここで、心理学的な観点からも「記憶」について考えてみるとさらに本当の記憶術をマスターすることが大切かが分かってきます。

「なぜ、あんなことを言ってしまったのだろう」
「どうしてあんなことをしたのだろう」
 と、自分自身の言動の意図がつかめずに困ることがある。
 そんな時に無意識を持ち出されると弱い。だれでも自分の言動の背後にある意図を意識しているわけではない。

「あなたのこの言動から察するに、あなたは無意識のうちにその人に対して、嫉妬心か批判的な気持ちか特定できませんが、なにか否定的な感情を抱いていたと思われるのですが、どうでしょうか」

 などと分析されると、なんだかそんな気がしてしまうものだ。
 しかし、うっかりそうした説明や解釈を受け入れてしまうと、元々何の悪意もなく言っていたことやしたことも、悪意をもってこいにやったことにされ、責任を問われかねない。(中略)

「無意識のうちにやったんだろう。証拠は上がっているんだ」
 と言われ続けると、自分ではやっていないという思いがあっても、
「まったく覚えがないのだが、もしかしたら無意識にやったのだろうか」といったふうに気持ちがぐらついたりする。

上掲書P94-95
強調はみこちゃん

 こういう経験は誰しもありますよね。自分はそうは思っていなかったけど、周りの雰囲気に押し切られて、最初は渋々だったのに、最後は何だか本当に自分が悪い、否定的な感情を持っていたから、こうやってややこしいことを引き起こして、みんなに迷惑をかけてしまった……。

 引用例では最後それが警察の取り調べの冤罪になっていますが、言い換えれば、同調圧力で自分が悪いかも……と間違った記憶を植え付けられたことのある人は、誰でも懲役15年や無期、あるいは死刑などの冤罪に将来見舞われる可能性が高いということにもなります。

正しい「記憶術」は受験暗記テクニックではなく、ひどい人生を避け、良い人生を送るための鍵中の鍵だ!

 というわけでまとめですが、本当の記憶術とはつまり、自分が自分であること、本当の自分であること、本当の自分になれるための鍵だと言えるでしょう。

 人に左右されない、確固たる自分を持ち、肯定的なことはしっかりと長く記憶し、否定的なことは必要な反省をした後は意識的に忘れること(マイナスの記憶術だと言える)こそが、人生を主体的に生きていくために最も必要なことだと言えそうです。

 本当の記憶術をマスターするということは、本当の自分を目指し、本当の自分を確立し、本当の自分で生きていくために必須だということでした。


 以上、「真の記憶術」シリーズを終わります(^-^)。


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