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【みこ宇宙論】ターミネーターの哲学的自我同一性が問題なのだよ!

 物理学の話が続いたので、みこちゃんのテリトリーの哲学方面にしばらく移動します。

 前回カレーラースが月に瞬間移動する話を書きましたが、人間もいずれ移動できるでしょう。その時に問題になるのが、移動した人間がちゃんと再生されるかということです。

 そう「再生」がテーマなのですね。これは、遺伝子よりももっとさらにそのメタ性の高い「情報」がちゃんと「保存」されるかということです。量子力学においてはこの「情報の保存」というのは、一般力学でいうエントロピーの第一法則、エネルギー保存の法則と同じレベルの大前提となります。

 情報が保存されていないと、成分だけ同じでも、同じ物体が「再生」されません。

 何でフロントガラスからにゅるりーーんと入ってきても、もとに戻るんだ!というあれ。あれがまさに量子力学的「再生」の瞬間です。

 T1000型が、旧タイプのT800ないし、T900に対して圧倒的に優位なのは、このシャノンの情報理論の量子力学化ともいえる、フォン・ノイマンの情報エントロピー理論が工学的に実現しているからです。シュワちゃんのT800型は、この量子力学的再生能力がまだ実用化されていないので、目ん玉は、自分で修理しないといけないわけですね。

 熱力学の第一法則が第二法則(エントロピー増大の法則)と強固に併存しています。壊れたら、人為的に手作業で戻す(エントロピーを減らす)わけです。コメント欄で註釈入れましたが、フォン・ノイマン情報理論ですと、量子力学場でエントロピーがマイナス(自動修復的に振る舞う)になります。

 数学が好きな方や、機械学習やっている方はこの記事どうぞ。下手な情報物理の教科書よりずっとよいと思います。

「再生」ができるということは、そこに情報のアイデンティティ、自我同一性があるということですよね。

 だから、一度壊れても、あのシニカルなT1000は再生します。再生したらシュワちゃんの味方になっているなどはなく、再生してもシュワちゃんの敵として再生します。

 さて、前置きが長くなりましたが、ここらで、哲学方面に旅をしてみましょう。

 哲学が好きな日本人なら全員読んでいるのが、この本です。

 この本とはもうみこちゃんも10年以上のお付き合いです。今までに3冊買いました(赤線で読めなくなるので)。歴代3冊を久しぶりに今、引っ張り出しています。

 冒頭に、こんな面白いことが書いてあります。

まず、次の状況を考えていただきたい。私は火星への遠隔輸送機の中にいる。スキャナーが私のすべての細胞の正確な状態を記録し、地球上の私の脳と身体を壊した後、その情報を火星に発信する。このメッセージが火星のレプリケーターに届くと、火星上の物質から私のものと寸分違わない脳と身体が作り出されるのである。このシステムが完璧に作動し、地球で暮らしてきた私と性質的に同一で心理的に継続した人物が火星上に作られたとき、その人物は必然的に私であろうか。その人物が私ではないという可能性もあるだろうか。

『転校生とブラックジャック』序章 火星に行った私は私か

 これは、昨日の記事のカレーライステレポーテーションと同じですね。

 違うのは、カレーライスには「意識」がないので、物体としてカレーが再現されていれば、それはカレーとして同一だ(情報の保存の原則を満たしている)ということになります。

 でも、人間の場合「意識」があるので、そう簡単に納得することはできませんよね。

 それがもっとも鮮明に出てくるシーンを著者の永井さんは見事に書き出しています(デレク・パーフィットの元ネタはありますが、永井さんはもっと本質的なものを取り出しています)。

 しばらく、火星に行った自分と、地球に行った自分が併存していると考えてみて下さい(これは量子テレポーテーションが完成されたときには、こういうことは実際に起きます。あと100年後かな?)。

 そして、その自分が火星の自分と電話で話をしています。地球のあなたは電話の途中、突然持病の心臓発作が起きて(電話したので量子もつれが解けた、デコヒーレンスが起きたのでしょうね)、あ、もう死ぬかなと思います。そのときに、死の恐怖はあるでしょうか。

 火星にも自分がいるから、死ぬのは怖くない。そう思うかもしれません。でも、心臓が張り裂けそうに痛くて、今度こそこの発作ですべてが終わりそうなのは、段々と意識がかすれていくことでもわかります。身体を持った自分は確かに死ぬのです。でも、火星にコピーがあるから、死ぬのは怖くないや。こう思えるかどうかです。

 ここで、大切なのは、地球のあなたが死んだからといって「あー助かった」って感じで、その時の死の恐怖にかられていたあなたの意識が、火星にジャンプして安堵する、ということはないのです。

 地球のあなたは文字通り身体が滅びると同時に意識も滅びます。

 でも、あなたのコピーは、火星にいるので死んだことにならない。そう思えるかどうかです。

 こう思える人はほとんどいないのではないでしょうか。だってその時、火星に自分がいることを確認する自分も消滅しているのですから。

肝心の火星で生きていることを確認できるあなたが消滅してしまう。
結局コピーがあっても死ぬことには変わりない。

 つまり、こう思えるということは、戦国武将が死ぬときに「俺の意志を受け継いで家康の命を取ってくれよ」と信頼する、自分のコピーともいえる、忠実な家来に自分の夢を託すのと何ら変わりがないからです。

 火星の自分に対して「あと、頑張って、俺の妻や娘を愛してくれよ」と言って、火星のあなたは「よっしゃまかせておけ」と言い「さあ、こころ置きなく死んでくれ」と言うでしょう。

 さて、そのときに心置きなく死ねるかどうか。死んだら意識はなくなります。だから、火星の自分が自分の最後の頼みの約束を破って、妻とソッコー離婚して愛人と再婚したり、娘を虐待したりしても、意識がないから悔しがることすらできません。

後の祭りだと思える自分すら消滅している
つまり、コピー作っても作らなくても同じだ

 でも、火星の自分は自分自身です。

 これでも、自我同一性がある、と言えるのでしょうか。

 火星の自分が、自分の願ったどおりのことをしてくれないかもしれない。そう思った瞬間に死の恐怖は、火星にコピーがあるかどうかにかかわらず生じてくるのは拒めません。

 スピリチュアルでよく語られる、転生とか前世とか来生がいんちきくさいのは、この哲学的な部分の、自我同一性の保存の難しさをまったく考えてない、自動的に引き継がれるとして、問題にすらしてないからです。今見てきたように、そんなに都合良くは行かない。

 意識が連続しているかどうか、それがどういう状態なのか、その意識の連続性は、こういうメカニズムで保証されています、というところをスピリチュアルはほとんど説明できずに、いきなり「霊」を持ち出してくるので、真剣にそういう事を考えたい人からは相手にされなくなってしまいます。

 霊が実在するかどうかは、議論しても無意味です。まったく問題ではないのです。あったとして、それを、誰がどうやって認識できるか、それが問題です。死んでも自分を同一である認識できる、反乱は起こさない、と哲学的に説明できたら、霊魂はあるということになるわけです。それはまだできないけど、霊魂は確かにある、というのは死を恐怖した小学生レベルの単なる思い込みです。

 霊があったとしても、自分が認識でき、かつ信頼できると確信できないのなら、それは火星にいて、死後に自分に反旗を翻す自分のコピーに過ぎません。自分の分身というまさに、霊的存在がいるけど、自分の死後に何するかわからないので、自分の霊じゃないですよね。

 霊は存在するかどうかが問題なのではなく、自分の霊が存在するかどうか、どうやってそれを認識できるのか、それだけ、が問題なのです。

世界に「霊的な存在がある」だから、いつかきっと自分にも霊魂が実感できる。」(A)この考え方が根底から倒錯的に間違っているのです。

 そして、そのことに気が付かない限り、霊魂を実感することは金輪際ありえません。一般化された「霊魂」を演繹的に実感するという順番では霊魂は認識不可能で、これは哲学で言う「独我論」として長年扱われている認識の構図、アポリアそのものです。

 霊魂を上記のような流れで理解しようとする人は、それと気が付かずに独我論に罠に見事にハマっているのです。まずはそこ(A)から抜けましょう。

 この、再生の自我同一性の問題がクリアできれば、もうすぐ量子力学によって、自分のコピーを作ることができるようになりますので、人間は、まじで分身としての不老不死を手に入れることができます。

 問題は、コピーした自分に、古い自分の「意識」が乗り移ることができるかどうかです。さらに問題は、そうでないとそれは、自分が死んだ瞬間、自分とは全く別の人格的行動を取るかもしれず、しかもそれを、あなたは監視できないことです。

 この巨大な溝を埋めるのは、スピリチュアルにできないのはもちろんのこと、量子力学でもできません。

 ここに、諸学の女王としての「哲学」がどうしても必要になってきます。どれだけ量子力学が進展しても、哲学は絶対になくなりません。なぜなら物質から物質を説明するという物理学では、この自我同一性の問題という人間存在にとって最も重要な部分はタッチできないからです。

 物質的な同一性は、物理学で確認できるのですが(地球の自分と火星の自分)、それを自分と認められるかどうか(本当に安心して死を託せるかどうか)、については永遠に哲学的な問題です。

 火星に自分を転送したときに、元の自分は死にます。そのときに、火星の自分が自分と同一だということになっていなかったら、せっかくコピーを作ったのにもかかわらず、むしろ正反対に、永遠の命を望んだのに、いますぐここで死ぬことを望んだことになるわけですね。

 永遠の命を手に入れようと思って量子テレポーテーションするのは、手術なんかしなければずっと生きていたかもしれないのに、思い切って外科手術をしたら失敗して命を落とした、というのと同じ構図です。しかも、自我同一性の確信がないまま手術をすることは、確率100%で手術が失敗することを希望したことにほかなりません。

 永遠の命を手に入れたい、宇宙とつながりたい、ということで、安易にスピリチュアルに走ってしまうのは、この絶対失敗する、やらなければそのまま生きていられたのに……という愚を犯すことになりかねません。それこそ自己責任ですけど、慎重にやった方が良いと思います。安易でないスピリチュアルもあると思いますから、信じる人(この文脈だと手術する医者に相当)を厳選する必要があるわけです。

 というわけで、この本はそのもっとも哲学が要請されるところに真正面から切り込んだ稀有な本ですので、しばらく読んでみたいと思います。
(^~^)

 最後に蛇足ですが、みこちゃんは、霊は実在していると確信しています。また、それを自分で自分の死後に監視する方法、新しい自分に乗り移る方法も知っています。もちろん、オカルトではありません。哲学的探究の末に見つけました。

みこちゃんのこころのつぶやき


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