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アメリカでのボランティア活動の記録

ノースカロライナ州で過ごした大学時代、様々なボランティア活動に参加し合計100時間以上(具体的な数字は100を超えてから記録なし)。
当時の動機は「人助けがしたい」という気持ちにまさって知らない世界への好奇心もあった。ここでこの活動をしなければ一生みれない世界かな・・・と。ボランティア活動に参加していたのは当時19歳~23歳の自分。

これまでどこにも記録してこなかったので自粛生活の今(2020年4月現在)、チャンスだと思い記憶がこれ以上薄れていく前に簡単にではあるが書き留める。写真や音声も残しておけばよかったと後悔・・・。

思い出せるだけあげてみる。
■オルタナティブスクール(不登校生徒等が通う学校)での学習指導
■ハリケーンカトリーナ後の片付け
■フードバンクでの作業(賞味期限切れスレスレの食べ物や訳アリ商品を集めてホームレスに届くようするなど)
■河川敷の掃除
■小学生への外来種植物をみつける自然教室指導(当時造園をやっていたので植物にくわしかった)
■老人ホームでの演奏会(ジャズクラブに入っていたため)
などなど

**<オルタナティブスクール>

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これは誰かに進められて授業の合間に行った記憶。
オルタナティブスクールで子供達に英語の指導をしてほしいと言われたのではじめは断った。
(だって、なぜ日本人の私が英語を母国語とするアメリカ人の学生に英語を指導できるのかって思ったから。普通そう思いますよね。)
ちなみにオルタナティブスクールとは通常の私立や公立の学校と違って独自の教育方針をもってひらかれている学校や不登校の生徒が通う学校である。

「大丈夫、行けばわかる。」といわれ到着したのはレンガ作りの平屋の建物。人種は9割が黒人、年齢は幅があると聞いていたけれどだいたい12歳くらいの子供達。
私に与えられた仕事は宿題の文章を見直し指導すること。
当時スマホあったらスクショさせてもらいたかったな~。
会話はもちろん英語でスムーズにできるんだけど、文章にストラクチャーなんてものが存在せず、スペルミスは多発だし、スラングそのまんまだし、主張があちらこちらいってたり、もしくは無い。トピックを全く無視した文章もあったり・・・。

正直「行けばわかるってこういうことか・・・」と頷けた。
多分日本人中学生の平均的な英作文のほうが上手い・・・。
とりあえず、
トピックを確認→
書いたものを音読させる→
何を書きたかったか確認する→
ストラクチャーを一緒につくる→
主張文を作る→
理由を書く
→まとめ・・・って流れでいきたかったんだけど、

ま~とにかく集中力ないし、音読してる途中で別の話題だしてくるしで大変だった。よく覚えてるのが一人の女の子が「東京って中国だっけ?」っていてきたこと。

ALTERNATIVE SCHOOLって種類は色々あるけれど、私が訪問したところは
家庭の事情とか、素行が悪くて普通の学校に通えない子供が集まる学校。
イメージと全然違くて

みんなすごく明るくてフレンドリーで
ありがとうって何回もいってくれて
また行きたいなーと思わせてくれる経験だった。。


ハリケーンカトリーナが残したもののお片付け

2005年夏、巨大なハリケーン直撃。
ニューオーリンズは冠水でたくさんの人が亡くなった。
ノースカロライナ州はルイジアナほどではないけど、南部の州なのでカトリーナの被害をうけている。

カトリーナが直撃したのは夜中で、直撃の前日はみんなで土嚢をはこんだりしていたのを覚えている。
それから夜は部屋で寝ないよう指導された。
「窓ガラスが割れるといけないから廊下で寝るように」ということらしい。
当時廊下で寝るほうが防犯的な意味でこわかったので無視して部屋でいつも通り就寝。

寝る前に結構雨風が強くなってきて、台風がきてるみたいなかんじ。
夜中起きることもなく、窓が割れることもなくぐっすり。

朝起きてみたら学校の敷地内を流れる川が氾濫していて道路も浸水。
道も枝や倒れた木だらけ。
水道も電気も止まってる。

いつもだったらカフェテリアに入る時、学生IDを機械に通すのだけど、
それもなし。音楽も流れていない。
お皿を洗うこともできないから使い捨てのお皿とフォーク。
給水車が池からくんできた水をバケツに入れて配給。

いつもと明らかに違うキャンパスの様子だったけれど、それ以上にルイジアナ州が大変なことになっているときいて友達が何人もボランティアに出発したのを覚えている。こういう時アメリカの大学生って行動力すごいな、って感心した。日本の大震災の時もいち早くボランティアに駆けつけている人をニュースでみて本当に尊敬と感謝の気持ちだった。
私は同州に留まったがしばらくは木や枝の片付けをひたすらやっていた気がする。
(まず車が通れるように。この機会にチェーンソーの資格もとった)

約2年後に友達とフロリダのキー半島でキャンプしたとき、島の少し荒れてる部分をみつけて友達がハリケーンカトリーナの時の爪痕だよって教えてくれた。(この時のキャンプの思い出もまた書きたいな~)


フードバンクでの作業


ここでの作業とかスタッフとのやり取りはあまり記憶がないのだけれど、(こういうことがあるからもっと早く記録に残しておけばよかったと思う・・・。)とにかくただっぴろい倉庫に長テーブルがならんでいて、段ボールとたくさんの缶詰やスーパーでよく見る安いパンなどが大量に置かれていた。

私の仕事はそこで段ボールごとにバランスよく食料を詰めていく作業。
もちろん中には食べたことや見たことのないモノもあって「これは?」など聞きながら箱詰めしないといけないものもあった。

今思えば、フードバンクについてもっと聴けることがあったのだけれど、当時はとにかくは箱詰めに必死だった。アメリカには飢えている人がたくさんいるという事実がある。ホームレスや身寄りのない老人や貧しい子供たち。
教会が場所を提供しそこで食事させたり(教会で配膳のボランティアもした)、こうして地域のボランティアや学生が助けている。アメリカは政治が救ってやれない人が多い分、地域のコミュニーティーがその分やさしい。フードバンクという非営利団体も規模もかなりのものだし、こうした巨大組織がしっかり動いているというのは自身にとっても新しい経験と発見だった。

(ゴミがほとんどない)河川敷の掃除

河川敷の掃除にかんして。
これは年に一度丸一日かけて大学生全員が参加するWORK DAYというものがあり、授業もこの日は休講。
全員1日をボランティアして過ごすという日である。
花を植えたり、施設の掃除をしたり、色々選べるのだが、私は河川敷の掃除を選んだ。

アパラチア山脈内にあるキャンパスだったので川といっても
とてもきれいでゴミなんてめったにみない。
何をきれいにするかというと、外来種の駆除がメインだった。

その侵略的外来種とは、なんと日本からやってきたKUZU.
発音は「kazu-」。この日本からやってきた侵略者がアメリカ古来から生息している植物や虫を殺してしまっているのだ。除草にかかる費用は毎年600万ドルともいわれていて、このクズを取り除く作業を丸一日かけておこなった。(正確には年に数回この作業を手伝っている)
「うちのホームランドからごめんねー」なんて冗談いいながらも参加した。
造園の上司もこのKUZUを話題に出すことが多く、頭を悩ませていた植物でもあった。繁殖力もあって、葉も大きいから日光も遮ってしまう。
アメリカ東南部で大きな葉の蔓がはびこっていたら、クズかもしれませんよ。


小学生の自然教室

その地古来からある植物をNative Plantsと呼び、外来種をinvasive plants(侵略植物)などと呼ぶのが一般的。

一見ただの雑草にみえても、その中にはこのNativeとInvasiveが紛れていたりする。自然の為にはできるだけNativeを残してInvasiveを除去するのが理想的である。
Native植物はそこにある土壌やそこに住む虫をキープするのでそこから小動物、さらには大型の動物、と生態系のバランスを保つのに役立っている。
ところが, 外来種というものはそのNativeを殺してしまうのだ。
人間は別の土地でうまくやれても、植物はそうはいかない。

日本では「ススキの生える場所を奪うやつ」「アレルギーの原因となる」「土壌を悪くする」などといわれ嫌われがちな「アワダチソウ」という植物を秋になるといたるところでみかけるが(小さな黄色い花をさかせる背の高い植物)、そんな日本では外来種として嫌われる植物もアメリカではgoldenrodという愛称で親しまれるNative Grassである。
このGoldenrod、アメリカではわざわざ植えたりもしているのだ。

こういった話をしながらどれが外来種でどれがネイティヴか区別するコツなどを小学生に話す、というボランティア活動だった。

秋にアワダチソウをみるたび、アメリカ南部での学生時代を思い出す。


老人ホームでの演奏会

大学生時代所属していたジャズクラブの先生が企画したもので、
老人ホームでクリスマス演奏会をしようという話になった。

フードバンクの件で出会った老人たちとはまた違って、どちらかというと中上階級の裕福な老人が住んでいる老人ホームだった。
立地もすばらしくで自然と街が見下ろせる高台にあり、施設もきれいで庭も丁寧に整備されていた。到着してすぐに「あ、リッチな老人ホームだ」ってわかる感じ。

アメリカで老人にあうと高確率で戦争の話をされる。
なかでも韓国に兵士としていった、という老人にたくさんであった。
見た目から「韓国人?」と話しかけてくる老人に何度もあったが、そういった人はだいたい過去に戦争で韓国にいったという話をしたい老人だった。
なかには日本にたちよってレコードを買ったという人もいて、盆踊りで耳にするような曲を口ずさんでくれた人もいた。現代の盆踊りで流れる「月が—でたでたー」などの曲はどうやら戦時中、ヒットソングだったらしい。

しばらく戦争の話を聞いた後、クリスマスの曲を中心に演奏して帰宅。
どの曲を演奏したのか、演奏時の記憶はあまりない。
このボランティアで一番記憶にのこっているのは、この老人ホームから見おろせるきれいな景色。


さいごに、「ボランティア」というと「困っている人を助けるもの」なんてイメージもある。もちろんそれが目的ではあるが、自分の生きている社会のそとを見るのによい機会でもある。
学生や留学生などできるときに挑戦してみるのもおもしろいとおもうのでおすすめする。
いつ自分が助けられる立場になるかわからない。お互いの幸福のために行動できる人でありたいし社会だったら良いと思う。

Photo by Nina Strehl on Unsplash

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