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祈り

おばあちゃんが救急車で運ばれた。

お正月には集まれる親戚で集まって、美味しいお肉を食べていた。おばあちゃんは、年末お腹を壊してダウンしていた私に「あんたちゃんと食べてるか?元気だしや!ええもん食べたら元気なるで!」と、いつもの明るく元気な調子だった。

おばあちゃんのお父さん(私からするとひいおじいちゃん)は牧師で、その影響もありおばあちゃんは小さい頃、世界一の大宣教師になります!と宣言したほどのクリスチャンだ。結局宣教師にはならなかったけど、教会のため、牧師のため、本当に神様のために尽くしに尽くした人生だと思う。

音楽が大好きなおばあちゃんは、会うと必ず私にピアノ弾いてくれへんか、と言った。まだ暗譜できてへんからあんま弾かれへんとか何とか言って保険をかける私に、
「何でもええねん。間違えてもええねん。あんたのピアノ聴いたら心がすっとするねん。」とおばあちゃんは言ってくれた。
聖会などで私が賛美奉仕すると聞くと、「あんた本間に感謝やなあ。祈ってるよ〜!」ととても喜んでくれた。
最近はピアノさえあれば私が伴奏を弾いて、一緒に賛美するようにしている。「前みたいに声出えへんねん」と言いながらも、さすが長年の経験からどんな賛美でも歌ってくれる。この時間が大好きだ。
お正月も同じように賛美をして、元気に歌ってくれたので、しばらくは元気に過ごしてくれると安心した。

救急車で運ばれたのはその1週間後だった。
高齢なので安心はできないとのことだったが、命に関わりそうな病気ではなかったし、おばあちゃんは大丈夫、すぐ退院できると思っていた。

翌日、何やら本当に安心できない状況になった。次から次へと聞きたくない悪い情報が入ってきた。
この1.2日が勝負らしいと母は言った。
それは、生死にも関わる。生きられても意識はないままかもしれない。幻想が見えるような様子もあり、天国に行きかけているかもしれなかった。面会できる時間も決まっていたが、いつ面会に来ても良いと言われたらしい。それほど危ない状況だった。

母はつい最近、従姉妹を亡くしたばかりだった。流石に何も喉通らへんと漏らしていた。私も一気に不安になった。
母は「やり残したことがあれば、神様はまだ天国には連れて行かへん。どちらにせよ、天国行きは約束されてるから大丈夫。」と強く言った。
おじいちゃんはまだ神様を信じていない。「大宣教師になるとか言うといて、自分の旦那も導いてないまま天国行くのは違うやろ。孫(私の従姉妹)の結婚式もうすぐやんか。それも見ずに行くのはあかん。」と私は怒った。怒らないと泣きそうだった。明日初めて行く新しい仕事も控えているから、出来るだけ心を落ち着かせようとした。
もしものことがあれば、夜中でも病院から電話が来るかもしれない。それだけは来ないで、と切に願いながらなんとか眠りについた。

翌日、おばあちゃんに会いに行った。
おばあちゃんの教会の牧師先生も来てくれた。おばあちゃんはたくさんの機械に繋がれて、それのおかげで何とか呼吸ができている状況だった。

意識があって、少し安心した。何かを一生懸命伝えようと口を大きく動かしていたが声は出ていなくて「ありがとう」と「アーメン」だけは読み取れた。
薬で眠るようにしていたので、数時間前の記憶も曖昧だった。興奮しすぎてもいけないし、ずっといると泣くのを堪えられなくなりそうだったので、祈ってるよ、また来るからと言って、母と祈ってその場を去った。

牧師先生が、私と母に一緒に祈りましょうと声をかけてくれた。

私が牧師だからと言って、私の祈りが特別きかれる訳ではないです。私の言っていることも本当かどうか分かりませんけど、と先生は言った。


イエス様が天の父に祈ったように、祈ってください。
それは「癒してください」とか「良い方へ導いて下さい」じゃない。「今、病に侵されているその悪を取り除いて、悪魔よ、去れ、そして必ず元通りに元気になります。復活することを信じます。」と祈ってください。
自分は不完全で汚れた者だと思っているかもしれませんが、キリストを信じる者は、それだけで清い。神の血が流れている。あなたは名前の通り、雪のように白く清い存在です。だから、あなたの祈りはきかれます。祈っていいんです。大丈夫です。
今朝この事が与えられたので伝えないと、と思って。


驚いた。この人は本当に神様を信じきっている人だと思った。口調が強かったので最初は怒られているのかと思ったけど(笑)この人はおばあちゃんが元通りに元気になる奇跡を信じている。確信している。すごい。
そんなこと思ってもみなかった。ただ生きてくれれば、なんとか助かってくれれば、としか思っていなかった。

それから、自分でも祈った。どうなるかは分からない、けれど、神様がおばあちゃんを生かして、病を取り除いてくださると信じた。そうすると、本当に不思議な感覚で、心から安心できた。
「なんか、おばあちゃん大丈夫やと思う。まだ死なへん気がする」と母に言った。



その翌日、おばあちゃんの口からの人工呼吸器が取れた、話もできるようになった、喋りたくて仕方がない様子で、みんなに感謝、感謝と話している、と連絡があった。

奇跡は本当だった。神様すごい。本当にすごい。

まだ油断はできないかもしれない。この先どうなるかは誰も分からない。人間だから、必ずこの世の死は訪れる。神を信じるからと言って、この世で長生きできるわけではない。
それでも永遠の命はもうすでに、おばあちゃんに与えられている。天国へも行ける。こんな喜びはない。

この感動を言葉に残しておきたかった。この奇跡は絶対に忘れない。

そしてこれからも、ずっと祈り続ける。

さあ、来たれ。論じ合おう。
ー主は言われるー
たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

イザヤ書 1章18節

イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」

ヨハネの福音書 11章25-26節

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。
「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシア人との区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。

ローマ人への手紙 10章9-13節

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