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自己紹介(4)母がジュエリー〇〇のパートに出る、、編

ネグレクトの親からホステスを経てフリーアナウンサーになった軌跡
西川友紀子です.
自分史を作ろう..と過去の振り返りを綴っております
前回はこちらから...

母がジュエリー〇〇のパートに出る..編


今回は母がパートに出る話なんですけど、、
不穏な気配、、このタイトルから何となくわかりますよね(笑)

ちなみに、、、
これまでもですが、こんな事を書いたらお母さんかわいそうじゃない?
と思う方もいらっしゃるでしょう.
母は1年前に認知症でホームに入所しました..
多くの方が親との関係性に悩んでいらっしゃると思いますが、
相手の事を優先してしまう思考っていうのがネックの1つだと
思います.
私自身、ずーっと蓋をして生きてきたのは
やはり母がかわいそうかもしれない、、って考え方でした

実際、本人は何とも思ってなかったりするんですよ

さて、
話は戻って、、、、、

私の住んでいた大阪のニュータウンにはその辺りの住民が買い物に訪れる
食料品中心の小さな商店があったくらいで、
それ以外の物を購入するには

バスで30分そこから電車に乗って3駅程
ダイエー(今のイオン)に行くのがお決まりでした.
初めてのファーストフード、ドムドムバーガーを食べたのも
ダイエーのフードコートでした.

ダイエーは食料品はもちろん、洋服、バッグ、
当時の私には何でもある、まさに夢の国、、
『母からダイエーに行くよ』と、言われたらもう、
スキップスキップ・・ランランランです(昭和)

ダイエーの2階のエスカレーターを上がってすぐの所に...

ある日、
黒と赤をテーマカラーにしたガラスのショーケースに囲まれた
キラッキラのお店ができたんですよね

それがジュエリー〇〇


テレビCMも盛んに流れていた、、そんなお店が
近所のダイエーの中に!!突如現れました

働いている女性はみんな黒い服で
赤い口紅で綺麗な人ばっかりだったと記憶しています
大人にとってもおそらく夢の国の象徴だったのかも...

フードコートで買ってもらったソフトクリームを舐めている私の横で
店内横に貼られたパート募集の張り紙を見て
母が『あら、私働こうかしら?』と呟いた・・・

次の瞬間には、『ちょっとスミマセ〜ン、これお願いできないかしら?』
とか何とか、、交渉してましたね(笑)

その行動力は凄まじく速かった、、
母は思い立ったらの人、、
今でもその行動力は尊敬に値しますが
それだけにこの後、家族は母に振り回される事になるんですけどね

あれよあれよと母がパートに行く事が決定!
確か父の了承は得ていなかったと思います
まあ、父は父でほとんど家にいないので自己判断でも
問題なかったんでしょうけど

最初は週に2日程度、私が学校から帰ってくるまでの時間
働いてました

そのうち、
週に3、4..
から

時間も遅くなってきて
私が学校から帰ってきてもいない事が何度かあり、
合鍵を持たされるまでにそんなに時間はかからなかった、、

帰宅が夜になることも増えてきて
時には学校帰りにパート先のダイエーまで
私が行って、そこのフードコートでご飯を食べる、、
なんて事もありましたね

当時兄は中学受験で駅前の塾に通っていたので
都合が良かったのかも

そんなある日
パート先のジュエリー〇〇に行くと
母は、恰幅の良い、
北野武さんをもっと太らせたようなおっちゃん、、
の接客中でした!

で、私を見つけると
『おお.お前がゆきこか、今日はこんなに分厚い肉食わしたるで〜』と
いうんですね

親指と人差し指の幅5センチくらい..
そんな分厚いお肉なんてこの世に存在せーへんやろっ

っていうかこのおっちゃん誰なんやろ??

って思いながら、母の顔をみてみると
めちゃくちゃ口角上がりまくりの笑いまくりの
みたことのない表情なんですよね..

あれこそ恋する女の顔だな、、と、今でも鮮明に思い出す事ができます
まあ、この頃になると母は髪は当時流行のカーリーヘアになっていたし
メイクも結構濃かったですね

パート終わりの母をそのおっちゃんと待って
初めて、目の前で鉄板で焼くステーキなるものを
食べさせてもらいました

私はもともと、極度の人見知りであり得ないほど
暗くて地味〜な子でしたから、、
黙々と『めっちゃうまい..!』って心の声で食べてるんですけど、

その横で母はず〜っとクネクネしながら
『どう?美味しいやろ、こんなの食べた事ないやろ?』って
『世の中にはこんな美味しいものもあるんやで』とかなんとか
言ってるわけですよね

そんな母を見ていると
美味しかったお肉がまるでゴムのような
味のしないガムみたいになっていくのを感じてました

それから定期的にそのおっちゃんはステーキやらお寿司やら
食べさせてくれたんですけど最初の頃は兄には内緒でした..

その、おっちゃんは、コミュニケーション術が抜群に上手くて
『学校では何が好きなんや?』とか
子供相手にも聞き上手で私も何度か会ううちに
抵抗なくご飯に行くようになっていったんですよ..

そもそも母は私に興味がなかったので、学校での出来事なんて聞いてもらえなかったのでそのおっちゃんとの食事会が次第に待ち遠しくなってたりして..

そして
私が6年生になった頃、

兄もその分厚いステーキを一緒に食べるようになってて
注文はこんな感じ
兄はサーロインを250グラム
私はヒレ150グラム..

お肉をグラムで頼む事に慣れた頃、、

母は私達に『離婚』について語りました
丁度..私の小学校卒業間近.


前列右から2番目わかりにくですけど髪の毛編み込んでます


今考えたら、
兄が食事会に来る頃にはおそらく母の心は
決まっていたのではないかと思います


次回は

『お父さんとは無理、離婚するから』...編

ですっ

これからまあまあヘビーな
内容もちょいちょい
入ってきます...

この後おっちゃんは事もあろうに
私の事を性の対象にし始めるのです..

その前に『離婚』
そして兄との別れ...がやってきます.


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