【小町がいたこと】 Episode⑰ 弱さ


 僕の夏休みは、小町の安否を気遣い、小町とお互いの気持ちを断片的に伝え合い、小町が負った心の傷が少しでも早く癒えるよう祈っているうちに過ぎ去ってしまった。そうしてすごした四十日が長かったのか短かったのか、僕にはよくわからない。
 そして始業式である今日、本来であれば放課後に折原も含めた三人で再び集まるはずだった。けれど、それは叶わなかった。小町が、風邪を引いて欠席してしまったからだ。
 最初に彼女からメールでそのことを知らされたとき、僕は残念な思いと同時に、安堵もまた覚えていた。衝動的に思いを伝えてしまった張本人と、その思いに気づくきっかけをくれた友人に挟まれて、どのように振る舞えばいいのかがわからなかったからだ。
 始業式当日ということで授業もなく、午前中のうちに放課後を迎えた。僕は人けの少ない通用口脇のベンチに座って、小町に電話をかけた。
「具合はどう?」
「熱は下がったわ。でも頭痛が引かなくて」
 たしかに彼女の声は、平常時よりも若干気だるそうなものだった。
「電話も控えた方がよかったかな」
「そこまで気を遣わなくてもいいわ」
「そっか」
「ええ」
 会話が途切れると、耳に当てた携帯電話のスピーカーから微かな息遣いのような音が聞こえてきて、落ち着かない気持ちになる。僕は意を決して、本題に入る。
「小町」
「なに?」
「前に君の部屋で、僕は自分の気持ちをたしかめたい、と言ったと思うんだけど、そのことは覚えてる?」
「当たり前じゃない」
「もし、君の体調が良くなっていたら、週末に、二人で会うことはできないかな?」
「いいわよ」
 必要以上にセンテンスを区切って慎重に伝えようとした僕にじれったさをぶつけるように、小町は鮮やかに即答する。
「本当にいいの?」
「ええ。伊勢君のプライベートの過ごし方というのは気になるもの」
 それはどことなく義務的なニュアンスではあったけれど、とにかく小町としても、休日に二人で会うことに抵抗は感じていないようだった。
「小町はなにかしたいことってある?」
「映画を観たいわ」
「だったら、アメリアに行こうか」
 僕がそう提案すると、明らかなため息が聞こえた。
「ねえ伊勢君、忘れたの? 私、アメリアには行きたくないって、前にも言ったわよ」
 内に立ち込めた苛立ちや不機嫌を想起させる口調で、小町はそう告げた。そして遅れること数秒、以前に彼女がこのあたりでは最も大規模な商業施設であるそこには行きたくないと、頑なな態度をとっていたことを思い出したのだった。
「じゃあ、駅前の映画館にしようか」
「伊勢君はなにか観たい作品はあるのかしら?」
「すぐには思いつかないよ」
「そう。だったら私のチョイスで構わないわね」
 僕の方から誘ったというのに、気がつけば小町に主導権を握られていた。そして「じゃあ、私はもう寝るから」と通話も一方的に切られてしまった。あまり実感がわかないけれど、とにかく、小町と週末に会う約束を取り付けることに成功した。
 翌日、小町は学校に復帰した。帰国したあの日に見られたやつれはなく、少なくとも表面上は健康そうに見えた。昼休みには折原と集まって三人で昼食を食べた。食堂のテーブルを囲む僕たちに、決して少なくない数の視線が寄せられたけれど、普段から注目を集めている立場だからか、小町と折原はまるで気にする様子を見せなかった。当初は煩わしさを感じていた僕も、自然に振る舞う二人と一緒にいるうちにいつの間にか気にならなくなっていた。けっきょく、遠巻きにした視線以上の関心が寄せられることもなかった。僕たちはまた、三人で過ごせるようになったのだ。
 その日の放課後、英会話のレッスンがあるから、と小町は先に帰ってしまった。残された僕と折原は、久しぶりに河川敷のアスファルトに寝転びながら話をした。
折原には、夏休みに僕と小町の間に起こったことを、彼女の個人的な事情を除いて包み隠さず打ち明けた。これまでの十年来の付き合いの中で、僕がこんな風に色恋沙汰の類の話をすることがなかったからか、折原は変に詮索したり茶化したりせず、やけに親身な様子で話を聴いてくれた。
「まあ、夏休み前のことを考えたら、それなりに進歩してるんじゃねえの」
 週末に小町と二人で会う約束をとりつけたことを最後に伝えると、折原はそう言って総括した。
「だといいけど」
「なんだよ、なんか不満でもあんのかよ」
 不満ではないけど、と前置きして、僕は些細な後悔というか、心残りを打ち明けた。
「……さっきも話したけど、小町の気持ちを知ったとき、僕は意地を張って自分の気持ちを隠してしまったんだ」
「好きだって言っとけばよかったってことか?」
「ちゃんと言葉にしておけば、小町の思いももっと明確に引き出せたんじゃないかって、そう考えてしまうんだよ」
 今更こんなことを言ったところでどうしようもないのはわかっているのに、言葉にしてしまうとより後悔が募っていく気がした。
「どうだろうな。なんでもかんでも馬鹿正直に口にすりゃいいってもんでもないと思うぜ。むしろお前の気持ちが強すぎたら、小町だって温度差感じて冷めちまってたかもよ」
「そうなのか」
「要は一方的になるなってことだよ。告白っつうのは、相手があってこそだろ? 小町の気持ちを知ったときに、お前は自分の都合で気持ちを伝えようとしてなかったか? さっきの話を聞いてたら、どうもそんな気がしてならねえんだよな」
 僕の都合。折原の指摘に、痛いところを突かれた気がした。
「そうだな。お前の言う通りかもしれない」
「前も言ったと思うけどよ、小町ってこれまで周りとコミュニケーションをとってこなかった分、関わり方が独特なんだよな。だからお前に泊まっていってほしいだなんて言えるし、自分がどう思われているかっていうのが、うまく想像できねえんだよ」
 折原のその言葉が、僕にはなんだかとても残酷な宣告のように感じた。
「じゃあ、小町はあのとき、誰でもいいから傍にいてほしかったのかな」
 自分でも情けないと思うけれど、そんな弱音を自分の内に留めておくことができなかった。折原は「どうしてそうなるんだよ」と僕を小突いた。
「こんなこと言えるのはお前しかいないって、そんとき小町ははっきり言ったんだろ? ならそこに嘘はねえはずだろ。あいつがその場しのぎで適当なこと抜かすと思うか? お前が信じてやらなくてどうすんだよ」
 鋭い痛みが胸のあたりを走る。僕が自分の弱さを恥じるのに、折原のその言葉は十分すぎるほど確かな説得力を帯びていた。
「そうだな」
 僕は頷くことしかできなかった。
「弱気になるなよ。俺が知る限り、小町が一番心を許してるのは間違いなくお前なんだからさ」
 こういうとき、女の子との間のあれこれに関しては僕なんかよりもはるかに場数を踏んでいる折原の存在は、やはり心強かった。


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