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生産的かどうかって、もう考えないようにした

有意義なことに時間を使っていないと、すごく不安になることありませんか?

自分の場合、ちょっとでも仕事や勉強に関係ないTwitterを見たり、娯楽っぽい動画を見てしまうと、罪悪感にさいなまれます。

「あぁ、どうしてこんなに生産的じゃないことに時間を使ってしまったんだ!」と、そういう時間の使い方をした自分をものすごく悔やむのです。

あるいは、どこかへ向かう電車の時間、買い物でレジに並ぶ時間、エレベータを待つ時間…、そういう時間は非生産的だから、もっと削るか、耳にAirpodsをいれて「ためになる」Podcastを聞く。

目の前にあるタスクを次から次へとこなし、有意義で大事なこと(仕事や、将来のために学ばなきゃいけないこととか、考えなきゃいけないこと)に時間を使わないとダメだ、と常に思っているのです。

でも、やればやるほど新たなタスクは降ってくる。それに、学んでも学んでも、学びが尽きない。「あぁ、時間が足りないなぁ。自分に足りていないものを埋めないといけないのに」。

よくわからないけど、いつも追い立てられているような焦り。でも、いったい、何に対して自分はがんばろうとしてるんだろう…。そんな風に思ってました。

実はこの状態、どうやら『生産性依存』という現代人が持つ症状らしいです。わりと世界中にいて、無駄な時間を嫌う「怠惰嫌悪」というのもその症状のひとつなんだとか。

今回は、「限りある時間の使い方」という本を読むことでわかった、生産性依存な自分の問題点と、そこからどうやって決別しようと思っているのか、ということについて書きます。

効率を求めすぎると、逆に本質から遠のくという事実

とにかくやることリストに未チェックの状態で残っているのが気持ち悪くてしょうがない性質。だから、返事をするもの、提出するもの、やらなきゃいけないこと、速攻かたづけます。

効率化を考えるのも大好きで、思った通りに効率的にコトが進むと、なんとも言えない達成感に包まれます。

効率化はいいことだと思って妄信的にしていた(感謝されるし、ちょっといい気にもなってたかもしれない)んですが、これを読んで自分の思い違いにハタと気が付きました。

自分では仕事の速い有能な人間のつもりでいたけれど、なぜかどうでもいい仕事ばかりが片づいて、重要な仕事は永久に先送りされていく。(中略)

必要なのは効率を上げることではなく、その逆だった。
すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要だったのだ。反射的にタスクをこなすかわりに、すべてをやりきれないという不安を抱えること。(中略)その不快感に耐えながら、本当に重要なことに集中するのだ。

「限りある時間の使い方」

これはなかなかに、グサッと刺さる言葉でした。そして、たしかにそのとおりだと感じました。

効率化もスピードも悪いことではありませんが、効率化に達成感を求めるのは本筋と違います。素晴らしいパフォーマンスとは、誰も考えていなかったアイデアをゼロから思いつくことができたとか、重要で難しい問題を解決するとか、パッとこなせるものではないはずです。

重要であれば重要であるほど、「今すぐにでもやるべき」。たとえ、やることリストにチェックがつけることが出来なくても。それが不快だとしても。

そうしないと、いつまでも中途半端なままになってしまう。生産性という甘い言葉で見えなくなっていた、あるいは見ようとしていない事実でした。

失敗や、まだ見ぬ景色に、価値がある

じつは、自分にとって効率化と同時に大好物なのが、「計画」です。仕事でもプライベートでも、何が起きても大丈夫なように、色んなパターンを想定して備えておきます。

でも、これも効率化と似たような問題をはらんでいるようです。それは「時間をコントロールしたいという欲」からきているということ。

将来ことを考えたり、計画を立てたりするとき、僕たちは「時間を所有したり使ったりできる」という前提に立っている。そしてその前提のせいで、いつもイライラしたり、不安になったりしている。時間は自分のものではないし、自由に使うこともできないという確固とした現実が、つねに僕たちの期待を打ち砕くからだ。

計画を立てるのが悪いことだといっているわけではない。(中略)本当の問題は、その努力が成功するかどうかを、今この時点で確実に知りたいと思う心理にある。それが不安を生むのだ。

「限りある時間の使い方」

ほんと、計画を立てると、とにかくその計画どおりに進めることばかり考えてしまい、うまく進まないと非常にストレスを感じます。

子育てしてると、そんなことはよくありました。子どもが公園を見つけたらすぐに帰れない、着替えや食事に思いのほか時間がかかる。新米ママの時代、そのたびにイライラのピークが訪れてました。

でも2人目、3人目になると、最初からスケジュール通りに進まないとわかっているから、そんなにイライラしないと言います。

おまけに、親がガチガチに計画していないほうが、子ども本来の力が伸び伸びと発揮されて、いわゆる才能が開花するほうが多かったりするということもあるとか。

子育てだけでなく、仕事でも似たようなことがよくあります。計画していない自由な時間に、あっというアイデアを思いつくことが何度もありました。

計画や準備をしすぎることは、せっかく本当の価値に出会えるチャンスを見過ごすようなもったいないことだったのかもしれません。準備が必要なのは、不安や不快と向き合うための「心の準備」でした。

楽しめる人になるためにすること

仕事しなきゃ、勉強しなきゃ、成長しなきゃ、1度きりの人生だから時間を有効に使わないとと思っていたけど、逆に1度きりの人生だからもっと楽しめる余裕を持ってもいいんじゃないか…と思い直しています。

自分で自分にかけるプレッシャーで、達成できたこともいろいろあるけど、同時に犠牲にしてきたこともたくさんあったのかもしれない

そういえば、昔はベランダで横になってただ雲の流れを見ていたりしたよなぁ。文字通りぼーっとして、心の中がじわ〜っと満たされるあの感じ、もう久しく味わっていないな…。

あの頃のゆったりとした時間を持ちたい。そう思って、プレッシャーから解放する訓練を3つすることにしました。

1. 感覚に身を委ねてみる

美味しいものを食べているときは味わい、音楽を聴いているときは心地よい音に酔い、本を読んでいるときは頭に浮かぶ想像力に、その時の「感覚」に身を委ねることにする。

「今に集中しよう」だとハードルが少し高いから、「感覚に身を委ねる」ぐらいのゆるい気持ちからはじめてみる。

2. 自分の選択を尊重する

「今はこれをしよう」と思ったら、自分が選んだ選択を尊重する。この時間は重要で、これは重要じゃないとか、判断しない。

ただその時を楽しむっていうだけの時間を作ったって、誰かに怒られるわけでもないし、世界が悪いほうに変わるわけでもない。

3. 100点を取ろうと考えない

仕事でも家事でもなんでもかんでも、100点をとろうと考えない。少しぐらい抜けちゃったって、いいということにする。失敗したらダメだと、自分に言い過ぎない。

(学校のテストじゃないんだから、100点とかそういうのないし!)

「本当に大事なことだけをする」という考え方には落とし穴がある。

こんなことをしている場合じゃない、もっと有意義な時間の使い方を見つけなければ。会社なんか今すぐ辞めて、救援活動をするか、宇宙飛行士になるべきじゃないのか。それができないなら、自分の人生には何の意味もない。

いや、ちょっと立ち止まろう。

本当の話、あなたが人生で何をするのかは、そんなに重要なことじゃない。

あなたが限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ。

「限りある時間の使い方」

まとめ

効率化も生産性を追求するのも悪いことではないですし、何かを犠牲にしてがんばらなきゃいけない時期というのは、誰にだってかならずあります。

でも、人生のせっかくの楽しみをわざわざ自分で潰してしまっていることもあるんですね。当たり前のことなのに、ぜんぜん気づけてなかったな…。

不愉快な現実は、しかし、自由の一歩だ。

不安に突き動かされ、完璧な支配力を望み、自己中心的だった自分が死ぬのだ。他人の目を気にして、期待に応えることばかり考えて、偉い人に怒られないようにビクビクしていた自分が死ぬのだ。

そのあとに残るのは、もっと生き生きした自分だ。以前よりも喜びとやる気に満ちた自分だ。現実をあるがままに見つめれば、悪いことだけでなく、良いことも存分に受け入れられる。

さあ、腕まくりをして、自分にできることに取りかかろう。

「限りある時間の使い方」

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