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私の生き様 第1章(幼少期~浪人時代)

みなさん、こんにちは!
ゆっかです。
これから私のこれまでの人生や、日々の学びや気づき、私の生き様などについて書いていきたいと思います。
まずは、私のことについて書きます。


自己紹介

生き様の前に、簡単に自己紹介をさせてください。

  • ニックネーム:ゆっか

  • 年齢:33歳(1990年生まれ)

  • 家族:夫、長女、長男、次女、三女の6人家族

  • 経歴:地方公務員

  • その他活動:Gallup認定ストレングスコーチ、キャリアコーチ、子育てサークル主宰、ワーキングマザーコミュニティ主宰

  • 資格:キャリアコーチ、Gallup認定ストレングスコーチ、保育士、社会教育主事、育休後アドバイザーほか

  • 趣味:舞台鑑賞(特に劇団四季、クラシックバレエ)、マラソン、コミュニティ活動

  • GOAL:誰もが自分の可能性を信じ、自分らしく幸せな人生を歩める社会を創る

これまでの人生

今では、自分軸で最高だと思える人生を歩き始めた私ですが、これまでの人生は、他人軸で自信がなく、モヤモヤを抱えながらもほどほど良い人生を歩んできた、そんな普通の人生でした。

幼少期

公務員の父と専業主婦の母、そして優しい兄の4人家族の第2子として、鹿児島の地に爆誕。
好奇心旺盛で天真爛漫、あまり手のかからない聞き分けのいい子だったそうです。
3歳からクラシックバレエを習い始め、目立つのも大好き!
みんなに可愛がられて育った、そんな幼少期でした。

小学生

小学生では、学級委員や生徒会などを行う優等生。
教卓に一番近い、教室の一番前の真ん中の席を自ら志願し、授業態度も成績も優秀。運動神経も良く、文武両道。
人の期待に応えることが得意で、なんでもそつなくこなしていました。
習い事もクラシックバレエに加えて、ピアノ、習字などを始めました。

登下校時にゴミ拾いをしたり、すれ違う人全員に元気よく挨拶をしたり、社会課題に対して問題意識を持つなど、正義感が強く規範意識の強い子どもでした。

中学生

中学生に入ってからも相変わらず、学級委員や生徒会などをし、教室の一番前の真ん中の席でまじめに授業を受け、家でほとんど勉強をしなかったけれど、常にトップレベルの成績でした。

部活は兄の影響で陸上部(長距離)へ入部。
ただ、習い事もクラシックバレエの回数が週4になり、ピアノ、習字に加え、さらに英語も習い始めたため、多忙な毎日。
毎日部活の朝練、夕方は習い事と部活をこなす、そんな中学校時代でした。

また、思春期ということもあり、母親とよくぶつかるようになりました。
私のやりたいことが母親のキャパを超え始めたのもこの頃で、私の行動にいちいち制限をかけてくるようになりました。
そんな母親に反発しつつも、習い事など一生懸命送迎をしてくれる母親が私のやりたいことを盾に母親の指示に従うよう要求してくることに逆らえず、この頃から自分のやりたいことを押し込めるようになりました。
自分のやりたいことを言うと怒られる、だから、できるだけ母親の言ういい子になろうと思い始めたのもこの頃です。

高校生

高校では相変わらず、学級委員や生徒会などをし、教室の一番前の真ん中の席でまじめに授業を受けていました。
成績に関しては、トップレベルとまではいきませんでしたが、基本的には、上位にいるという感じ。

部活は書道部で、ときどき陸上部の駅伝のお手伝いに駆り出されていました。

母親の束縛も相変わらずで、恋愛もおしゃれも禁止、家庭で話題に出すことすらタブーでした。

また、高校へ自転車通学をしたかったのですが山を一つ半くらい越えていくルートだったため、「女の子だからダメ」という謎の理由で大反対を受け断念。
(今思えば心配で言ってくれているのも分かるのですが、当時はまた、やりたいことを反対されたと解釈していました。)

習い事も変わらず、多忙な毎日。
習い事に関しては辞めたいものもあったけれど、それも母親に反対されて断念。

引き続き、真面目さと期待に応えるスタイルで、なんでもできないといけない、と頑張っていました。

浪人時代

現役時代、真面目に高校生活を送っていたのですが、やりたいことがよくわからず、とりあえず目標は高い方がいいし、周りのみんなも目指しているからと安易な理由で志望校を決定。
が、センター試験で足切りラインに届かず志望校を下げて受験。
それでも不合格になり、1年浪人することになります。

元々、勉強は好きだったので、毎日、朝から晩まで予備校で勉強をする毎日は楽しかったです。
そして、ここで自分が何を学びたくて、そのために適した大学はどこか?という観点で大学を選びます。

しかし、このとき、高校時代の担任からは、志望校を下げると絶対に落ちる!と大反対されました。
でも、人がよりよく生きていくために、心理学を学びたいと思った私は、心理学が学べる大学を受験。


そして、見事合格。
これが私が初めて自分軸で人生の大きな意思決定をした出来事です。

振り返って思うのは、臨場感のないGOALはエフィカシーも継続できないし、あまり機能しないということ。
そして、自分で決めたGOALと決断であれば、必死で取り組むし、結果もついてくると言うことです。

総括

第1章は、「優等生」。
それに尽きます。

人の期待に応えること。

いい子でいること。

もともと得意だったのだと思います。

そして、それに拍車をかけたのが、母親とぶつかった経験。

本当の自分を出したら周りの人に迷惑をかける。

そういう風に考えるようになりました。

そして、15歳のときの私は、自分の意見は押し込め、他人軸で生きることを自分の意思で選択しました。

ただ、同時に、自分らしく生きていきたいという思いも持っていたため、大学では絶対に県外に行って実家を出るんだ!ということも決めていました。

早く母親から解放されたい。

大学に出るまでの辛抱だ。

そう思っていました。

以上が幼少期~浪人時代の私の人生の第1章です。

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※第2章はこちらから


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