難しい言葉はカレーのじゃがいもくらいが丁度いい
これは私の考えをつらつらと書いているだけのnoteとなるので、誰が読んで下さるかはわかりません。大学生1年目、19歳になってまだ日の浅い女子大生が未熟な文章力で書いていますのでご了承ください。
さて、私が今回このnoteを書こうと思ったきっかけはとあるツイートのリプ欄を暇つぶしに読んでいた時のことでした。様々な意見が集うTwitterで批判的な意見や相手を考慮しないツイートは毎日多く見かけます。そんな中やたらと難しい日本語を使って意見を書く人、いますよね。回りくどく、言いたいことがどこに定まっているのか分からない落ちのない文章を多く見かけます。Twitterなんて、街ゆく人の独り言が文字化されているに過ぎないので相手を侮辱する意見など、「Hey!そこの姉ちゃん/兄ちゃん顔ブサイクだね〜」と突然声をかけてるようなものです。そのような場面で、もっと小難しい意見を街ゆく人にするのってどうでしょうか。「ちょっとすみません、そこの貴方。貴方の目はまるで未成熟のしじみのようであり、鼻は萎凋している小枝のようだ。」なんて言われたところで怒りよりも先にこの人は急に何を言い出したんだろう……と思いませんか?
自分の意見をあたかも世の基準かのように書き綴る方は多くいます。難しい文章読本や文章作法書を真似て書くことが140文字で納める必要のある文章に必要でしょうか。残念なことですが、端的かつ要約を好む時代にたらたらと意見を述べるのは「自分は頭が悪いです」と公言しているようにも取られてしまいます。だから私は難しい言葉はカレーのじゃがいもくらいでいいと思っています。じゃがいもを煮込んで残った一欠片くらいを楽しむくらいが今の時代にはあっていると思います。相手が拾える、かつ、与えられても嫌味のない言葉が型にハマるのです。そもそも主観の集まりであるTwitterにマイナスな主観の押しつけをしたところでまともに受け取ってくれる人なんて少数でしかありません。親しき仲にも礼儀ありというのに親しくない人に否定的意見を述べたところで感じが悪いの一択でしょう。どんなツールも楽しみ方は人それぞれですが、私たちが言葉を使うものとしての変化を退化にすることだけは避けていきたいですね。
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