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10年前に置き去りにしてきた「エモい」。

「エモい」。

今、この言葉を使う人たちは、どういう気持ちで使うのだろう。

私が、ライブハウスに入り浸っていた2006年前後(多分)には、すでに「エモい」という言葉はあった。

仲の良い友人とライブハウスで会っては、飲みにいき、そのまま友人の家に泊まって、明け方までよく飲んでいた。
20代前半の頃には、エモーショナルなことがたくさんあった。
好きな人は常にいたし、浮気もされたし、もうこんなところでは言えないことも多々あった。今となっては過ぎ去ったことだけど、その頃は、友人とことあるごとに「エモい」を言い合っていた。

当時、私が通っていたライブハウスでは「emo」「screamo」という音楽のジャンルが流行っていた。アメリカのバンド「THE USED」なんかは、それに当てはまっていると思う。よく聴いたし、Warped TourのDVDは死ぬほど観た。ボーカルが、ステージスピーカーの上から観客へダイブする様はなんとも格好よかった。(その頃のWarped Tourは、客席の前の方はガタイのいい男性ばかりだったので可能だったのかも)日本でも「TASTE OF CHAOS」なる、エモ・スクリーモフェスも海外から上陸するぐらい、ロックミュージックシーンを賑わせていた。「emoいバンド」に憧れて、地方のバンドキッズたちもそれを真似た。もうあの頃は、emoいバンドがとにかく人気だった。こぞってみんなTシャツは、袖を切ってタンクトップにした。
またその頃、アルバム「Welcome To The Black Parade」が流行していたマイ・ケミカル・ロマンスのボーカル ジェラルドは、マイケミを「emo」とされることを嫌ったという話もあった。

ライブを観て「このバンド、エモいね。」、「今日のライブは、一段とエモかったね。」と最初は使っていた。それがいつしか、日常生活にも応用されていた。

日常生活での「エモい」は、割と激しい感情の時に使っていた。心が激しく揺さぶられること。
めちゃくちゃ大好きな彼氏が音信不通になって、蓋をあけたら5股かけられたと知り、メンヘラになった時(笑)には、「エモいーーーーーー!!!!!!エモすぎるーーーーー!!!」と叫びながら泣いて、友達になぐさめられていた。それはもう酷かった。哀愁漂うなんてかわいいもんじゃなく、ハードコア一歩手前だ。「もののあはれ」や「いとをかし」なんて、そんな情緒のあること言ってられるか!!!

だけど、大人になるにつれて「エモい」と言わなくなった。

要因の一つは、「emo」や「screamo」のブームが去ってしまったこと。今や、「Fall Out Boy」をemoというジャンルで認識している人は稀だと思う。(ジャンルに関しては、本人たちも知らないところで分類されていたりするし、人によっては「ジャンル分けなんてしょーもな」となる思うので、この話はまた別の時に)

もう一つは、いろんな経験をして、「エモい」は、エモくなくなったのだ。
いつかの「しくじり先生」で、大事MANブラザーズバンドのボーカルが、「なぜ大人になるとCDを買わなくなるのか」(おそらくストリーミングが普及する前だからね。)という問いに、「人生経験を積むと共感できる歌が少なくなる」。これは「経験が歌詞を超えてくる」と答えている。だから大人になると新しい曲よりも、自分の思い出のある既存の曲や、そのカバーをよく聴くと。すごく納得のいく答えだったので、ずっと覚えている。

数年忘れていた「エモい」という言葉を、またここ最近で聞いた時、ふわっとライブハウスの思い出がたくさん浮かんできた。

今、「エモい」は、もしかしたら、意味やニュアンスが10年前とは異なっているかもしれない。言葉なんて、時代に合わせて変化するものだ。でも、「エモい」感情は今だけのものかもしれないから、10年前の私には伝えたい。

そのうちエモくなくなるから、今のうちに叫んでおいたほうがいいよ(笑)!

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