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子猫

子猫の声がする。
先程から不規則に声がしている。
その都度、網戸越しに猫の姿を探すのだが、夕闇に紛れて見つけられない。
そのうち日が暮れて声も止んだ。

翌朝、再び鳴き声がする。
外に出てみると隣家の裏手、我が家との柵越しに子猫が一匹いた。
白地に橙色の斑がところどころに入った子猫である。
私の顔を見て上目遣いにこちらの様子を窺っているが、「あなたどうしたの?ママは?」と声をかけると一目散に逃げた。

走る気力があるのなら大丈夫だろう。心配な気持ちを無理に押し込めるがやはり気になり、時間を置いてもう一度、隣家の裏手を覗いてみると、子猫は戻ってきていた。
私の呼びかけに少し距離を取りつつも、小さく鳴いて応えたりもするから、子猫なりに迷っているのだろう。

しかし、子猫がいるのは隣家の敷地である。
隣家の住人は皆、仕事に学校にと出ているようでひと気はなく、背の低い柵が私を拒んでいる。

それにしても子猫は、逃げては戻り、逃げては戻り、を繰り返す。
ひょっとして隣家の猫か、そうでなければ隣人が餌を与えたのかもしれない。
そうすると下手に保護するのも考えものであるなぁ、と迷う。
加えて、私が住んでいるのはペット不可の賃貸住宅である。保護した場合、退去せねばならないだろう。この事が私を更に迷わせる。

部屋へ戻り、近隣の動物病院の場所を調べたり、子猫に炊いたご飯を与えても大丈夫かを調べたりしている間も、子猫の鳴き声がする。
声は小さくなったり大きくなったり、一声で止んだり何秒か続いたりする。

餌を与えてしまったら、もう保護するしかない。
炊いた米を5g測って、食べやすいよう少し水を足してほぐしたご飯を皿に盛って、私は逡巡した。
悩みに悩んで、結局私は用意した餌をゴミ箱に捨てた。

隣家の猫かもしれない
そうでなくても隣人が保護するかもしれない
私には収入がない
保護しても養えないかもしれない
保護したら退去せねばならない

それらの思いが私を日和らせた。

落ち着かない気持ちで午後を過ごして、夕方外に出てみると、子猫の姿は無かった。
隣人が帰宅している様子であるし、もしかしたら家の中に入れてもらえたのかもしれない、と良い方に考えてみるが一方で、そんな都合の良い話があるものか、とも思う。
隣人との交流はないため、確認することもできない。

翌日は冷たい雨が降った。
雨は小降りになったり激しくなったりを繰り返しながら、一日中降り続いた。
子猫の姿はやはり無く、私の耳には子猫の叫び声が幻聴となって残った。



補足 収入って大事。私は長いこと専業主婦をしているのだが、この時ほど「働いていれば良かった」と思ったことはない。お金に余裕があれば保護することも、引っ越すこともできただろう。

そしてこの手の、「捨て猫、野良猫(あるいは犬)を保護できなかった」ひとに「保護してあげて」「愛護団体に連絡して」と発言するひとは、自分がその立場に立ったとき、保護したり団体に連絡することができるのだろうか?と、いつも思う。

あなたは出来るのかもしれない。でも様々な事情から出来ないひともいるのだ。手を差し伸べたくても出来ない苦さは、当人が一番よく知っている。あなたのその言葉は、「情けがない、人でなし」と責めていることと同じで、保護出来なかったひとの心をえぐる。どうか想像力を働かせて欲しい。

#エッセイ

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