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すごい大学生をみると、嫉妬しちゃって素直に認められない。

note編集部のお気に入りに選ばれた記事の中に、大学生が書いた記事があった。読む人の心を揺さぶる、いい文章だった。でも「大学生」の文字を見た途端、無性に悔しい気持ちがわいてきた。

大学生に負けたくない!!と。わたしは優れた大学生を見ると、異様に悔しさを感じてしまう。

高校生以下だと、もはや悔しさは感じない。16歳の芦田愛菜ちゃんも、18歳の藤井聡太さんも、すごいけど別世界の人だ。もともと育った環境が違うと思えるから、悔しさなんてわかない。年下であっても、純粋な気持ちで「尊敬してます!!」と言える。

ところが、相手が大学生だと違う。純粋に尊敬する気持ちよりも先に「悔しい」「この人には負けたくない……」と負の感情がメラメラ燃え上がる。学生団体のリーダーやってる学生とか、大学在学中に起業した人とかみると、もう「学生団体とか起業すればいいってもんじゃないぞ!」とうざいおばさんみたいな小言を言いたくて仕方なくなる……。これは嫉妬か羨望か……。26歳のわたしは、すごい大学生を素直に認められないのだ。

わたしがスゴイ大学生を認められないのは、自分に近い存在だからだろう。「すごい人は遠くにいてほしい」と願っているから、大学生がすごいと困るのだ。

年が大きく離れていれば、「住む世界が違うから」と言い訳できる。年上なら「時代が違うからな~」と言えるし、年下なら「今は恵まれてるもんな~」と思える。

でも大学生は年が近いし、世代も同じだ。ほとんど同じ環境で育ってきたと言っていい。それなのに、すごい大学生に実力や経験で大きく負けてしまっている。彼らが一生懸命頑張っていた時間を、わたしはノラリクラリと過ごしていただけ。あの時踏ん張っていたら、自分もあっち側の人間になれたのかも……。そう思ってしまうのが悔しいんだろう。だから「大学生はバカっぽく飲み会ばかりしていてくれ…」「読書しない大学生でいてくれよ」と、すっごく性格の悪い考えが浮かんでしまうのだ。

ただいくら妬んでも、私の学生時代は戻るわけじゃない。自分より優れた大学生が何人もいるのを受け入れて、いまを生きるしかないんだよな……。ひょっとしたら今後、浮草のような学生生活を送ったからこそ、できる仕事があるかもしれない。妬ましきスゴイ大学生にはできない、とっておきの偉業を成し遂げるかもしれないし。うん、きっとそうだ。。。

わたしがスゴイ大学生を認められるようになるまで、あとどれくらいかな。年をとって大学生から遠ざかれば、純粋に「すごい」と言えるかも。でもその時には、すごい20代に嫉妬しているんじゃないか……やっぱり自分が頑張らないといけないな。笑

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