使いたいと思う人が平等に使える、そうなればいいなと思うこと

 「カウンセリング料って自費だし高いから、本当はやっていきたいけど中断することにしたんです」こんな言葉を何人の人から聞いただろう。
ソーシャルワーカーとしていろいろな人と関わるなかで、カウンセリングを自ら希望する人がいる。こちらも必要性を感じて医療機関につなぐことももちろんある。

 診察や薬代に関しては自立支援医療という制度があるため、ずいぶんと負担を抑えることができる。カウンセリングはそうもいかない。1回数千円の自己負担は、支払いが難しいとなるとそもそも継続して受けていくことができない。

 ひきこもりの人に関わっていた時、その家族と一緒に家族会に行ったことがある。精神科で心理士をしながら自身のカウンセリングルームを立ち上げている人が講師だった。定義についてや家族の関わりかた、対応など、とても分かりやすく話してくれた。一緒に行っていたその家族も「そうか、なるほどね」と熱心に聞いておられた。話しの最後に、カウンセリングルームの紹介とともに料金の案内もあった。

 1回1万円前後。パッケージになっているものだともちろん数万円以上となる。そのご家族は「そんな高い料金どうしたって払えない。お金がある人用ということだね」と言われた。

 その家族会は民間のものではなく、公的な機関が開催する勉強会のひとコマだった。なんともいえないやるせなさを感じたことは今もよく覚えている。

それでもできることってあるはず、あきらめない 

 モヤモヤした気持ちを抱えながら、ある時、精神科のPSWにカウンセリングについて話してみた。その人も同じように感じていることが分かったが、どうすることもできないなという内容でその場は終わった。できることを真摯にやっていこう、という気持ちで現在にいたっている。

 ただ、ふと思い返した時「カウンセリング中断することにしました」と報告してくれた青年も、家族が「お金を持っている人用のものだね。使えないわ」と言っていた世帯の青年も、確かに移りゆく環境の中にいた。

 自分で考え調べ、時には一緒に考え動き、彼らはさまざまな選択をしてきていた。進んでは戻りを何度も何度も繰り返しながら。笑顔が見られ、聞くことのなかった声を発する瞬間があった。

 数年にわたるひとりの人への関わり、プロセスのなかで大切にしてきたこと。それは、本人の持つ力を信じていたこと、相談者という視点ではなくひとりの人として向き合いコミュニケーションをとり続けてきたこと。他機関を信頼し連携してきたこと。それだけだ。

 もちろん時と場合にはよるが、なにかひとつに固執してしまう必要はないように思う。
 無理なものは無理なのだと受け入れたうえで、今できることを一緒に考えていく。信頼関係と、ものごとを見極めるまなざしをしっかり持っていられたなら、ゆるやかに流動的くらいで良いのかもしれない。

 そう思いながらも、この社会資源を利用したいと自ら希望する人が、みな平等に使えるようになればいいのにと私は今も思いながら仕事をしている。


#ソーシャルワーカー #仕事をしながら感じてきたこと#社会資源#平等に利用できるということ

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