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自分が楽しむこと忘れないよ

2021年は仕事もプライベートも大きな変化があった。自分で選択したことも、なかば強制的に変化をうながされたことも。

たくさんの変化の渦中、泣くわ笑うわ感情が忙しく、人とコミュニケーションをとり誰かと出会い別れ、大きく自信を失い落ち込み、それでもなんとか日々を過ごしてきた。正直めちゃくちゃきつかった。

目まぐるしく2021年は過ぎたわけだけど、このお正月、なんとまぁ穏やかに過ごすことができている。心は爽やかかつ軽やかさを取り戻し、波打っていない。2021年を振り返ることのできる余裕がある。

そこで、今日は「自分が楽しむこと」について書き留めておこうと思った。

・ずっと誰かのために生きてきた


夏に離婚するまで、長らくいた組織を離れることにした1年前くらいまで、私は「自分」を後回しにしていた、とっても自然にそうしていて、それが当たり前で普通で、そうするべきだと思っていた。

その理由は、もうしっかりとした大人だから、母親だから、奥さんだからというもの。与えられた役割をまっとうしなきゃと、自分で自分を縛る気持ちが強かったから。余裕がなかったのだね。

たまに感じる違和感や窮屈さ、しんどさは、見ないふりをしてきた。

そんな私の在り方は少しずつ限界を迎えてゆくわけで。

自分のなかの違和感を自分でどうにかしようとせず、外側になんとかしてもらおうとしてきた。例えば、物欲、過度な承認欲求などなどに置き換えられ、対処療法的に違和感を軽減させることを繰り返してきた、ように思う。

これではいかん!と危機感を覚えたのがやっと1年前。気づくの遅かったな。でも気づけて良かったねと思う。

当時、自宅の本棚から久しぶりに手にした茨木のりこさんの本。

自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ

この言葉を見て「あーー、私まったく守れてないやん」と思ったこともしっかりと覚えてる。

自分の感受性を後回しにすると、いろいろと麻痺しちゃうんだなぁって思った。

・私の好きを思い出す日々

そこから、かっちりと固く閉じられた自分の引き出しから、好きなこと心地よいと思っていたことをひっぱりだす作業に取り組んだ。

思い出すわけなので、そうだそうだと嬉しくもある反面、かなり辛さをともなった。これまでは、自分の外側にあるものでなんとかしてきたことを、がっつり自分ひとりで向き合わざるを得なくなったから。

そうやって長い時間をかけ思い出せたこと。

海や山、空の広さを求めていて、些細でもいい、自然を愛している。
音楽がなくてはならない。
香りや空間を自分の好きで満たしてあげると喜ぶ。
ひとりの時間が必要。
知らない場所、知らない人、移動、未知のものに触れることで活性化される。
閉塞的でないオープンなつながりがある。
風通しの良いコミュニケーション。
身体を労わる時間の確保。

これがあれば、例え忙しくても、悲しいことがあっても、自分の感受性を自分でしっかり守れることが少しだけど分かった。自分の機嫌は自分でとってあげようって思えるようになった。

長らく気づいてあげられなかったな。

・周りの景色の変化と変わらないもの

もちろん、まだまだうまくできなくて戻されそうになることはある。それでも少しずつ、できる範囲内で無理せずに自分の好きを大切に過ごしている。

そんななか、最近ある変化に気がついた。

私を取り巻く景色が変わってきているということ。離婚したし会社を辞めてフリーランスになったから、風景が変化するのはしごく当然なのだけど、新しく出会う人、関係性、環境、価値観などなど、おもしろいくらいにだ。

共通して言えるのは、重さがなくとっても軽やかであるということ。風通しの良さを求めている私からすると、なんとも嬉しい変化なのだ。

そんな目まぐるしい変化の渦中、変わらないものがしっかりとあることにも気づく。これはめちゃくちゃ嬉しい気づき。数にすると削ぎ落とされ少なくなったけど、だからこそ、よーし大切にしていくぞ!と。改めて思えた。

子どもたちへ、完璧なお母さんじゃないけどね、いつもありがとう。
今年もよろしく。



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