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その日が確実に近づいてきている。

あるニュースに心がざわついている。

コロナ禍になって以降初めて、Jリーグで「声出し」の応援が一部解禁されたというニュース。これから少しずつ慎重に、全面解禁に向けて進んでいくようだ。私が通う等々力陸上競技場に「その日」が来るのも、遠い先のことではなさそう。

ほとんどのJリーグサポーターが心待ちにしているのであろう、あるべき「日常」の再来。だが、2021シーズンに初めて現地観戦をした私は、その「日常」を知らない。映像では見知っていても、肌で感じたことはない。

先日久しぶりに2019年のルヴァンカップのDVDを観た際、観客席の様子にも改めて注目してみた。なんというか、こんな時代があったんだなあというのが率直な感想で。今通っている場所がもうすぐこうなるという実感は湧きづらかった。


「その日」、サポーターの声が響くスタジアムを体感したとき、私はどんな感情を抱くのだろう。

周りの席の人たちが感極まっている姿を横目に、自分はその感動を共有できないし雰囲気も変わってしまうしで寂しくなる(いじけるとも言う)?

自分は声出し応援の時代を知らないけど、サポーターさんたちに感情移入して一緒に感極まる?

それとも、ただただその迫力や空気感に圧倒される?


心がざわついているのは、最初に書いた選択肢になりそうな気がしているからだ。

昨年4月に初めて現地で観た試合は、観客上限10,000人だった。その後まん延防止の影響で5,000人の試合が続いた。

長い間現地観戦が怖くてできなくて、緊張しながら通い始めた私。コロナ禍による制限はむしろハードルを下げてくれるものだったのだと思う。上限が増え、隣が一席空いていたのもなくなって・・・と制限が緩和されるたび、最初こそドキドキしたがすぐに慣れていった。

だが、声出し応援「なし」から「あり」に変わることで、スタジアムの雰囲気は一変するのではないかと想像する。昨年、今年と16試合に足を運び、緊張しいの私でもさすがに慣れ親しんだ場所。それがまったく別の顔を見せるのではないか。本来の顔なのだけど、私の知らない顔を。


なーんて、大げさに書いてるけど、きっと全然平気だよ!・・・と、客観的視点から自分を励ましてみる。未知のことを怖がりすぎるのは私の弱いところだ。たとえ声出し応援の雰囲気に疎外感や違和感をおぼえたとしても、試合に集中していれば気にならないだろうし、そうしているうちにいつかは馴染むだろう。

それに、常にポジティブなものでないとしてもこんなふうに心が動くことは、きっと大好きなものがあるゆえの醍醐味であり幸せなことなのだろう。自分の感情がどう振れるかも含めておもしろがってしまえばいいのかもしれない。


「その日」のこと、気にはなるが、今はとにかく自分のやるべきことをやろう。やるべきこと、すなわち、次の等々力参戦日とチケット発売日に向けての段取りおよび気合い注入だ。


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