必要なこと

前回の投稿でこう書きました。

“この「諦める」という作業は、私が障害児の親として生きていくために必要なことだということです。”

この「必要なこと」というのは、私にとって大事なキーワードです。今回はこのことについて少し書いてみたいと思います。

数年前、半年ほど心理相談に通っていました。具体的な相談内容は伏せますが、先生との話の中でこんなことを話しました。

「過去の嫌な出来事をわざわざ思い出しては、落ち込んだり怒りを新たにしたりしてしまう。気にしなければいいとわかっているのに。こんな自分が嫌だ」

先生の回答は、私の価値観の範囲を超えていて、強烈なインパクトを持って私の心に響きました。

「嫌な出来事をときどき思い出して『私はまだ怒っている』『私はまだこんなに傷ついている』と確認することが、あなたにとって必要なことなんじゃないでしょうか」

私には意外すぎた先生の言葉はストンと胸に落ちるものではありませんでしたが、とにかく言葉のとおりに受け取ろうと意識しました。その結果、この件に関して自分を責めることはなくなりました。

心理相談に通っていた頃は、まだ息子の発達の遅れが見えていない時期でした。その後、発達の遅れや息子との向き合い方に悩むようになってから、この「必要なこと」という考え方に救われるようになりました。周囲を困らせる行動や、他者の目には奇異に映る行動であっても、彼にとって必要なことなんだと。

「良いこと」「悪いこと」ではなく「(その人にとって)必要なこと」。この考え方は私を、息子に対しても、自分自身に対しても、寛容にしてくれます。誰のことも否定しない言葉。何かあるとすぐに自分か相手を責めてしまう私は、この言葉の優しさに癒やされます。

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