混沌の年中時代を振り返る(3)私の衰弱するメンタルと突然の収束


(1)、(2)で書いた内容に加えて、単発でも私のメンタルを消耗するような出来事がいろいろとありました。5歳児健診で大荒れしてほとんど何もできなかったり、公園で知らない子を押してしまったり。もうボロボロでした。

愚痴を吐き出すくらいの気持ちで療育センターに相談したところ、早急になんとかした方がいいということになり、息子を長時間預かってもらえる事業所を手配してもらいました。ママがとても辛そうだから、とりあえずママの休息が必要だと。レスパイトというそうです。

息子と離れる時間が長くなり、間違いなく助かったはずなのです。なのになぜか精神的に楽になった気があまりしなくて。事業所との契約が増えることで発生するさまざまなこと。書類を書いたり、電話したり。何かを考えたり、決めたり、変えたり。普段なら(好きではないけれど)そこまで苦にはならないそれらのことが、負担でたまりませんでした。その頃の私の精神状態をうまく説明することができません。たぶん、もっと早くSOSを出すべきだったのかもしれません。

そんな状態のまま月日が過ぎ、年中最後の日を迎えました。

その頃には、幼稚園で突然裸になることは少なくなってきたと先生から聞いていました。登園・降園・帰宅拒否は相変わらずでしたが、出入口を変えてみたり、ときには「おさんぽいきたい」にとことん付き合えるように早めに家事を終わらせておいたりと、なんとかストレス少なくやり過ごす術を見出しかけていました。今思えば、混沌の時期は少しずつ収束に向かっていたのかもしれません。ただ、当時の私の感覚的には、突然「それ」がやってきた感じでした。

翌日から春休みというその日、夕方に歯科を予約していました。1歳前から定期的に受診しているところで、普段はまったく泣いたり嫌がったりしないのですが、その日は違いました。到着前から激しく嫌がり、無理矢理つれて入ったら脱走を謀り・・・結局、診てもらうことはできませんでした。治療ではないので一回休んでも問題はなかったのですが、それまでできていたことができなくなっていく、そのことにショックを受けながら疲れ果てて帰りました。

帰宅直後、息子が「おにくやさんにいきたい」と泣き出しました。歯科からの帰り道、精肉店で買い物をして帰ることがあるのですが、その日もそうしたかったようです。疲れ果てていた私でしたが、晩ご飯の準備もお風呂の準備もできていたし、家にいても泣き続ける息子の対応に疲れるので、了承しました。「お肉屋さんには行くけど、今日は買い物はしない。お肉屋さんの前まできたら、何も買わずに家に帰る」。出かける前にそう約束させました。実際は守ってくれる訳ないだろうと、長期戦を覚悟しながら。

でも、彼は約束を守れました。精肉店の前でUターンして、まっすぐ帰宅できたのです。小一時間前の歯科での荒れ様を思うと、突然別人になったかのようでした。そしてその流れのまま、翌日からの心配していた長期休みも、大きく崩れることなく比較的穏やかに過ごすことができました。こうして混沌の時期が終わりました。

年長の現在も決してストレスがないとは言いませんが、あの年中時代を思えばこんなの!と思いながら日々過ごしています。


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