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観音崎公園

翡翠と横須賀に来るのは2回目で、数ヶ月ぶりだった。バスの車窓からは雲一つない水色の空と、少しくすんだ群青色の海が広がっていた。天気が崩れることも、息苦しい人混みに巻き込まれることもなく、私たちにとって幸運な連休だった。

幸運といえば、この頃私は幸せについて考えることが増えた。小さいころから感じていた「なんとなく憂鬱な感じ」が大人になってから息苦しさやアレルギー症状となって現れ、社会人一年目にかけて、毎朝起きるのが辛くて仕方なくなった。仕事に慣れ、心は少しずつ安定していったが、毎日会社と家を行き来してばかりの毎日はなんだか味気無かった。

幸せとは、目指すものでなく日々の生活の中に見つけるものだ。

「すごい、海だ」と私が指差した方向にきょろっと視線を向ける翡翠を写真に収めた。丁度良い写真が撮れた。丁度良い写真が撮れたことを、数日後に始まる仕事のことを考えずに純粋に喜ぼうとした。バスの中の空気は丁度良くあたたかくて過ごしやすかった。その後、私たちは観音崎でバスを降り、観音崎公園の海岸を歩き、海が一望できる丘を見つけてベンチに腰掛けた。

すごい大きな船来たよ。

翡翠の言葉はやわらかい。

視界の端に巨大な貨物船が入り込んできた。他にも、様々な大きさの船がするすると前進していた。どれもゆっくり進んでいるように見えたけれど、数分で視界の左側から右側へと移動していく様子から、かなりのスピードを出していることがわかる。

あっちは千葉かな。
あの船って海外に行くのかな。

翡翠の隣に座り、いくつかの答えても答えなくても良い質問をした。青い綺麗な空気をゆっくり肺に入れた。雑多な都会のどこかにある私の職場が、頭の隅で段々と掠れていくのを感じた。

別にね。行こうと思えばどこへだって行けるんだもんね。私たち。

その後は海辺の食堂で小腹を満たし、昔バンドをやっていた店主が突然始めた弾き語りに耳を傾け、美術館に行った。やがて日が暮れ、近くの停留所からバスに乗って帰路についた。窓の外は、数時間前の公園の景色が夢だったかのように真っ暗だった。

大きな船が来たよ。

公園で翡翠と交わした会話が耳の奥で鳴って、車内のパリッときつい蛍光灯の灯りが少し和らいだ。幸福な疲労感に包まれてバスに揺られる。今日はあまり憂鬱な気持ちにならない。何かの間違いで、このまま二人で永遠に夜道を走っていられないことだけが、ただ少しばかり残念だった。

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