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写真機

カメラが登場する恋愛映画が多いのはどうしてだろうと、寝ようと思っていた矢先に考え始めてしまった。

好きな人と過ごす時間はこの上なく幸せだけれど、その背後には常に恐怖に似た陰鬱な感情が付きまとう。この時間は、いつまで続くのだろう。この人と居られる時間は、もしかするとそう長くはないのかもしれない。刹那的な幸せをどうにかして永続させるために、人はカメラを手に取るのかもしれない。

恋人が笑う瞬間をカメラに収める。映画の中のそういった光景には、桜や、風や陽の光もあることが多い。すぐに散ってしまうもの。やがて止んでしまうもの、暗くなってしまうもの。これらに共通していることは、どれも永遠ではないということ。永遠でないものに囲まれた、永遠でないかもしれない関係。弱く感情的な人間がその切なさに耐え切れるはずがなく、しがみつくようにシャッターを切るのではないか。砂を掴もうとして指の間からすり抜けていくように、刻々と時間が過ぎていく中で。

画像は、昨年の春に友達と出かけた際に見つけた桜を写したもの。この数ヶ月後、私は大切な人と別れた。ずっと心の中に押し込めていた予感は、残酷なまでに正しかった。別れることが決まった日、初めて蝉の鳴き声を聞いた。これから季節は彼がいないまま流れていくんだと気づいて涙が止まらなかった。

カメラロールを遡ると今でもあの春の日の桜の写真がある。フィルムに冷凍保存された桜の賞味期限は長くはもたない。結局のところ、カメラは、一瞬を永遠にすることはできないのだ。それでも私はフィルムを買い続け、写真を撮り続けている。いたずらにしがみ付こうとしながら。賞味期限が切れるたびに、更新を重ねながら。

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