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希望すぎて、泣ける

成長したり、変化していっても、またどこかでつまずく。その繰り返し。変わりたいと思って、思うように変われないことも多々ある。それもまた人生。

変化の実感

その頃の私には変わっていけている実感があった。新しいことや人に出会って、自分の変化を実感できることがあって、単純に「幸せだな」と思っていた。年齢や能力の限界(と自分が感じるもの)、子育てを含む環境など、言い訳にできるものはたくさんあったと思う。そんな中、「あ!いまいい感じ」と思えたり、自分の変化に喜びを感じられることがあった。

そんなことを20才近く離れた若い人に話した。話したというより彼女の頑なさに昔の自分をみたようで、自分に語りかけるように、ぽつりぽつりと言葉が出ていったように思う。

私は私と話していたのかもしれない

20代前半の彼女にとって、40才近かった私はどんな風に映っていたのだろう。私の言葉のどこが彼女の琴線に触れたのかはわからないけれど、彼女は泣いた。「希望すぎて、泣ける」と言った。この年になっても変われるという実感があるということが彼女には驚きだったようだ。

私は彼女の姿を見て、自分を見ているようだった。ずっと変わりたいと思って変われない自分、自分の嫌いな自分に苦しんでいた時期から、ふいと外に足を出してみた途端の出来事だったので、自分を諦めずに歩いてきてみてよかったと思った。

「希望すぎる自分」が私の中で温かみをつくっているのだと思って、うふふと笑って、今日も希望を感じてみよう。



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