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もういい。

 書こう書こうと思って8月になった。思い立ったのは5月だったが、書くという行為に痛々しさを覚えてしまうから、いつの間にかずるずるとここまで来てしまっていた。

 なぜ痛々しさを覚えるのかというと、それはきっと読み手が抱いた感想に対して即座に訂正ができないせいなのだ。会話であれば、口下手なりに相手の誤解をその場で正すことができる。でも、文章ではそれができない。自分の文章のつたなさや相手の読み違いで生まれた誤解を解くのは容易ではない。コメントを書き込んでもらっても、こちらが返事をするときに相手はすでにもう立ち去っている。その人がこちらの返事を読んでくれる保証はどこにもない。

 コメントを貰えるならまだいい。感想どころか、僕の文章を読んだことすら教えてくれないその人にどこかで密かに嘲笑されていることもある。飲み会のネタなんかにされたりして。読んだことを教えてもらえない、その場合の方がきっと多いだろう。人のSNSやブログを読むうちにいつの間にか僕の中で次第に出来上がった “書くこと” についてのイメージは、大切に育てた魚を放流したところで結局は自分の知らない遠地でめためたに痛めつけられてしまう、というもの。

 だから、文章はどうしても人目を意識したものになってしまう。どうせ誰も読まないと分かってはいても。誤解を生まないために説明的になり、言葉選びに力が入る。持論に反論されないために、「こいつ馬鹿なんじゃねえか」と笑われないために理論武装し、体裁を考える。その気取りが痛々しい。痛々しくて、ダサい。

 でも今年の5月に、そういう痛々しさやダサさをこらえてでも書かなければならないと思うきっかけがあり、だからこれからは書くことに決めた。だいたい、なにかを始める前に痛々しさを先回りで感じ取ってその行為を諦めることや、痛々しさを伴う活動をしている人々を鼻で笑い、それでいて自分はなにもしない、ということの方がよっぽど痛々しいんじゃないか。

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 こうした前置きによってこれから書くきっかけがなにかとてつもないものであるかのような気が自分でもしてくるので、そろそろ本題に入ると、書く必要性を覚えたきっかけはふたつ。

 ひとつめは戸田真琴の文章だ。戸田真琴がサブカル的な立ち位置の女優であることはなんとなく知っていたけれど、Twitterのタイムラインに流れてきた「人生は夢のようなものだろう」というコラムを読むまで、彼女がこんなに美しい文章を書く人だとは知らなかった。タイトルと淡く光り輝いているようなサムネイル(ウォーク・オブ・フェームの画像)が自分の中でマッチして、彼女の文章を初めて読む気になった。そして、僕は冒頭からその光あふれるあたたかな文章に惹かれていた。僕はこのコラムに書かれた情景を知っている、絶対にそんなわけはないのだが知っているし、砂漠へ向かう車のなかに差し込んだ陽光に彼女がまぶしそうに目を細めた瞬間まで覚えている、自分に無関係の出来事を覚えているのはきっと似たような記憶が僕にはあるからなのだ、でもいくら掘り返してもそんな記憶は出てこない、出てこないが “あの頃” にそんな出来事は確かにあったはず……と彼女の文章はこんなふうに遠くまで思考を運んでくれる。誰もが持つ “あの頃”、振り返ったときに誰しもが郷愁を覚える “あの頃”、そこに満ちていた光とそのあたたかさ、大げさかもしれないが、そういうものを僕は彼女の文章から感じ取る。

 そんな経緯で戸田真琴のnoteを読んでいたら、ゴールデンウィークの最終日に泣くことになった。ファン投票で受賞者が決まる賞レースの投票締め切り日に、戸田真琴は彼女にとっての幸福の定義を語った。

幸福は、上手に嘘をつけるようになることでも、誰かの好みに準じて見目を美しく整えることでも、何万人ものひとにイイネを押されることでも、高級なスーツを着ることでも、そういうことを誰かに共有して憧れられることでも、手に入らない。

と述べた彼女にとって、本当の幸福とは。

幸福とは、夜中の海沿いを缶コーヒーひとつでずっと歩いて、ぽつり、ぽつりと話しながら、遠くの白波をふと眺めて「なんか怖いね」、ってふたり同時に思うこと。この世界のままならなさを、諦めたふりして何一つ諦められないままで、戦っている、あなたと一緒に怯えること。

 ゴールデンウィークの最終日、僕はここまで読んで、「寝ると明日が来てしまう」と会社に行くのが嫌でずるずると “今日” を引き延ばしていた夜に少しだけ泣いた。彼女がこの文章を投稿したのは2019年1月31日。僕は投票していないし、そもそも僕はその頃に戸田真琴を詳しく知らなかった。だから僕はこの文章の最後に書かれている「みなさん」ではないわけで、言ってみれば蚊帳の外の人間だ。でも、この「同時に」という部分が分かる。「同時に」という言葉自体にか、「同時に」と書く彼女の気持ちにか、どちらかは分からないけれど、胸が締めつけられて実際に涙が出るほどその感覚については “分かった” のだ。

 共感者の存在が幸せだというのなら、「なんか怖いね」と言ったときに「ね、怖いね」と頷いてくれる相手がいてくれること、それが幸福であるという書き方でいいのだ、本当は。しかし、戸田真琴は、ふたりが同時に「なんか怖いね」と思うことが幸福なのだとあえて書いている。なぜか。それはきっと、心に湧き起こってすぐの感情や気持ちが何よりも本当だから。感情や気持ちは言葉にした時点で、なにかが失われてしまうから。

 たとえば「悲しい」という言葉は、僕たちが日々抱えている悲しみを表現しきれているか?

 会話によってお互いの気持ちが通じ合っていることを確認しても、言語化したことでその感情や気持ちは一部が欠けてしまっている。だから、白波を見て「なんか怖い」と思い、それを喋ってみたところ、相手が共感して頷いてくれる……それでは遅いのだ。遅いから駄目というわけではない。共感者の存在自体は嬉しいものだ。気持ちを分かってくれる人がいることは嬉しい。だけど、その共感者が分かってくれた気持ちというものは、一部が欠けた気持ちなのだ。だから、その共感はある意味で誤解と言える。体験談でも、漫画や映画の感想でもなんでもいいが、共感を求めて話をしたところ、相手が「それ、分かる!」と理解をしてくれた、でも会話を続けているうちに段々と「あ、自分が言いたかったのはそういうことじゃなかったんだけど……」と訂正しづらい空気になることは多い。そういう話ができる時点で楽しいし、部分的には話が合っているので訂正はしないのだけれど、分かってくれる可能性のある人がせっかく隣にいるのに、その人は僕の伝えたかった本当の気持ちとは違うものに共感している、と思うとなんだかしょんぼりした気分になってきてしまう。

 胸中に湧き起こった気持ちを伝えたくても、言語化が誤解による共感を生むのであれば、いくら言葉を継ぎ足しても相手を真の理解に到達させることはできない。これが、仲間に囲まれながらも「自分はひとりぼっちだ」という矛盾的な気分に人が陥る原因だろう。じゃあ僕たちは永遠に他人を理解することもされることもなく、この世界にひとりぼっちだという気持ちを抱えてずっと生きていくのかというと、そうではないと僕は思う。戸田真琴の書いた「同時に」という感覚に救いはあるのだと祈るようにして思う。ふたりが同じ思いや気持ちを同時に抱くことができれば、真の共感というものは成るはずなのだ。

 夜の海を前にして遠くの白波を「なんか怖い」と思い、それを相手に分かってもらいたいとき、言葉によるコミュニケーションは伝達の手段として遅すぎる。生まれたままの気持ちを伝えたいのであれば、はじめから伝達という手段を使わなければいい。心的世界というものがあるなら、そこに「なんか怖い」という思いが同時に浮かぶ。夜空に打ち上げられた花火を眺めるようにして、ふたりでその思いを見上げる。そういうふうに同じ思いを抱くことができたとき、別々の身体に生まれて本来は分かり合えないはずのふたりの魂が一致したと言えるんじゃないか? いま隣にいる人が「自分と同じ風景を眺めて同じことを感じている」と言葉を交わさずに分かる。それが本当の意味での「ひとりじゃない」ということなんじゃないか? 「ひとりじゃない」からこそ、戸田真琴は『遠くの白波をふと眺めて「なんか怖いね」、ってふたり同時に思うこと』が幸福なのだと書いたんじゃないか?

 大切なのはその魂の一致の瞬間まで、自分の感覚を研ぎ澄ましておくこと、そういう可能性のある相手との関係を築き上げておくことだ。自分の感覚と相手との関係性に揺るぎない確信が持てれば、いざというときに「でも本当は違うことを感じているかも」と疑念が頭を過ぎることもない。

 この「同時に」の感覚を、説明の必要もなく直感的に分かる人は、どれくらいいるのだろう。きっと少ないと思うから、こんな文章を書いてくれる人が存在することに僕は泣いたのだった。僕も、この「同時に」の感覚を抱えて生きている人に向かって呼びかけるような文章を書いていきたい。

***

 書こうと思ったふたつめのきっかけはNo Ageのライブだった。正確には前座のNo Busesの演奏を観て。これもゴールデンウィークのことだ。

 Youtubeで何曲か聴いてすごくいいバンドだとは知っていたが、ライブで演奏される曲が全部良くて圧倒された。No Busesがやっているのは、ロックンロール・リバイバル期の洋楽に影響を受けた日本人ができる理想形の音楽だと思う。

 メンバーの見た目もいい。ギターは長髪が似合っていて黙々とリフを弾きこなしている感じ。ハイポジを多用するベースの女の子は演奏中に少し不満げな表情を浮かべているのがいい。ドラマーはメンバーのなかで唯一サブカル特有の暗さがない。きっと彼は高校で軽音部だったからメジャーな音楽にはもともと理解がある。それから大学に入り、仲間の影響でインディー・ロックを本格的に聴き始めるようになった。そのメジャー過ぎずマイナー過ぎない趣味の塩梅がちょうど良く、No Busesに誘われたのだと(本当に)勝手に想像させられる。ボーカルは、いわゆるフロントマン的な華やかさはないのだけれど、見ているうちに彼がこのバンドの真ん中に立って歌っている理由が分かる、というか分からされる。

 そんなNo Busesの演奏を前に僕は、泣きながらも笑っていたいようなごちゃまぜの感情で立ち尽くしながら、心では彼らの才能にひれ伏していた。No Busesみたいに分析の必要もないほど瞬時に良さを理解させてくれる存在は心地いい。もっと圧倒的な差をつけて俺を叩きのめしてくれと思う。

「ゴールデンウィークの最終日……みなさんいかがお過ごしですか? 僕は大学でした……行かなかったですけど。行かなきゃダメですね、学校……」

 前情報で彼らが大学生であることは知っていて、だからボーカルがMCで大学生活を話題にしても驚きはなかった。でも、そのMCの、ぼそぼそとした語り口というか、声を張らないテンションが、彼らの楽曲に匹敵するくらい衝撃だった。チューニングをしているときの間を埋めるために仕方なく喋っている感じ。だからと言ってこちらは不快になるのではない、思わず笑ってしまう。しかもそれはボーカルにとって計算外の笑いではなかったはず。自分という人間が他人からどう見られているのか分かっている話し方で、彼は意図的に笑いを取っている。聞き手を惹きつける楽曲があり、このMCがあり、ボーカルが「行かなきゃダメですね、学校……」と言った瞬間、僕は思わず「君は学校に行かなくていい」と心の中でツッコんでいた。

 そのとき、僕の頭にはこの曲の歌い出しが浮かんでいた。いまその歳でNo Ageの前座を任されている君にとって大学生活は足かせでしかない。だから、大学なんか行かなくていい。行かなくていいように君は積み上げてきた。

 一方なにかを積み上げることを避けてきた僕はといえば、留年してから毎日大学に通い、履修登録をしたすべての講義に出席していたのだった。それでようやく卒業できた。なにかをごまかし続けて卒業したような気分がいまでもしている。一二年の頃はサボりがちだった大学。中学でも高校でも、行きたくないと思ったら家で昼過ぎまで寝ていた。それもかなりの頻度で。そんな僕が、学生生活の後半は毎日大学に通うようになっていた。それがいったいどういうことを意味しているのか、心の、本当に本当の奥底では分かっている。

 なにかを積み上げない生活では現状維持も難しい。だから、書くことに決めた。


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