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大二病

私は先週コロナにかかってしまい、一週間暇を持て余していたので自分の進路についてあれこれ考えていた。その中で、同年代の間でコロナよりも流行っている病に自分はかかっているのではと気づいた。

それは、大二病である。大二病とは、自分は他の人と違う「非凡さ」を持っていて、その非凡さを社会が認めてくれることによって自分に平穏な未来が待っていると夢想する病である。なぜ大学二年生かというと、一年生の間は新しいことを吸収しようとする柔軟さと学習意欲があり、三年生は就活や自分の行く末について真剣に考える時期だが、二年生というのはコミュニティの馴れ合いに夢中でまだ何も選択していない気楽さから、どうも天狗になる時期のようである。

「自分は〇〇に真剣に取り組んでおり、今が楽しければそれでいい」
「自分は〇〇の分野で活躍できると思うから、それ以外のことには興味がない」
「根拠はないが、自分は自分の好きなことで暮らしていけると思っている」

結果としてこういう大学二年生が爆増してしまう。この大二病に陥りやすい罠の解説と、大二病から脱却する方法を検討する。

大二病の例

まず、大学二年生に関わらず大学生全般は、大学生同士で交流し合い、大学生同士のコミュニティを形成する。年齢も関心も近い学生同士は、自然と育った環境や考え方も似通っていることが多く、周りには自分と感覚が近い友人、知人しかいないこともある。

大学生のうちはそれで大いに結構。問題は、いざ就活しようとなったとき、同年代としか関わったことがない学生は「大学生同士の共通言語のまま」社会に出ようとしてしまうこと。クラスでかっこいいと評判のAくんが意気揚々とモデルオーディションに向かってしまうようなもんだ。
「日本はこのままだと後進国の仲間入りだから海外に出稼ぎに行くべきだ」のような、大学生同士がニュースを見たあとカフェで話すような内容を意識の高い会話だと思い込んでしまい、会社の採用面接で「日本の今後について何か思うことはありますか」と問われた時に悠々とカフェの会話と同内容を語ってしまう。しかも、こんなことを語れる自分カッコイイと自慢げに。

こうなってしまう理由は、自分達の思考、会話を「それってみんな考えてるよ」「ネットの記事を鵜呑みにしただけで自分の意見になってないよ」と評価してくれる人がいないからだ。友人同士でそんな辛口叩ける間柄は稀だと思うし、大体こういう会話は現状を語り合って、どうすればいいのか分からないから難しいよねっというふわっとした答えしか出ない。少なくとも私の周り(早稲田大学の学生)で建設的な議論をしている人を見たことがない。自分含め。
他にも、自分と近い環境の人に囲まれて視野が極端に狭いままに世の中を語ってしまったり、自分の芸術的才能を大学の友人に評価され、それを過度に信用して卒業後も突き進もうとする学生は後を絶たない。井の中の蛙を指摘してくれる人は井戸の中にはいない。

自分の頭の悪さに気がつける唯一の方法は、同年代ではなく、今まさに社会であくせく働いているひと周り上の世代と真剣に対等に話すことだ。しかしそんな機会はなかなかない。あったとしても「〇〇さんはちゃんと考えていて偉いね」と言われるのがオチだったりする。よって、初めてひと周り上の世代と対等に話すのが会社の採用面接、なんてことがしょっちゅうなのである。
そして採用面接で落ちると、「僕の実力が分からない企業なんてもったいない」「アピールに失敗した(正しくアピールさえしていれば受かった)」と自己防衛を連発し、Twitterに「内定一個も出ない。社不。病みそう」と呟いて友人のリプを待ったり、Instagramのストーリーに「もうやめたいしんどい」とギリギリ見える文字で投稿したりする。大二病を患ったままの大学四年生だ。

ここで考えられる反論の相手としては、「いや、僕は国際ボランティアで大人と関わっていました」「広告研究会で企業の方にたくさんお話を伺いました」という、周りからは優秀な学生だとチヤホヤされる系の活動をする人。でもそれって、=自分は他の人と違って優秀ですってことだよね。ここで、大二病は何だったのかをおさらいしよう。自分は他の人と違う「非凡さ」を持っていて、その非凡さを社会が認めてくれることによって自分に平穏な未来が待っていると夢想する病のことでした。まさに、意識高い系学生に当てはまりませんか?
武器を持つのはもちろんいいこと。留学しました。ボランティアしました。サークルでスポーツに打ち込みました。ない学生よりはいい。でも、「私の〇〇という経験を活かして社会貢献したいです」と言っていてはだめだ。では、どうすればいいのだろうか。

社会の歯車になりにいこうとする勇気

「私の〇〇という経験を活かして社会貢献したいです」
これは、自分の経験を活かせる職場を求めています!というアピールだ。しかし、就職活動というのは「会社に〇〇という利益をもたらします」と就職先から見て自分が必要なメリットを語る必要がある。まあ、積極的に会社の馬になりにいく姿勢が求められるってわけ。それを知らずに「(〇〇という経験を持っている)自分は特別優秀なので、採用してくれたら素晴らしいポテンシャルを発揮するんです」という学生は多いらしい。でも、面接担当者側からしたら、「ふーん。じゃ、どうウチに貢献してくれるか詳しく説明してちょ」となる。そんで「まだわかりませんが、がんばります」となり、「具体的に言えないならサヨナラ」となる。

「積極的に会社の馬になりにいく姿勢」に拒否反応を示す人は多い。私もそう。まさに半年前の自分はそうだった。(「私が就活したくない理由」という記事を参照)
しかし、よく思い返してほしい。あなたは社会に大の字で寝ていられるほど優秀だっただろうか。実は、ごくごく平凡な学生じゃないだろうか。
平凡な学生は、自分という存在を等身大で認めてもらいながら給与をもらえる場なんてのは存在しないと思った方がいい。(ないなら作るぜ!って人が起業したりクリエイターになっていく)等身大で認められないから、社会用に自分の身体をこねくり回して、どうにか社会の歯車の一員になれるようにカスタマイズしていくのだ。既存の社会に、どうにか「入れてもらう」のだ。でもカスタマイズしすぎて自分の興味とかけ離れると鬱になるから気をつけよう。

これは、楽しい作業ではないかもしれない。自分の個性を消すことになるとお思いになるかもしれない。確かにそうだ。でも、一回自分を社会の型に押し込んでみたら、そこからどうしてもはみ出してしまう自分を再確認できる、かもしれない。そのはみ出してしまったものこそ、社会がまだ拾いきれていないあなたの個性、なのかもしれない。

大二病患者が考え直すべきこと

自戒も含め。
どんな将来を選択するにしても、覚悟が必要だ。私は就職をまるで簡単な道のように思っていたけれど全くそんなことはなく、全力で体当たりしないと自分に正規雇用の仕事なんて降ってこない。給与の高さと、自分が社会で必要とされている度合いはある程度比例すると思う。無理に大きくなる必要はない。自分が生活できるだけの大きさの歯車をどうやったら確保できるか。それを考えていく必要がある。

かなり資本主義的な考え方なのもよく理解している。周りの芸術系の大人は「一度しかない人生、夢に向かって生きればいいじゃん!」「やりたいことをやっていればどうにかなるよ」と無責任に言ったし、そんな大人の発言を私は何度も鵜呑みにしてきた。
違う。
どうにかなる、のではく、どうにかするのだ。自分の手で。

いつか「自分は何がしたいのか」という視点から、「自分は何をすれば生活できるのか」にシフトチェンジする過程は必要になってくる。夢もクソもない話だ。でも、自分でどうにかしない限りどうにもならない。これに気づくのに4年かかった。どうして大人は「どうにかなるよ」と言う癖に、「どうにかする方法」を教えてくれないのだろう。「どうにかなるよ」と言う大人は、自分でどうにかした大人ばかりなのに。
例えば、
舞台俳優になりたい人がコンビニのバイトをしながらオーディションを受けまくっているとする。舞台俳優としての給与はほぼないので、先述に基づいて言うと舞台俳優としては社会に必要とされていないことになる。しかし、ある時を境に急速に売れて月100万稼ぐ売れっ子俳優になったとする。舞台俳優として当たるかどうかは正直運の要素が強い。演技が上手い下手も、オーデイションの合否も運である。よってこれは自分の選択に関係なく「どうにかなってしまった」パターン。
また、同じく舞台俳優を目指してオーディションを受けまくるコンビニ店員がいたとして、コンビニ店員の給与では俳優を続けられないと悟って副業でメルカリせどりとウーバーイーツを始めたとする。徐々にせどりで稼げるようになってコンビニを辞め、おかげで固定シフトで行けなかったオーディションや稽古に行けるようになり、その時間で俳優活動をする。生計はウーバーとメルカリで立てる。これは俳優を続ける現実的な手段として「自分でどうにかした」パターンだ。
どちらが自分の在りたい姿に近いだろうか?正解はない。私は、何もせずどうにかなってしまった大人より、自分でどうにかした大人の方が偉いなと思う。

自分が社会にどう適応するかを検討しない限り、社会をどう自分に適応させるかは考えられない。社会に大の字で寝っ転がるためには、社会とは何で、どんな形をしているのかを知らなければいけない。この問いを回避できるのは、「うっかり舞台俳優になれてしまう」ような運と才能の持ち主だけだ。

全ての大二病患者よ。
あなたは決して特別ではない。平凡だ。
凡人は待っているだけでは幸せになれない。
それをいち早く認めることが大二病を克服する手っ取り早い方法だ。

どのような道を選ぶにせよ、流れに身を任せるのではなく自分で道をたぐり寄せよう。楽な進路などひとつもない。今どうにかなっていないのなら、今から自分でどうにかしよう。
これからの私たちの世代には、頼れる福祉も政治もないのだから…..。


2022.11.16 関口真生

参考:大二病 「評価」から逃げる若者たち (双葉新書)難波功士著


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