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Fairy tale from my soldier

玉造由希香

Day 8 , Dear my Mother and Father

お金の管理と子育ては史上最強にできない母だったが、お料理の手際の良さとその味、それから、お花を育てる事に関しては、天下一品だったように思う。

その母らしく、母が寝ている祭壇は、なぜか私が注文したよりも倍近くのお花で溢れていた。こんなにお花置いてもらっていいんですか?と聞いたら、お花をお好きそうなお顔されてるんで、たくさん飾らせて頂きましたと言われた。
葬儀場のご好意で飾って頂いたお花たちは、全員母の方を向いているみたいに見えて、葬儀の担当者さんとお花のその優しさを感じてしまった私は、やっと血が温まったように、母が亡くなってから初めて大声で泣いていた。

私は『過去世おうふくきっぷ』を使い、母の葬儀の場面に到着したのだった。

私はずっと『過去世』と『前世』は同じだと思っていた。言い方が違うだけだと。だからまた別の『前世』の自分に会えるんだとばかり思っていた。
しかし、ゆうちゃんがくれた切符ではそれは二つは分かれていて、今回はつい数年前のまだ記憶も浅いところに来たのだった。
しかも、今回はスクリーンのように映るのではなく、もう一度自分を体験しているかのような感触だった。

返事のない母を前に、いろんなことを話しかけていた。
そしていろんな文句を言ってやった。

小学校の卒業式前日、母は私の前髪が長いから切ってあげると突然言い出し、怖くて心の底から拒否する私を激しく叱り付け、座らせた。

私はバレエを習いたくて、おこずかいを貯めて絶対習いに行こうと思っていた。
勝手なイメージで、まずお団子ヘアが必要だと思い伸ばし続けていたので、腰くらいまである長めのヘアスタイルをしていた。結構さらさらとしてなびいていて、小学生だったけどワンレンな感じが好きだったのに、母はそれを良く思わず、いつも私を、おでこを出して老けた印象のポニーテールにした。

余談だが、あまりにもおでこを出しすぎてピカピカしてたので、当時、男子に付けられたあだ名は『人工太陽』だった。
的確、且つ素晴らしいネーミングセンスだと、今は思える。

私は母の前できれいになったり、おしゃれをする事が罪に思えてきて、次第に言われなくてもわざわざ母がしてくれるみたいなポニーテールにしてみたり、服も親戚のおばさんがくれた古着を着たりして、わざと地味に装う事にした。
そしたら母はご機嫌だったからだ。
そんな母が急に前髪があったほうが可愛いとか言い出したので、嫌な予感もあったかもしれない。

母は勢いよくジョキジョキと前髪を切った。
一瞬窓ガラスに写った自分を見たら、眉毛が隠れてちょうどいい感じの長さでこざっぱりしたので、もうこれでいいよと言うと、バランスが悪いと言って、今度はあっという間に後ろの毛を切った。

バサっと落ちてきた髪の毛は30センチくらいあったと思う。
私は本当にもうやめてと言って泣き始めた。が、もう彼女の手は止まらない。
『楽しみにしときなさい』と鏡も見せてもらえなくなった。
動くと怖いのでじっとしていたら、数分後とんでもなく頭が軽い感じになった。

「あ〜あ。ちょっと切りすぎたけど、ま、すぐに伸びるし。もう早く寝なさいよ。」

…翌日、卒業式が始まっていないのに、泣きすぎて既にピンポン球くらい腫れ上がった目と、わかめちゃんより1センチくらいは長いかもしれないヘアスタイルの私が、どんな思いで式に挑んだのか、母は知ろうともしなかった。

母の謝罪の言葉は一生聞けなかった。髪の毛だけじゃなくて、それ以外のパワハラ案件も全て置き去りにして、母は優しい他人とお花に囲まれていた。
私は泣き続けていたけれども、『何も言わず逝ってずるいな』と思っていた。

時代の背景があったかもしれないけど、親子という括りだけではなく、仲良しの人間関係でいられることはできなかったのだろうか。

力ずくで言い伏せたり、権利を主張したり、誰かのせいにしたりしないで。

葬儀が終わり、小さな骨壺を持ち上げると、ほんわり温かかった。
もう、心の通じ合わなかった母は、この世にいない。


はずだった。

お寺を出て、荒れ果てた実家に帰ると、お茶を飲んでいた親戚の中に紛れて、母が自分の弟の横で笑って座っているのを見つけてしまった。
こんな時親戚は、悪口なんて言わず、小さい頃からの思い出を話したり、だし巻きが一番おいしかったとか、良い話ばかりしていたので、母は気分が良かったようだ。
母は、私に気がつくとこっちにやってきた。そして、

「うち、オトちゃんとオカちゃん(自分の両親)のお墓に一緒に入れてくれへん?」

と言った。
最初、何か私は泣きすぎて疲れているんだと疑っていたけれど、隣に座られてるのを気がついていない母の弟が、部屋の入り口で立ってた私を見つけ、
「ゆっこちゃん、お母ちゃんのお骨、おじいちゃんとこのお墓に入れてあげたらどうやろ?」
と言い出して、母が『うんうん』と横で大きく頷いたので、
「おっちゃんありがとう。そうするわ。お母ちゃんもそうして欲しいやろうし。(今おっちゃんの隣でふんふん言うてんねんけどな)」
と言うと、その瞬間母は高校生くらいの雰囲気になって、嬉しそうに、ふっと消えた。

嫁いでいるのに実家の方のお墓に入るとか、宗派の違いはどうなるんだろうと思っていたが、その霊的指示?のおかげで、お寺さんも喜んで受け入れてくださり、納骨も無事すんなり終わり、大変助かったといえば、助かった。

私はなんとなくホッとして初冬の寒い日、納骨がすんだご先祖代々のお墓で大きく深呼吸をした。急にまた記憶が走馬灯のように駆け巡ってきた。

23歳で家を出てから、10数年後悪魔の囁きからの祖母と一緒に暮らし、その後母の借金のカタに、住んでいる最中の家も土地も売却され、ほぼ無一文と身ひとつで、もう誰も信用しない、絶対頼らないと決めて新しい生活に臨んだ。
母は、全てのお金も何もかも使い果たした後、父の看病をしている最中に自分自身も脳梗塞になり、理解力を司る分野が梗塞によって水に置き換わってしまったらしく、自分を17歳だと言って聞かなくなっていた。

やっぱり気になって帰っていたこともあったが、二日目に私を父の愛人だと思いこんで、暴れて止まらなくなった。
三日目は、私の作った料理を並べると、私の顔を見て泣き出した。
「この人…怖い…怖い…。」と言って。
母が私に向けて話したのは、母の声を覚えているのは、これが最後だった。
父は、身体は動きにくかったが、意識はいつもクリアで、話していても呂律が回りにくいだけで、倒れる前と何ひとつ変わっていなかった。父は母をもう一回入院させる手続きをなんとか取るから、もう帰りなさいと言った。

私はその日の夜に荷物をまとめて実家を後にした。
それからどんな仕事でも紹介してもらえるものなら全てやった。

いつからか、私は「先生」と呼んでもらえる仕事を始めた。その仕事にのめり込んだ。そしてこのために今までの人生があったんだと思えた。
そして、この仕事で成功して、両親に良い目を味合わせてあげよう。親孝行しよう、私の事、見る目が変わるかもしれない。喜ぶ顔が見たい、そんな思いもいっぱいで、無我夢中だった。

その仕事で遠方に出張していたある日、台風で高速道路が閉鎖された。
夜も遅くなり、一般道で帰るには遠いので宿泊する事にした。
ビジネスホテルを予約して近くのレストランで食事をとって外に出たら電話が鳴った。
登録されていない電話番号だった。出ようとしたら切れた。すぐかけ直した。

地元の警察署からだった。

いったい何があって警察から電話がかかってくるのか、怖くて震えが止まらなかった。もしかしたら昔スピード違反で捕まった時、同じスピードで走ってた後ろの車は逃げたのにそれを抗議したら怒られて、思わず『バビロン!』なんて言ったから、それを根に持った警官から何か言われるのか?!など、繋いでもらっている間いろんな憶測が飛び交い、私は生きた心地がしなかった。

「もしもし?丸山博さんの長女さんですか?」

「え??はい、そうですが…??」

穏やかな声だった。父の名前?なぜ??

「お父さんと思われる男性が、川で、発見されまして…。」

それ以降、何を聞かれて何を答えたか、私はところどころの記憶しかない。


どうやら、この電話の三日前に、親戚の叔父がたまたま父を訪ねて家に行ったら留守で、夜に電話したが出なくて、翌日も行くと帰っている気配がなく、警察に捜索届を出したらしい。
この電話がある一週間前、私の家に何度も非通知で電話がかかっていた。留守番電話なら何か用件が録音されているか、電話番号を見てかけ直しができたかもしれないが、『非通知』とだけパネルに出たまま、多分、あれは、父からだったのだ。

眠ったのかどうかもわからないまま、発見された男性を確認しに来て欲しいと言われていたので、翌朝、再び警察署に電話したら、昨日の電話口の人ではない人が、『あ、昨日の、博さんではありませんでした!別のご家族の方が今朝来られて、間違いない。と言う事で…。』と、安心してください。とも、何とも言えない雰囲気で申し訳なさそうに言ってくれた。

私は史上最強の親不孝ものだと思った。父が捜索願いを出されていることすら、知らなかった。それよりも前にあの非通知の電話を父だと気がついてあげていたら、いや、元気にしてる?って電話を入れていたら、いや、一緒にいてあげられたら…

私の後悔は尽きることがなかった。次から次に押し寄せる懺悔の波は、いつしか私を暗い海の底に沈め、上がっていく気力さえ奪っていった。

なんだかヘロヘロになって、私は車を出して走り出した。

ずいぶん走った。気がつくと、父が昔私をよくドライブに連れて行ってくれたダムの近くだった。

                 続く











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