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Fairy tale from my soldier

Day 4 , Release from the burden

お詫びと訂正
※編集前のを誤って投稿しておりました。こちらがホンモノです。由希香

天窓の先にゆったり動く雲がぼんやり映った。ベルガモットの香りがふんわり漂ってくる。いつの間にスイッチを入れたんだろう…シーリングファンが回ってんじゃん。暖房を入れてないから、その風は少しこの季節には寒いな…ん?あ?

「ええっ!?」

私は飛び起きた。パーカーを着たままだ。私はがさごそとポケットに手を入れてスマホを取り出した。
AM11:43、2020年5月2日。
テレビをつけてみた。緊急事態宣言を延長するかどうかのニュースをしている。
私は日時だけなんとなく確認すると、テレビを消した。
ソファから立ち上がってキッチンに向かった。ここは私の家。何も変わっていないいつもの部屋の風景。ものすごく体が重くてだるい。出窓に差し込む日差しとお気に入りのサンキャッチャーがキラキラしすぎて眩しく感じる。

私が起きたのを察知してか、猫のキネマがどこからかリビングに入ってきた。カリカリを器に入れてあげると、これじゃないんですけど?と、中庭のドアを開けろと言うので出してあげた。

私は冷蔵庫を開け、ミネタルウォーターをコップに移しカウンターに置いた。
中庭で毛繕いするキネマを見ながら、私はぼんやりする頭でイスに座った。
私が体験したであろう出来事が脳裏から離れない。
あれは夢だったのか?いや、あれが夢??若い母の後ろ姿。輝く光の中、軍服姿で敬礼をして立っていたおじいちゃん。
そして小学生の自分。感情の起伏は激しかったものの、元気いっぱいで明るくて、まだ、希望に満ちた目をしていた。

私が覚えてる限り、私はいつも、神様がどうだ、死んだら光がいっぱいのとこに行くんだなどと言うから、両親やクラスメイトは常に気味悪がっていつも変人扱いしていた。一生懸命「自分がそう思う」理由を言ってるのに、無視されても気にせず、いつも何かを探していた。何を探していたのだろう?

きっとこうだ。
あの頃は、目の前で自分だけに見える不思議な出来事を、両親に分かって欲しかったんだと思う。
いや、違う。厳密に言うとそうではない。頭がおかしいとか、そんなこと言ってる暇があったら勉強しなさいとか叱るだけじゃなくて、誰が出てきて何を話したの?って、ただただ両親に共有して欲しかっただけなのかもしれない。
私が探していたのは、霊的な何かを捕まえて「ほらね、ほんとにいるでしょ」と認められるための材料でもなく、『よし!お父ちゃんとお母ちゃんにもオバケを見てもらえるように呪文を作って呼び出すぞ!』という方法でもなく、そこに理由なんてない。私そのものを受け止めてくれる『誰か』と『通じ合っている』という安心感を、せめて両親に求めていたのだろう。そして、それは今この瞬間もその思いは消せてないのではないか…

私は、遠い記憶のほとりにある両親の影をふり払うかのように、コップの水をごくごく飲み干した。分かり合えなかった関係。許せなかった私。

この部屋で目覚めるまでいたであろうあの世界の一番最後の出来事は、ゆうちゃんがカバンからノートを取り出して、ページをめくったところまでだ。そしてその時すでにおじいちゃんはいなかったように思う。
私は思い出すと懐かしさで押しつぶされそうになった。

何度も何度も同じ場面がリフレインする中、「14時オンラインミーティング」と書かれた付箋に目が止まり、とりあえずシャワーしようとバスルームに向かった。

シャワーを出すと、さらに現実を感じ、世界中で一人ぼっちになったかのような寂しさが降りかかってきた。でもどうしてこんなに思い出すのか。いつもはすぐに切り替えて次に向かうのに。

『肉親』一番嫌いな言葉だった。

その理由となった凡例を挙げてみたいと思う。

その1・毎日四六時中怒ってばかりの母。お酒を飲んだらすぐ酔っ払って怒鳴り散らす父。「うるさい黙れ!」「もっと優しく言えへんの!?」で夫婦大げんか。
理由『だいたいあんたがさっさとなんでもせえへんからこうなるねん!』
結論、私が悪い。結果やつあたりされる私。

その2・お金がないと文句ばかり言う母。宵越しの金は持たない父。
「お酒飲むからお金貯まらへんねん!」「自分もまんじゅう毎日食べてるやろ!」で大げんか。
理由『だいたいあんたにあの時ラジカセ買ってあげたからお金ないねん!』
結論、私が悪い。結果やつあたりされる私。

その3・父に臨時収入があると急に優しくなって私にマフラーを編む母。
臨時収入で私にデコレーションケーキを盆中に4個並べて買ってくる加減のわからない父。
理由『あんたのためにやったってるんや。』
結論、私のため。結果マフラー巻いてケーキを前にハイチーズ。後日現像するも特別盛り上がらず、心から喜んでない証拠や!と言いがかりをつけられ閉幕。

DVか虐待っしょw親オワタwwwレベルの日々が23歳まで続いた。

その後、いつまでもよくない事は全て私のせいにされ、抵抗する力も湧いてこなくなって、私はぷっつり糸が切れたように家を出た。そして自分から一切の連絡を絶ってしまったのだった。
そして、その時、もう、夢なんて叶わなくていいと、あの日記を捨ててきてしまったのだった。

お互いの気持ちの内をわかり合おうと努力するわけでもなく、もう二度と一緒に暮らすことはなかった。
父の会社が倒産する前に、当時一緒に住んでいた、父と気の合わない母方の祖母を残し、二人は小さな借家に引っ越しし、借金返済のため毋はパートから正社員に変わったと風の噂で聞いた。
その後、父は会社倒産後心筋梗塞で倒れた。命は助かるも、脳梗塞を併発して半身不随でほぼ寝たきりになった。看病でストレスがたまった母はパチンコに明け暮れ、結果、恐ろしい額の借金を作ってしまい、私は親戚から『(母に)お金を貸してくれといわれて困っている。』との連絡を受け、やっとそこで10数年ぶりに帰ったのだった。

その日は肌寒い雨が降っていた。私は両親に対して冷酷だった。ほぼ寝たきりの父を目の前にしても、気の利いた言葉ひとつかけてあげられなかった。ご機嫌の良い時はいつも膝の上に私を乗せて、たくさんの絵本を読んでくれた事もあった。母と買い物に行くより、父と出かける方が多かった。なのに、好きだったコーヒーの一杯も作ってあげることさえしなかった。

テーブルに座ったと同時に、今月の支払いができないからお金を貸してくれと言う母には、ろくに目も合わせないで無言を通した。そして、「貸してくれへんのやったら、もう帰って!」と逆ギレする母に、

「じゃあ、おばあちゃんちに私が住むから、あの家の土地半分売って、半分私にちょうだい。おばあちゃんと一緒に住むし、売れた半分の土地のお金、あげるやん。」

と、私は悪魔が乗り移ったかのような提案を出したのだ。いや、きっと乗り移っていたのだと思う。

結果、お金がすぐ必要な母は、その提案を満面の笑みで承諾した。

それから1週間もしないうちに不動産屋さんがきて、あれよあれよと言う間に祖母の家…あの昔の家は、三台の大きな重機がやってきて、イチジクも金木犀も松の木も、苔むした大きな庭も明治の終わりに建てられたノスタルジックな家屋も、全て、全てを大きな音とともに、小さな破片へと変えて行ったのだった。

まだ生き続けていくであろう、物言わぬ木や植物たち。私の放ったひとことは、その命を消してしまった。

その後小さな家を建て、祖母と一緒に暮らし始めたが、距離感がわからず喧嘩ばかりしていた。母のパチンコは止まらず、土地のお金も使い果たし、また祖母に無心してくるようになった。祖母は長年患っていた大腸がんが末期になり、母と交代で看病するもあっけなく他界してしまった。それからまた両親とはどちらからともなく疎遠になった。看病でやめていたのに、母は再びパチンコに通うようになった。

祖母が亡くなり一年経った頃、不動産屋さんがニコニコ顔でやってきた。
「お申し出受けておりました件、昨日無事売れましたので、この一ヶ月くらいでお引っ越しの手続きお願いできますでしょうか!」

何を言われているのか理解できなかった。私は母に急いで電話したら、とりあえずお金がないから売った。と言われた。もう、返す言葉、かける言葉すら出てこなくて、私はまた無言で電話を切り、引っ越し先を探してもらうえるようその場で不動産屋さんにお願いした。
三週間くらい経って市内に引っ越しが決まり、あっという間にそこでの暮らしが始まった。そして、また、両親とは一切連絡を取らなくなってしまった。

「お父ちゃんお母ちゃん、ごめんなさい。おばあちゃんも、大好きだったお家もお庭もほんとにごめんなさい。」

そう言って、顔に当たる霧のシャワーに紛れて大粒の涙が流れた瞬間、30年間封印し続けてきた、私が抱えて離さなかったブラックホールに光が差した。
光は私の闇の奥深くあった、岩のように重い十字架にも光をあてた。

『両親への背徳感』という名の十字架に。

続く

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