【放浪記】苦境から生み出されるものには何が宿る
去年の12月にラジオで偶然、作家の林芙美子さんの亡くなる4日前に放送された肉声を聴きました。
昭和26年に放送された若い女性からの様々な人生に関する質問に林さんが答えていく内容です。
車の運転中でしかも音質もそんなに良くなかったので内容はきちんと聞き取れていなかったのですが、その語り口はとても優しくかつとても力強いものでした。
聴いたラジオが非常に頭に残ったので、林さんの代表作「放浪記」を軽い気持ちで読み始めたのですが、、読むにはなかなかな覚悟の必要な内容でした汗
苦境から作家で成功するに至ったサクセスストーリー的な単純なものを想像していたのですが、一つ一つの文章表現を理解するのに時間はかかるし時系列も前後入れ替わっているなどしてなかなか読み進めるのに時間がかかりました苦笑
流石に読み終えるのに2ヶ月もかかると途中でしんどくなってくるのですが、何かこう、腕を鷲掴みされながら目を見開いて間近で訴えかけられてくるような凄みが全ての頁に溢れていました。
貧窮のどん底を這い回る日々の中、ある時はカフェのスタンドの陰で、ある時は台所のお櫃を机がわりに、ある時は下宿のささくれだった畳に腹ばいになりながら、書くことを決してやめなかったようです。その執念が随所から感じ取れます。
まだまだ飲み込みきれていない部分も多々ありますが、表現することについて強烈な気づきを得ました。
自らそういう環境にわざわざ飛び込む必要はないと思いますが、安穏とした日々からは人の心に届くものは生み出せないのかなと最近思います。
あまり苦しまずに生み出したアウトプットはどこか間の抜けたものになってしまって、人目に触れてもスッと通り過ぎていってしまう。
林さんは、その作家人生で敵も味方も多く作りながらも自分の書きたいことやりたいことを貫き通したそうです。
葬儀での川端康成さんの言葉が印象的です。
自分の葬式で参列者にこんなことは言われたくないですが、、でもこの言葉からは川端さんの林さんに対する深い想いを感じます。
林さんの文学はまさに命がけで書かれただったのでしょう。理解できるとかを超越した何かが宿っていました。
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