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作為的な演奏とはどういう状態なのか

作為的 - 故意に行うさま。また、不自然さが目立つさま。「—に仕組まれた事件の筋立て」
(goo 辞書より)

妻が先日レッスンで先生から、”わざとらしい演奏になっている”と指摘を受けたらしく、僕も録音を聴いてみると確かに作為的な印象を受けました。
こうした方が良いんじゃないかと色々練りになった結果、少し不自然な感覚を覚える演奏になっていた訳です。

でも演奏する上では必ず意図もつ必要があって、かつそれを表現するためには何かしらアクションを起こさないといけないのも事実です。
この時の表現が自然な状態と不自然な状態はかなり紙一重なんじゃないのかなと僕は思っています。

僕がよく観ているNHKの朝ドラについても、SNS上で正反対の感想が溢れかえっているのをしばしば目にします。
ドラマも演奏と同じように何かしらのメッセージを送る手段の一つですが、その意図をどう受け止めるかは受け取り手次第な訳です。
受け取り手がどう感じるかは発信者には全くコントロールの出来ない領域です。

よく子どもに物事を伝える時には1から10まで丁寧に教えますが、大人に対して同じように伝えると嫌がられることがほとんどではないでしょうか。
そんなことすると「そこまで言わなくてもわかるから大丈夫ですよ」とやんわり断られるか、ちょっと不機嫌になられてしまいそうですよね。笑

多分、音楽表現に関しても同じなんじゃないのかなぁと思います。
受け取り手の立場に立った表現は、きっと誇張のない流れるような表現になる気がします。
もちろん、受け取り手は時と場所により様々ですからその都度表現方法も変化させていかなければいけません。

表現者共通の答えのない永遠の課題ですが、深めるとますます面白くなる領域です。

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