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ママ5歳記念日

今日は息子5歳の誕生日

日本中が祈りを捧げる日、3月11日に息子は産まれた

5年前、破水した朝に産院に駆け込み、普通に頑張って産むものだと思っていたらまさかの帝王切開になった。

人生で最初で最後の出産なのに、全く思い描いたものと違ったし、妊娠後期に書いて病院に提出したバースプランって何ですか?的な状態になった。出産直後、産院のアンケート調査とかで「満足できる出産でしたか?」という質問が、とてもとても残酷に響いたのは遠い昔のように思う

そもそも出産形態って選択できるのは直前までで、さあいよいよという時に赤ちゃんの心音が弱まっているので帝王切開で、と言われたら、それに従うしかなくて、満足もへったくれもないのである。

ただ、無事に生まれてきてくれたことを良しとする、ただそれだけ。

と、5年前の今頃の時間、帝王切開後の麻酔が切れたこの世の終わりくらいの痛みの中でぼんやり考えていたように思う。

あれから5年

息子が1歳の誕生日に書いた下書き状態のままのnoteを見つけた。

タイトルは

「母」になって劇的な変化などなかった話

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母になって1年

息子はやっと!?1歳になった。
40年の私の人生でこんなに「辛い」と「幸せ」の感情入り混じった洗濯機でグルグル回っているような密度が濃い時間はなかったなと思うほど。

子供を産む前、きっと赤ちゃんが産まれてきて母親になったら何だかわからないけれど自分は劇的に変わるんだと思っていた。何がかは未知の世界だからわからないけれど、とにかく

「これが子育てなのね!」とか
「私も母親になったのね!」とか

こんなことを思う実感する瞬間が目白押しなんだと思っていたが、
実際はそんな圧倒的な瞬間など1回あったかなかったか、くらい。

いや実際はそんなことを感じる余裕などないまま時間がただただ過ぎ去っていった感じなのだけど

母になっても相変わらずお酒を飲みたいと思うし、自分の時間がとにかくほしいと思う。子供のことだけで過ぎていく時間をもどかしく思うし、すべて子供のため、というわけにはいかない「私」もいる

母親というとどこか菩薩のような女神のような、なんだかそんな寛容で慈悲深いみたいな、そんなイメージが過分にあった

自分がそれになれるとかなれないとかタイプなど全く考えず母になったらみんなそんな境地になれるのだと思っていたフシがあるが、もれなく私にはそんな境地にはたどりつけなかった。まあもともと自分はそんなタイプではないのだから当たり前なのだけど。

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まったくもって、今もそう

自分のアイデンティティと呼ばれるものは母になってもそうそう簡単には変わらなかった。だから良いとか悪いとかの話ではなく、ただただ「私」であることに変わりなかったのだろう

物理的に自分のために使える時間は減ったけれど、それもきっと今のうち。

5歳になった息子を見ていて、まだ5歳と思う気持ちと、もう5歳と思う気持ちが入り乱れる。

早く大きくなってほしいけれど、ママ大好きだよと言ってくれる今の息子を見ていると時間よ止まれと思う

勝手なのも、じゅうぶん私のアイデンティティ

元気で5歳を迎えられたこと
ありがとうとごめんなさいがちゃんと言えること
ママ、大丈夫?と気にかけてくれること
今日ご飯何がいい?と聞くと、忙しいからと気を使ってか「カレー」とか簡単なものを言ってくれること
電車が大好きなこと
地元の私鉄の型番を遠くからでも言い当てれる特技があること
心配性で用心深くて、繊細な心の持ち主なこと
パパが大好きすぎて、遅く帰ってくる時は寂しくて泣いてしまうこと
幼稚園に大好きな女の子がいること
「美人(びじん)」を言い間違えて「じびん」と言ってしまうこと
天気予報のお姉さんが好きなこと
幼稚園のお友達のお母さんで「お気に入り」がたくさんいること
車のスライドドアが好きなこと


ぜんぶぜんぶ、大好きだよ、ありがとう

ママのところに生まれてくれて、ありがとう

5歳、おめでとう


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