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結婚は「婚活」のゴールなのか

「婚活」という言葉の曖昧さ

婚活という言葉はいわば便利な言葉だ

アラサー女子などが「私、婚活中です」

と、いえば、会社の上司や同僚の「なんで結婚しないの?」という余計なお世話でしかない疑問を封じ込めてくれるし、アラフォー女子の結婚とか何のメリットがあるの?という一般的には何だか「理屈っぽい女」とみられがちな本心をいちいち見せることなくカムフラージュにもなる。

まるで「婚活」は錦の御旗(古い。。。。)のように、黄門様の印籠のように、それを言ってしまったらあとは受け取る相手それぞれの「婚活女子」といううものへの解釈に従うしかないが一定の理解は得られる。

もちろん本気で結婚したい、相手を探している人はそれで説明がつくし、相手を紹介されることもあるだろう。当然ながらそれを否定するつもりはまったくない。

ただ、婚活という言葉であまりに何もかも解決しすぎやしないか、と思うのだ。

かくいう私も「婚活して結婚しました。その経験から婚活カウンセリングします」と自分のサービスにしてしまっているので、ここには大いなる矛盾は存在する。(それについては後述する)

ただ私が問題にしたいのは
「婚活」という言葉が持つ、「結婚至上主義」のようなイメージや解釈が、より一層自分の未来を考える女性(ここは自分も含め同性のほうが考えやすいので女性に限らせていただきます)を生きづらくさせているように思うことだ。

そもそも婚活中の人たちそれぞれが考える、目指す、ゴールは結婚だけだろうか?

私は違うと思う。

「婚活」のゴールって何だろう?

婚活の相談をされたとき、私は初めに確認することがある。

結婚は婚活のゴールでしょうか?

そう質問されて、

当然ですよね、
何でそんなことを聞くんですか?
結婚したいから婚活するんです。

という方

どうなんだろう?
どうして結婚したいのかな、私
もちろん結婚して終わりではないですよね

いろんな声がある。

これはおそらく周知の事実だと思うのだけど、結婚がゴールだと思うとその結婚はうまくいかないことが多いと思う。何より28歳の私はまさしくそう思っていて失敗(離婚)した一人だ。

そんな当然のこと、と思うかもしれない。
だけれど人は不思議だ。

結婚はゴールではない、と頭では理解しているはずなのに、
婚活になると多くの人が「結婚」をゴール、もっといえば既存のゴールに設定してしまう不思議

既存のゴール「結婚」という思い込み

今回のコロナの給付金しかり、まだまだ日本という国は家族、世帯、夫婦、という単位での前提で作られていることが多い。特に女性は誰かの妻、母、娘、であり「個人」という単位で法律的にもそもそも作られていない。

だからこそ、この令和の時代になっても女性の「結婚しなくてはならないかも」という思い込み、刷り込み的なものはとても根深いものがある。とくに首都圏ではない地方に住む人たちは親・親戚・地域社会の中での生きづらさを感じることも多いのではないか。

私もそうだったけれど、何をどうというわけでもなく「結婚」するものだと思っていたし、妙齢というか適齢期(死語)になって一人だと肩身が狭い思いを勝手に抱えてしまっていた。

そこにきて「婚活」である

もう誰しも、ゴールは「結婚」と勘違いして当たり前である。

いろんな状況はあるにせよ、結婚ありきの婚活はとてもしんどい場合もある。なぜなら本来自分は結婚したいかどうかはっきりしない人も何となく婚活海流に飲み込まれる。そして「結婚」という形のないもの、いわば自分がイメージした「結婚はこうあるべき」みたいな型に相手と自分を当てはめつつ、入りきらなかったりはみ出たりして、どうやら自分は結婚に向かないのかも、と自分を責め始める。

そもそもあなたのゴールは「結婚」なのだろうか?

婚活も就活もゴールは「自分らしい幸せの追求」だと思う

私は婚活も就活もゴールは一緒だと思っている。

ゴールという言葉はそれで終了のようなので、表したい言葉は厳密にいえばちょっと違って「得たい成果」とでもいったほうがよいかもしれない。

自分らしい幸せの追求

追求なので終わりではない、仕事だってその仕事に就いたから終わりというわけではなく、そこからどうするか、どんな風に働くか、ということが重要なのだろうし、仕事の数も会社の数も働き方も何万通りもある。

婚活だってそうだろう。
幸せのかたちは一つではない、結婚はたしかに一つのかたちではあるけれど、結婚しなくてもひとそれぞれ自分にしっくりくる幸せのスタイルが違う。

婚活、結婚活動、
それを通じて自分らしさ、自分の心地よい暮らし、在り方、未来、それを考えていくことはとても有意義だと思うし、大事な自分と向き合う時間だろう。

でも既存のゴール(例えば結婚のように)は存在しないと私は思う。

揺るがなく結婚したい人はもちろん自身で設定したゴールで頑張ってほしいけれど、誰かが設定したゴールはいらない。

自分らしい幸せの追求~パートナシップ部門~、という問題解決のひとつの手段が婚活なのだから、追求し続けるしかないのかもしれない。

自分らしい幸せの追求~パートナーシップ部門~

私は自分のサービスで「婚活カウンセリング」と銘打っておきながらなんだか違和感がずっとあった。それが婚活という言葉の曖昧さへの違和感だと最近分かった。

相談業や講師業をしていて、いつも感じるのだけど、人相手に相談やセミナーを生業にしている人には二種類あると思う。

いわゆる資格試験などでとにかく合格が必要で合格しなくては始まらない場合、予備校講師の人たちはとにかく合格するテクニックを教えてくれる。就活も一緒である。面接対策などはテクニックの場合も多い。なぜなら合格や内定という成果を取ることが先だから。婚活だとモテるテクニック、メールのやり取りのテクニック、などなど。

もちろんそれは必要だし、全く否定しない。

でももう一つ重要なことは「本質に寄り添う」相談だと思う。

私が婚活のカウンセリングで提供できるのは、後者だ。

テクニックが必要なら、たくさん秀でた人がいると思うし私の出る幕ではない。

でも「あなたらしい幸せの追求~パートナーシップ部門・お仕事部門~」のような相談なら自信をもって寄り添うことが出来る。そしてそれがキャリアの仕事をしてきた私が、いわゆる「婚活」の相談サービスを提供している理由でもある。

価値観が多様になったといっても、私たちが知らず知らずのうちに思い込んでいた「幸せのかたち」は、もしかしたら自分用にはカスタマイズされていないかもしれない。

選択肢が多いということは時に、迷い複雑化してしまうことにもなるけれど私たちは自分の人生において、そもそもどんな選択肢をピックアップするかは自由だ。

自分の幸せは自分で決める

婚活もそのひとつの手段でしかない、ということではないだろうか。




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