僕は、本が出せない。 ~もしも、人生が40から始まるのなら~ 【プロローグ】
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」
喜劇王チャールズ・チャップリンの言葉だ。
どんなに悲惨な人生だろうと、カメラを通して離れたところから見れば、滑稽におかしく映る、ということだろう。チャップリンは、その視点で歴史的な映画を生み出した。不勉強な僕は、彼の作品をすべて見たわけではないのだけれど。
無知を棚にあげるが、どれだけ森羅万象にくわしく知識があっても、世界を完璧には把握できないだろう。自分で把握できるのは、自分が見ている世界だけだ。
しかし、ここで疑問がわく。はたして自分の世界もすべて把握しているのか? 僕という人間は、自分が見ている、見てきた世界をすべて分かっているのだろうか。
僕はこれから、自分の人生をつまびらかにし、再検証してみたいと思う。
そこにあるのは、悲劇か喜劇か。
と、こんな壮大で、やや滑稽な文章を書き始めたのには理由がある。
1982年7月2日金曜日に生まれた僕は、2022年7月2日土曜日に40歳になった。40年ぶり1回目の40歳。初めての40代である。
ちなみに、はじめて30歳になった時は鰻を食べた。妻からはANAカラーのガンダムのプラモデルと、ジーンズをプレゼントしてもらった。妻の30歳の誕生日には、30本のバラをプレゼントした。今思うと、つりあっていない気がする。
思えば、30歳は20代の延長というか、欲しいモノが手に入ればそれでよかった気がする。40歳はどうだろう。ありがたいことに子どもが3人生まれ、家も建てた。見たい映画を見て、映画のソフトや書籍も購入できる。(僕は家計を一切管理していなので、妻が苦々しく思っている可能性は大いにあるが)
昼間は、見積とったり企画書作ったりする普通の会社員だが、隙間を見つけては、自分の読みたい映画評を、コツコツ書きつづけている。
順風満帆、幸せの満漢全席に見えるだろうか。
見えるのかもしれない。しかし、決してそんなことはない。
日本人男性の平均寿命が81.64歳(2020年)なので、40歳は折り返し地点。「死」という唯一平等なゴールに向かって、人生の後半戦がスタートするわけだ。
そう考えると、えも言われぬ不安が去来する。ちなみに「えも言われぬ」が「エモい」の語源という説は、まったくの間違いだ。何しろ、今思いついたデタラメだから。
僕は何かを成したのか? そして、この先成せるのか?
40歳にして、何を思い、生きていくべきなのか?
そんな思いを、田中泰延さんが、前田将多さん、上田豪さんと出演される鼎談トーク配信「僕たちはキツい世界に生きている」に送ってみた。
抜粋するが、送った質問はこうだ。
※上のリンクは、僕の質問部分から再生される
鼎談トーク配信は、2022年4月6日の回が9回目。僕は何回か質問を取りあげてもらっているが、いつも質問文の中に自分の答えを書いていた。結果、「自問自答の金子」という異名をいただいている。
なぜ僕は、自問自答の形式をとるのか自問自答してみよう。自分なりの答えがないと「手ぶらでお邪魔している感」がしてしまうのだ。相手に答えを求めるのであれば、こちらも自分なりの答えという手土産を持参しないと失礼ではないかと思うのだ。あくまで「僕は」なので、悪しからず。群馬の銘菓は、旅がらす。食べたことないけれど。
話をもどそう。
「自問自答の金子」ではあるが、「僕たちはキツい世界に生きている」に送った質問に、「自答」は書かなかった。書けなかった。40歳という節目を迎える自分に、答えが出せるほど向き合えていなかったのだ。
僕の質問に、三人からはこんな声をいただいた。
金言がたくさん飛び出すなか、田中泰延さんが見せた、「金子さんはどう考えてるのか……」という言葉のあとの、一瞬の沈黙が印象に残っている。
ありがたかった。同時に、勝手な思い込みかもしれないが、大きな宿題を渡された気がしたのだ。
僕は普段、映画評を書いている。
映画評は、映画という自分の外側にあるものについて調べ、その事実を書けばいい。簡単ではないが、気は楽だ。しかし、自分についてとなると、調べるのは自分自身。「自分」を外側に置き、見つめ、調べなければならない。僕にとっては、気が重くなる問題だ。
しかし、腹をくくらねばと思った。自分を調べて、書く時期なのかもしれない、と。
40代をご機嫌に生きるために必要なことなのだ、きっと。
少々長くなったが、これがこの文章を書いている経緯である。
40歳、という区切りについて、自分なりに考える。
あれこれと調べる過程で、あのジョン・レノンが『Life Begins at 40』という曲を残しているのを知った。1980年、40歳になったジョン・レノンが、同い年のリンゴ・スターに贈った曲だ。
のどかなカントリー調のメロディに乗せて、こんな詞が歌われる。
ビートルズのメンバーとして、ひとりのミュージシャンとして壮絶な日々を送ってきたであろうジョン・レノンならではのシニカルさが込められている。
ジョンは、1980年12月8日、40歳で凶弾に倒れた。「もしも、人生が40からはじまるのなら」と歌ったミュージシャンの人生は、40歳で幕を閉じた。なんという皮肉だろうか。
『Life Begins at 40』は、正式にレコーディングされることはなく、デモ音源が残るのみである。
この曲を知ってから、僕が書こうとしている文章たちは
「もしも、人生が40から始まるのなら」
に、つづく歌詞を探す旅になるような気がしている。
ただ、僕は、ジョン・レノンでも、リンゴ・スターでも、チャップリンでもない。
僕の名前は、歴史に残らない。そのまま記して本になるほどの人生ではない。かといって、なんてことない日々に宝石を見出し、その美しさを描写できる視点も文章力はない。映画評が、SNSで大バズりすることもない(もちろん、読んでたのしんでくれている方たちには感謝しかない)。
そう、僕は、本が出せない、きっと。
今は、才能が見つかりやすい時代だ。ライターでなくともTwitterやnoteの文章が話題を集め、先達に見出され、フックアップされて本を出す人たちもいる。僕はひとりの書き手として、そんな人たちに対する嫉妬で気が狂いそうになることがある。
「なんで俺じゃないんだ?」
当たり前だ。そんな実力、僕にはないのだ。分かっている。分かっているけれど嫉妬するのだ。なんとも滑稽だ。それでも、読んでくれる人がいるよろこびと、ほんの少しの誇りを胸に書いていくしかないと思っている。
喜劇の王でもなく、悲劇の凶弾にも倒れず、ありふれた焦燥を抱えたちっぽけな人間。それが僕だ。孔子は「四十にして惑わず」との言葉を残したが、僕は40歳になっても、見事にのたうち回っている。
不惑とファックはぜんぜん違うのだ。
これからどう人生を歩んでいくのか考えるために、映画を撮るようにカメラのレンズを自分の過去へ向けて、記憶を遡ってみたい。ブレブレの手持ちカメラだが、どんな画角の、どんなシーンが撮れるだろう。
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