うちに猫がやって来る ニャァ!ニャァ!ニャァ!
いつもの日曜のまま、終わるはずだった。
40歳の誕生日を翌週に控えた日曜日の夕方、晩ごはん作りで台所に立っていると、少し開けた勝手口の窓から動く影が見えた。勝手口は庭に通じている。
「猫がおるよ」
そう伝えると、ダイニングから続くウッドデッキに家族が集合してきた。少し離れたところに猫が見える。子猫だ。
野良猫が庭を通ったことは何度かあるが、子猫が一匹で迷い込んだことはなかった。
遊び心で白米と水をウッドデッキに置いてみた。しばらくそってしておくと、あっという間にたいらげてしまった。僕たち家族も、5人で晩ごはんをたいらげた。
胸がドキドキしていた。
その日は、皿洗いをしている間にいなくなってしまった。
「またくるかな?」
「どうやろ、野良だからねー」
そんな会話を、子どもたちとした。迷い込んだ猫との関わりは、そこで終わると思っていた。
ところがだ。
翌日の夕方、家に帰るとウッドデッキに昨日の猫がいるではないか!
運命を感じた。この子を、この家に迎えようと思った。39歳のおじさんが、15歳の少年のようにときめいていた。
誕生日の1週間前に庭にきた子猫が、翌日もきたのだ。運命を感じない人がいるであろうか。いや、いるはずがない。前日と同じようにご飯を与えると、ぺろりと食べてしまう。
その日は、夜もしばらくウッドデッキに居座っていたので、段ボールや使い古しのタオルで寝床をつくってあげた。しばらくすると、猫はいなくなっていた。
翌日からは朝もくるようになり、出すご飯も白米からキャットフードにした。暑くなってきたので、日中でもウッドデッキにいられるように簡単な屋根つきの隠れ場所をつくってあげ、徐々にお近づきになっていった。
この時点で、家に迎えるのは夫婦間で暗黙の了解となっていたが、僕も妻も猫を飼ったことはない。迷い猫を家に迎えるために何をすればよいか分からない。
生半可な気持ちと知識でダメなのは確かだ。
「保護したら、すぐに動物病院につれていくのか、ふむふむ」「どこかの飼い猫かどうかも調べるのか。市役所とか保護団体への連絡と…ふむふむふむ」「シャンプーをした方がいいけど水は嫌がる子が多い、ふむふむふむふむ」
知識と道具は少しずつ増えていき、その間も朝晩きてくれた。
準備は進み、家族でも話し合いを重ねてきた。よしよし、これならいけそうだ。
そこで、はたと気づく。
「どうやって保護するん?」
庭にきてはくれるが、少しでも近づけば逃げてしまう。どうあっても手で捕獲はできない。途方にくれてしまった。調べてみると、市役所が野生動物の捕獲器を貸し出しているようだ。それなら何とかできるかもしれない。
さっそく電話すると、「捕獲器は大きめの犬以上を捕まえるサイズなので、子猫には大きすぎますね。そもそもひとりで持てる重さじゃないので…」と言われてしまった。
こまったこまったこまどり姉妹。
熟慮の結果、「キャリーケース誘い込み洗濯ネット捕獲作戦」が決定する。決行は、初めて庭にきてから1週間後、僕の誕生日の翌日、日曜日の朝だ。
早く目が覚める朝。そわそわする朝。念入りに妻と動きを確認する。
ケース入る 全身入る ネットをザっ!
ケース入る 全身入る ネットをザっ!!
ケース入る 全身入る ネットをザっ!!!
ケース入る 全身入る ネットをザっ!!!!
完璧だ。
しかし、チャンスは1度かぎり。逃したら、2度ときてくれないかもしれない。
いつものキャットフードだけでは入らないかもしれない。全猫が喜ぶと噂の「CIAOちゅーる」も用意して、皿に盛る。
待つ。待つ。待つ。待つ。あみんか。
しかし、こない。こんな大事な日に? まじで? まじかよ?
待つ。待つ。待つ。そして、その時はやってくる。
きた! 猫がきたよ!
NOW IS THE TIME!
息を殺して見守る。いつもと違うウッドデッキのようすに警戒しながらも餌の臭いは察知したのか、そろそろと近づいてくる。身を屈めゆっくりキャリーケースに入る猫。焦るな、まだ全身じゃない。後ろ足が1本、また1本とケースに入っていく。
ザっ!!!
急いでケースの入り口をネットでふさぐ。
異変に気づいた猫は、ケースから飛び出る。しかし、目の前は洗濯ネット。僕は、猫がネットに入ったのを確認すると、開口部分をギュッとつかみ持ち上げる。しばらくはバタバタしたが、やがておとなしくなった。
作戦成功。家族一同、ほっと胸を撫でおろす。
そこからはバタバタである。嫌がる猫をなんとか風呂場でシャンプーし(事前にYouTubeで予習したが、もちろんうまくいかなかった。なんなのあの人たちのゴッドハンド……)、生まれて初めて動物病院に連れていった。
体重測定、健康状態チェックの結果、生後2~3ヶ月のオスだと判明。目立った病気もなさそうで、ノミとりの薬をつければ、そのまま連れ帰っても問題なさそうとのこと。
よかった。
名前は、長男発案の「大福」に決めた。白が目立つ姿にピッタリだし、幸せを運んできてくれそうだ。
大福に決まる前は、「あなたの誕生日プレゼントみたいなものなんだから、名前決めて良いよ」と、妻に言われていた。
僕は色々と考えて、映画「ラ・ラ・ランド」からとって「オスならセブ、メスならミアにしたい」と提案した。すると妻は、「言いにくい!」と即却下してしまった。我が家のCEOは、判断が早い。しかし、誕生日プレゼントとは……。
僕が病院に行っている間、妻がペットショップでケージやらトイレやらを買ってきてくれた。ケージを組み立て、トイレや水をセッティングし、口を開けた洗濯ネットごと入れてやると、そろそろとネットから出て落ち着いてくれた。
こうして、大福がうちの家族になり、猫との暮らしがはじまった。
……。
あれから2ヶ月が経とうとしている。
大福はすくすく大きくなり、今ではケージが窮屈そうだ。ケージは常時開けっ放しにしているので、家中を元気に駆け回っては、ティッシュや鉛筆と格闘している。リビングに置いたキャットタワーも気に入ってくれて、頂上が定位置になっている。
我が家での暮らしには慣れたが、僕たち家族には慣れてくれないようで、いまだ触らせてくれない。手を近づけようものなら、「シャー!」と牙をむき出しにするし、出血を伴う握手を求められることもある。これは、正直、寂しい。
何とか気に入られようとあれこれやってみるが、どれも効果がない。やることなすこと、マイナスに作用してしまうみたいだ。
先日は、振り向いたらちょうど足元に大福がいて、彼も避けられなかったのか、ローキックをかましてしまった。大福は、「かめはめ波で吹っ飛ぶ高校生」みたいなポーズで、聞いことのない声を上げながら吹っ飛んだ。妻は腹を抱えて笑ったが、彼の警戒心は強くなってしまい、気軽に触れる日はますます遠ざかってしまった。
今は一方的な愛情だが、それでも猫のいる生活はたまらなく愛おしい。ほんの数か月なのに、猫がいない生活をしていたなんて考えられない。
超初心者ながら、猫との暮らしは「適度な距離感」に尽きるのではないかと思っている。こちらから求めてはいけない。猫は、猫として家にいてくれるだけで尊いのだ。それ以上を求めるのは、人間にエゴだと思う。
(ちょっとくらいゴロにゃんしてくれてもええんやで、モフモフさせてくれてもええんやで……)
そして、強く実感するのは、「僕と大福とでは人生の時間が違う」ということだ。何事もなければ、彼は家族の誰よりも先に逝ってしまうだろう。それは、できるだけ先であれと祈っているが、確実に訪れる。僕も含めて家族の誰かが大福より先だったら、それは悲しすぎる。
僕らはその日をどんな風に迎えるだろう。なるべく仲良くしようじゃないか。
僕もできるだけ元気に過ごすから、君も長生きしてほしい。そのためなら、何でもしよう。
あの日、庭にきてくれてありがとう。
猫のいる、しあわせな生活は今日もつづいている。
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