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休日は水原の丘を駆け抜ける。 水原FCの日本人 マサ(石田雅俊)

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水原室内体育館と水原市体育センターの間には丘がある。休みの日であっても、この場所を休むことなく走る日本人がいる。プロサッカークラブ水原FCのFWマサ(25)だ。日本のラグビー選手が速くなるためによくする練習である。

マサはKリーグ2で首位を争っている水原FCの中核となるアタッカーである。マサは29日、慶南FCとアウェーで先制ゴールを決め3-2の勝利に貢献した。マサは今シーズン8ゴール-2アシストを記録している。水原FCは済州ユナイテッドに勝ち点2差で2位。

水原FCではコロナ19予防のため対面インタビューを行えないので、マサとビデオインタビューを行った。“韓国生活2年目”マサは韓国語で「私の近所のサバ煮がおいしい」と話した。まだ韓国語が苦手なのでインタビューは日本語で進められた。

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本名は石田雅俊、ユニフォームに刻まれた登録名は「マサ」だ。彼は「日本の時から呼びやすく簡略し呼ばれてた」とした。

マサは、日本の市立船橋高校で特級の有望株だった。日本の18歳以下の代表チームに選ばれ、全国大会優勝にも導いた。高校卒業直後、Jリーグの京都サンガF.C.と契約した。マサは「球団から多くの期待を受けた。日本で高校卒業と同時に5年契約するケースは少なくない」と述べた。

しかし、京都で多くの出場機会を得られず、J2とJ3のクラブをレンタルでを転々とした。マサは「10%はフィジカル、70%はメンタルの問題であった。20%はどのようにすべきかを知らなかった。“私はこの程度なら大丈夫”と気楽に考えていた」と述べた。

マサにとって韓国サッカーはジャンプ台であった。2018年秋、日本のAマッチデーにマサは韓国に渡り、城南FCで4日間のトレーニングを一緒にする機会を得た。翌年Kリーグ2安山と契約し、韓国デビューシーズンに9ゴールを挙げた。

安山で選手交代され試合が行われている中、トラックを1人で走ったことがある。マサは「さらに走ることができる体力が残ったので、苦心しながらトラックを走った」と述べた。マーサは過度に見えるほど試合で熱心に走る。彼は「絶対交代させてはいけないという気持ちが大きい。これまでのサッカー選手人生で100%の実力を示せず交換したことが多かったからだ」と述べた。

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マサは今年水原FCに移籍した。安山での攻撃をほとんど1人に任されていたのでドリブルが多かったが、水原では2トップと右サイドのアタッカーを行き来しながら、チームプレーを繰り広げる。素早いドリブル突破はもちろん、広い視野でキラーパスを出していく。マサは「水原ではボールをどのように受けて、ゴールまでまでどうやって行くのかについて考える」と述べた。

日本語でコミュニケーションが可能な水原FCの在日3世のFWアン・ビョンジュンとは絶妙な呼吸を誇っている。マサは「お互いにプレースタイルが違うので、相乗効果があります。アン・ビョンジュンはヘディングとシュートのタイミングがいい」と語った。

マサは、スペイン人でFCバルセロナ出身のシャビ・エルナンデスとアンドレス・イニエスタの映像を研究し、最近では、セシーニャ(大邱)の映像も見ている。マサは「シャビとイニエスタから毎試合良いパフォーマンスを繰り広げられる強いメンタルを学びたいです。また、セシーニャのシュート映像を見ながらタイミングを研究する。毎日練習してみると、少しずつ増加している」と笑った。

マサはコロナ19の影響で、今年1月以降、日本に行けませんでした。「千葉に住んでいる家族や友達にも会いたいです。しかし、コロナ時代ではサッカーを1つの趣味として考えようとしている」と述べた。マサは揚げ物とラーメンは食べずに訓練が終われば家に行く。同じ京都サンガF.C.出身パク・チソンのようにサッカーしか知らない。マサは「パク・チソンは常に努力して、他の人よりも多く走る」と語った。

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水原FCと済州、大田シチズンが首位をめぐり三つ巴の戦いを繰り広げ、1部昇格を争っている。マサは「水原FCが当然のように昇格することができる最強のチームではない。私はもちろん、チームがより努力してこそ上がることができる。コロナ19の余波でリーグが中断される可能性がありますが、残りの試合をすべて消化したいです」と考えを示した。

マサが水原FC昇格を率いて、来年に1部でプレーする姿を見ることもできる。加えてKリーグ1,2リーグ多くのクラブがすでにアジア枠としてマサを狙っている。マサは「来季も韓国で活躍したい気持ちが大きい」と述べている。1部でプレーする実力があると思うか尋ねると、マサは「自信がある。心構えがより重要だ」と述べた。

「韓国のファンたちにどのような選手と記憶されたいですか」という質問に対し、マサは「技術、テクニックがある選手というより、倒れるまで走る選手として記憶されたい」と述べた。

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