見出し画像

新宿駅の迷路から人生を考える

久々に新宿駅の西口側に出ようと思い中央線を降りたら、駅構内がガラッと変わっていてびっくりしました。

この何年か、新宿駅を利用する度に通路が変わっていて、毎回迷路のようでした。今回、改札も移動され、東西通路が出来て、ようやく「あー、なるほど、こうするために工事してたのね」と全体像が見えた感じ。

こういうの、面白いですよね。

設計している人は全部ちゃんと分かっていて、意図的に一時的に通路の場所を移動したり、階段を閉鎖したり、う回路を作ったりしている。
でも、利用者側からすると訳わかんない(笑)

きっと、設計者の人はそんなバタつく私たちを見ながら「そうだよねー、ごめんね、迷うよね。でも上手く繋がるように出来てるからちょっと待ってね」みたいに高い視点から思っているのだろうなぁとか、色々想像してしまいます。

===========

人生も同じだなと思うのですよね。

何でこんな目に合わないといけないのかと思ったり。
辛くてトンネルの出口が見えない日々があったり。
どんだけの試練をくれるんだ!と怒ってみたり。
誰にも話せなくて、一人でもがき、苦しんだり。
どっちに進んだら良いのか、選択で悩んでみたり。

でも、きっと、見えない位すごいパワーが働いていて、その視点からは、私がどんなイベントに出会うのか、どんな風に悩むのか、どんな選択をするのかなんてすべて織り込み済み。

実は私の人生設計はもう決まっているのじゃないかな。
なんて思ったりするのです。

それに抗おうとして、必死になっているところも、
実はその「すごいパワー」の視点から見ると織り込み済み。

私が通っていた近所の幼稚園がクリスチャン系で、
「神さまは何でも分かっているよ」とか
「あなたが何をしているか、誰も見ていなくても神さまは見ているよ」
と言われて育ったからか。

きっと、すべてのことは神さま織り込み済みなんだろうなぁ。

なんて思うのです。

実際、10年以上前に出会った人との接点が、今、突然復活して繋がったり。
ありえない位辛かった経験が、数年後、ものすごく誰かの役に立ったり。
そんなこと、ありますよね。

私は小学生時代、小児喘息がひどくて、1年の三分の一は病院でした。
入院中は色んな病状の人や、人の在り方等を見ていました。
何で私ひとりだけ、こんな経験をするのだろうと思っていました。
でも、結婚してすぐに夫が病気で倒れ、闘病生活を送ることになった時に、「あ、私の経験って、この人の気持ちが分かるためにあったんだな」と妙に思いました。

そう考えると、何が起きても、辛くても、きっとこれはいつか何かに繋がるための伏線なんだろうなぁと思えるようになりました。

その種がどんな花になるのか。
それが分かるまでは辛いかもしれない。
先が見えない不安感に襲われるかもしれない。
もしかしたら、そのことは自分ではなく、他の人に繋がっていて、自分は花を見られないかもしれない。

でも、きっと、すべてのことは、いつかどこかで、誰かの何かに繋がるように、人生は設計されているのだろうな

だから、その中で精いっぱい過ごせば、それでもう十分じゃないかな。

そんなことを想った新宿迷路でした。


季節が変わってきましたね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?