猫が好きです
猫に翼が生えていたらと思う。
置物然として丸くなっていると思えば、急に颯爽と駆け出す。構ってほしくてこちらに来たと思えば、次の瞬間にはこちらへの興味を失う。私たちは彼らに気まぐれで、アンニュイの中に生きているような印象を受ける。
猫は柔らかい足の、その鞘の部分に鋭い鉤爪を隠している。これが、彼らの溌剌たる運動性を保証する。彼らはその爪故に、高さを恐れず木に登る。彼らはその爪に担保された運動神経から、鼠を殺す。それはアクロバティックな運動で、アンニュイさからは程遠いものだ。しかしどうしても、私たちは彼らを倦怠の動物だと捉える。
私は猫が好きだ。猫の自由さが好きだ。しかし、犬と猫がどちらか好きだと問われれば、犬の方を選ぶ。私は猫の倦怠を愛せない。
なぜ気まぐれで、そして活力に溢れる猫が、倦怠の動物なのか、単にそれは、彼らが地面に縛られているからである。
私は何にも縛られない自由に憧れる。倫理・常識・人間関係・鬱……、私は全てから解放されたい。
しかし、私は縛られている! 懊悩に、憂鬱に、憂愁に、手足を縛られて人生が自由に行かない!
猫に、翼が生えていたら……。
地面に縛られなくなった猫は、それは本当に自由を象徴するだろう。倦怠からは程遠い、晴れやかな空に羽ばたいた猫は、私の憧れを成就させるだろう。
猫に翼が生えていたらと思う。そのフォルムは、きっとキュートで、溌剌としていて、そして自由だろう。
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