夜のベンチ

※8月下旬に書いたものなので時期に誤差あり

 久しぶりに筆をとって(厳密にはキーボードを叩くわけだが)文を書いてみる。しおれた歯磨き粉のチューブから残りの歯磨き粉を搾り取るように、疲労したこの頭でなんとか文を絞り出して書いてみようと思う。
   8月も終盤にさしかかった。私の住む街の夏は、来たる秋に辟易するにはまだ飽き足らぬようで、むしろ暑さは増している。とは言っても、私のこの頃の生活行動といえば非常に淡白なもので、1日の大半は空調のよく効いた室内で過ごしている。ゆえに特別暑さに参っているというわけでもない。ちょうど一ヶ月前から始めた朝活をしっかり続け、朝は6時半に起き、7時にはジョナサンでモーニングを食べながらニュースをチェックし、昼過ぎまで勉強して家に帰る。昼食を軽く済まして少し休憩を取った後は、車で中学生の頃から通っているカフェへ向かう。そこで勉強をしたり読書をしたりして過ごしていれば、気づく頃には閉店時刻になる。家へ帰った後は夕食をとって風呂に入って寝床の準備をして、23時には電気を消してベッドに潜り込む。いかがだろう。誰がどうみても規則的な生活である。眠りの質も非常に良いため、朝は苦も無く起きることができている。
   中学3年の時、いかにも周りと比べて「ませていた」当時の私は、受験勉強の全てを家の外で行っていた。塾のない日は朝から図書館に並び、正面がガラス張りでテニスコートの見える一番端の席にいつも座った。そこに座れば、休憩がてら外の景色を見ることができる。子供から老人まで、皆同じスポーツをやっているはずなのに、それぞれ全く別のものに見えるから面白い。図書館が閉まった後は、軽食をとってそのままの足でカフェへ向かってまた勉強をした。中学生の少年が一体どういう経緯でカフェで勉強をしようと考えたのかいささか疑問ではある。当時はコーヒーが苦手だったが、少ない小遣いを使ってカフェ通いするためには、一番安いSサイズのアイスコーヒーを頼むしかなかった。最初は渋いコーヒーを渋い表情で飲んでいたわけだが、次第にブラックコーヒーでも美味しく感じられるようになった。それから課題や勉強や読書をするときには時折そのカフェに通っている。
   高校生になってからは大学付属ということもあり、本腰を入れて勉強をする機会は無くなった。カフェへ行く機会もそれに伴って減った。そして気づいた頃にはカフェのすぐ外に人工芝の小さな中庭と、そこそこ大きい遊具ができていた。夏場には小さな噴水も上がって、暑い外にいくらかの涼しさをもたらす。昼間から夕方にかけていろいろな人たちがこの中庭に訪れる。外の景色が見られるように、私はカフェでもガラス張りで外の見える端の席にいつも座る。ショッピングモールに併設されたカフェであるため家族づれが多いが、犬の散歩に来た老人もよく見かける。どっちが散歩されているのかわからないほど年老いた老人もいる。小さい子供や犬が外で元気よく走り回っている様子を見ると、勉強疲れの気分転換になるのだ。
 閉店時刻が近づくと、中庭から人は全くいなくなる。最近はカフェが閉まる少し前に店を出て、人のいなくなった中庭で本を読む。ちょうどそのころに隣のベンチに、ある老人が腰掛けてくる。彼はいつもスマホで競馬を見ているようだった。お互いに声をかけるわけでもないし、関心を持っているわけでもない。しかし、ここ数日毎日顔を合わせているので、少なからず親近感はわいていた。人が減った中庭に来ると、外では音楽が鳴っていたことに初めて気づく。形容し難く、ショッピングモールの中庭にはいくらか不適切なファンタジーゲームのようなBGMである。昼間は人の声で遮られているから気づかなかったのだ。生ぬるい南風が噴水の水分を少し含んで吹き付ける。隣の駐車場から多くの車が出て行き、ヘッドライトが壁を照らす。ヘッセの詩集を読んだ後に、ベンチに横になって仰向けで、薄目がちにそんな景色を見ていると、現実的な思考が消えて頭の洗濯ができる。もしかしたら、ここ数日で最も私が重要としていたひと時はこの瞬間なのかもしれない。

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