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[読書記録] 海の上のピアニスト

作者: アレッサンドロ・バリッコ
訳: 草皆伸子
出版:白水社

一人芝居の戯曲形式で書かれていて、1時間程度で読める分量の本です。
ピアノやジャズ、小さな哀しい物語が好きな人にもおすすめです。


この物語の主人公は、船上の天才ピアニスト、ノヴェチェント。
海の上で生まれ、生涯一度も陸地に降りることはありませんでした。
彼が奏でるのは、それまではどこにもなかった、音楽以上のもの。



そして、弾きおわって、彼がピアノの前を去った途端、そいつはもう存在しない……永遠に消滅してしまうんです。

p.22

これはノヴェチェントの親友が、彼のピアノ演奏を描写した言葉です。彼のピアノだけではなく、良い音楽の本質を言い表しているようです。音楽は時間芸術であり、決して取り戻せないその瞬間だけの美しさがあり、私たちの気持ちを揺らしていきます。聞くときも、奏でるときも、それぞれ違う風に私たちに作用します。そういうところが好きなのです。

子供のころ、私の母はピアノの先生をしていました。生徒さんたちの発表会の曲を選ぶために、何十曲もの連弾曲を2人で弾きました。あの時間が幸せでした。2人がピアノの前に座っている姿を、まるでもう1人の私が映像で撮ったように記憶しています。きっと、人生の後の方になっても、いつまでも、あの瞬間がずっと好きだと思います。

ぼくを踏みとどまらせたのは、ぼくの目に映ったものじゃなかった
それはぼくの目に映らなかったもの
(略)
この世界の限界

p.125

地上に降り立つことを試みたノヴェチェントが、そのずっと後に口にした言葉です。私は、知っている範囲でしか世界を見ることができなくなっているのかもしれません。最近何かを恐れた記憶がないのです。旅行の目的地に期待するのは、どこかのSNSで見た風景。10年後の未来に期待するのは、10歳上の人達の現在の断片なのです。

こうして、ぼくは不幸を骨抜きにした。ぼくの人生を夢から解放したんだ。
ぼくの歩んだ道を逆にたどって行けば、そこにはその夢のひとつひとうが今もあるはずだ。

p.136

人生を夢から解放する。多かれ少なかれ、人はみんなそうしているのかもしれない、と思いました。大部分の人が、年齢を重ねるごとにある種の哀しさをまとっていき、でも、それは決して不幸とは違うように見えます。幸せと哀しさは、両方同時に存在しうるのだと思います。


この作品は1998年に映画化されています。監督はニュー・シネマ・パラダイスで有名なジュゼッペ・トルナトーレ。映画では、原作に追加されたエピソードがいくつかあり、一人芝居では表現しきれないストーリーをより丁寧に伝えてくれます。特に、主人公の少年時代、"凍結された夢"、そして親友との最期の会話が、本当に良いです。ちなみに、私はこの映画で主役のティム・ロスのファンになりました。

音楽はニュー・シネマでもトルナトーレとタッグを組んだ、エンニオ・モリコーネ。私は、彼が亡くなった年に「海の上のピアニスト」を映画館で観ました。船を背景にテーマ曲が流れるプロローグでは、その美しさに思わず涙が出ました。スコット・ジョプリンやジェリー・ロール・モートンなどの曲も効果的に挿入されているので、ジャズピアノを聴き始める入門としてもおすすめです。

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