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舞台「ハムレット」

2024/6/8(土) 愛知芸術劇場
演出:吉田鋼太郎
主演:柿澤勇人

これまでに観た中で、最も必死に生きているハムレットでした。生き続けるべきか、死ぬべきか、生かし続けるべきか、殺すべきか。悩みながらも、無情に激しく進んでいく今という時間に耐え続けたその先に、突如与えられた永遠の休息。ハムレットという戯曲に対して、死に向かって少しずつ"落ちて"いくイメージを持っていた私にとって、それは新しい舞台でした。

主演俳優の個性も手伝ってか、終演後には、もっと本気で生きなければならないという思いが残りました。たぶんそれは、いつもと同じ台詞が離されているはずなのに、今回のハムレットはなんだか小難しさが少なく、感情に素直で一生懸命な青年に見えたからだと思います。

今回の舞台は最近私が観たシェイクスピアの中で、最も古典的な演出の一つでした。舞台装置は基本的に城内柱8本のみで、衣装は古風な洋装、性別・年齢ともにイメージ通りの配役でした。私はストーリー設定を現代にしたり、男女配役を入れ替えたり、といった斬新な解釈による演出も面白いとおもいます。しかし、そのような場合どうしてもその意外性に気持ちが向いてしまいます。そして、その解釈に賛成か反対か、判断したくなってしまいます。その点、今回はハムレットのストーリー、台詞、そして役者自身に集中して楽しめました。

もちろん、生の舞台なので、新鮮な場面もたくさんありました。例えば、私は静かな幕開けを期待していたのですが、夜警と亡霊のシーンは活発に勢い良く演じられ、それによって第1幕2場のハムレットの初台詞の暗さが効果的に響きました。第5幕ではポローニアスの役者が墓堀りも演じていて、演劇ならではの皮肉さと切なさを感じました。

また、今回印象的に使用されていたのは「ミモザ」でした。尼寺へ行けの場面で大量に活けてあったり、狂気のオフィーリアが女王に手渡したり、亡くなったハムレットの上に花束が落ちてきたり。途中ハムレットの右足には象徴的に黄色の靴下が。何を伝えたかったのかが分からず、帰りの電車でミモザの花言葉を調べました。全体を通じては「Sensitivity」、殊オフィーリアに関しては「Female Strength」も象徴していたのかなと思います。

そう、オフィーリアが快活で芯が強そうだったのは驚きでした。発狂後の北香耶さんの歌と踊りが非常に上手いのだけど(北さんは他の舞台でぜひまた観たい)、安定しすぎて彼女の主張のようなものを感じました。私にとっては、周囲へ抵抗することなど思いつきもせずに、儚く潰されてしまうのがオフィーリアでした。それが美しくて好きでした。今の時代は自立した女性が流行りかもしれないけれど、芸術くらいは、女性故の弱さを綺麗に守り続けてもいいのではないかと思います。

吉田鋼太郎さんのクローディアスは彼の卑しさ、調子の良さ、人間として失いきれない善良さ、後悔、恐怖が絶妙に混ざりあっていて、魅力的でした。ただ、彼がいつもの調子で亡霊役も演じたので、亡霊というより、完全にまだ生きていて少し面白くなってしまいました。

そして、白洲迅さんが舞台であんなにいいとは。誰かにとって、あんな風に理性と感情のバランスがとれた親友になりたいものです。ちなみに、眼鏡をかけているホレイショーがハリー・ポッターに見えたのは私だけではないはず。

気になった個所も書いておきます。全体的に少々怒鳴り続けすぎている感があり、静かに響く台詞をもう少し聞きたかったと思います。ポローニアス、バーナードー、マーセラス達のセリフは明確に聞こえず残念でした。





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