衡平な選択⑧

【余波】
 都内某所にある施設にどこからかヒーリングミュージックが流れる。
「きゃっ、誰?いま私のお尻触ったの?」
 職員の一人が悲鳴を上げる。誰かが通ったかのように空気が揺れ動く。しかし、その姿は誰にも捉えることはできない。三〇三号室のドアをガラッと開ける。車椅子に乗った少女が顔だけこちらを一瞥すると、再び窓の外を見やる。その視線は遥か遠くを見据えているようだ。
「やぁ遥ちゃん、お花ここに置いとくよ」
 てんは向日葵の花を片手に持ち、少し萎れた向日葵と交換する。
「今日も見えているのかい?」
 遥には窓の外に広がる庭園を気持ちよさそうに飛び回る幸喜が見えていた。遥は手続き記憶も一部失い。歩くこともままならない身体になっていた。病室には遥の部屋と同じように幼い遥と幸喜の写真が飾られていた。
 アメリカと中国の声明のあと、両国に再びβ2- C3N4の雹が降ることはなかった。アメリカにおける水素社会の到来は本件にて数年早まったと言う専門家もいるが、抜本的な改革にはならなかった。中国における汚染浄化は一時的なものであり、むしろβ2- C3N4により低コストでできる汚染浄化が認知されたことで、投資の動きが鈍る作用も働いた。未だ人類はβ2- C3N4を創り出すことに成功していない。
 米中にβ2- C3N4の雹が降ってから七日目、日本の福島原発の近くにβ2- C3N4の雹が降った。汚染水の放射性物質の吸着が期待されたが、残念ながらその効果はなかった。日本に降った量は少量であったため、企業を破壊した大きな塊郡と共に全部を米中に売却し、貿易黒字を増やす結果となった。国会ではこの経緯から歳入のプラス部分は気候変動対策にのみ用いることが決定された。たった七日間の出来事であったが、この一連の社会の動きは歴史に刻まれることとなった。その背景に名もなきヒロインがいたことは一部を除いて誰も知る由もなかった。
 新宿の一角のとあるバー。ピンク色のモヒカン頭と白髪の頭が揃って酒を傾けている。
「一週間早かったな、オイラ今までの中で一番短い祭りだったと思うよ」
「そうだな、遥の体力が限界だったからな」
「K、本当はどこまで知ってたんだい?」
「何がだい?」
「Kの能力は相手の能力を見抜く力。ダイヤモンドに相当する固さがあれば十分資源価値があるんじゃないか?確かに遥ちゃんが作るβ2- C3N4は色も綺麗じゃないしし、認知されていない。装飾品としての価値はないかもしれない。しかしながら、ダイヤモンドの八割は工業用ダイヤモンドつまり研磨剤などに使われる。廃棄物である要素なんかなかったんじゃないかい?」

「てんは物知りだね。しかしながら、仮の話だけど資源が落下するだけじゃ世界は大きく変わらないだろ、廃棄物を落とすという脅迫が必要だったのだよ」
「でも、それは国の要人からすればすぐに見抜ける。結局は遥ちゃんを騙すための詭弁だったんだろ。彼女に限界まで力を使わすための説得材料だったんだ」
「しかしながら、世界は少し良くなった」
「遥ちゃんへの復讐だったのかい?自分をきちんと管理してくれたらあんなことにならなかったのに、代償として輪廻転生もできなくなって…… 」
「てん、もう終わったことだ。遥は他の人にはできないことをした。ノブリスオブリージュだ。遥の生活はβ2- C3N4の売却益で保障できるよう手筈は売ってある。より大きな正義のための尊い犠牲だ」
「オイラはくるみちゃんと一緒に商売するよ。福島で回収したβ2- C3N4の売却益は軍資金としてありがたく使わせてもらう。だから、透明になれるオイラが代表してお見舞いも毎日行くよ」
「今日でお別れだな。今まで世話になった」
「ああ、こちらこそ。そう言えばあの記者は余計なことをしないかな?」
「その点については、こちらで預かろう」
 二人は話題の少女の名を冠したお酒で再度乾杯をし、それぞれの思いを抱えながら静寂な夜が過ぎていく。

 霊司ははっと目を覚ました。時間と場所の感覚がない。手が何かに固定されているようだ。足は動くようだが宙を切る。これはどうやら寝かされているようだ。しばらくすると、黒のニット帽に黒のコート、黒のサングラスの男が入ってきた。
「起きたか?」
「ああ、どういうつもりだ?」
「しばらくここに監禁させてもらう。テレビでも見て待っていてくれ」
 そう言うとKは、テレビの画面にNHKを映した。
「お前らは何をしているんだ?」
「私は遥と残り少ない時間を楽しんでいるよ。他のメンバーは君のダミーを見張るようにいってある?」
「何故そんなことを、お前は仲間を信用していないのか?」
「私は誰のことも信じない。信じるという不確実な行為を好むのは人間の弱さだ。徳を積んだら神に愛されるんじゃない。他者に愛されるんだ。だから人は徳を積むんだ。それを履き違えているから新興宗教団体は敬遠されるんだ」
「何をそんなに恐れたんだ?」
「君のジャーナリズムだよ。君は誰よりも情報の有益性を考えている。その君に他のメンバーを説得する期間を数日でも与えることはリスクだった。君が勝算を持った時点でおそらく我々は負ける。私達は公開処刑されることになる。私達だけじゃない。魔女狩りが始まるんだ。能力者は全員公財となる。君に目をつけられた段階で、私達は半分死んでいる状態だったんだ」
「シュレーディンガーの猫か」
「世界は関係性が多角化され続けている。より複雑でより多くの情報が飛び交っている。とある喧嘩が一歩間違えれば格ミサイルの発射につながるかもしれない。とある会社の倒産が不況を招くかもしれない。未来のシナリオのグラデーションはモノクロに近づいている。いま地球は半分生きていて半分死んでいる状態へと推移している」
「俺の行動が地球を殺しにかかっているという言い方だな。素直に認めたらどうだ。K。遥さんに自信をつけさせてあげたかったんだろ?こんな私でも凄いことできちゃうんだって。お母さんにもお姉ちゃんにもできないことでしょって。でも、遥ちゃんの器には有り余る能力だった。これは人を殺せる能力だ。その状態で彼女を社会に放つのは危険だった。学校でかっとなったら同級生を簡単に殺せる。それに多感な時期だ。承認欲求が暴走して誰彼構わず話してしまうかも知れない。いや、ネットに一言呟くだけでも十分だ。俺でも遥ちゃんをすぐ見つけられる。警察に捕まるのは時間の問題だって分かってたんだろ?だからあんたは決めたんだ。この可哀想な少女に太く短い人生を与えてあげようと。警察もまさか犯人が障害者になってるとは思わない。能力どころか何もできやしないんだから。あんた仲間を信用できないと言ったな。他のメンバーを俺に晒さないことで守ってるんじゃないのか?俺は他のメンバーのことは分からなかった。基本的に仕事をあまり振ってい
いないだろ?HPにもお前の名前とメールアドレスしか書いてない。あんたは最初から窮地に陥ったときのことを考えて他のメンバーのことを守ってきたんだ。何故なら自分のことですら信用してないからだ。自分が失敗したときのことを常に考えている。だからだろうな、能力者と非能力者が手と手をつなぐ未来を考えられなかったのは。想定される最大の損害が最小になるように決断してるんだ。そんな及び腰で理想を得られるのか?いや違うぞ、K。さっき自分で言ってたじゃないか。世界が白と黒の二極化しているのであれば、利得を最大化するリスクを処理することを考えなければいけないんじゃないか。遥さんの能力を科学に反映させて技術革新する方法もあったはずだ」
「詭弁だな。能力者を衡平に社会に還元するためには、同時に技術提供を各国に行う必要がある。しかし、各国とはどこまでだ。先進国か?中国は先進国に含まれるのか?それとも二〇〇弱の国全てに行うのか」
「だから、どうして独りで考えようとするんだ。この星には76億の人間がいるんだ。皆で考えればもっと良い回答が得られるはずだ」
「これはこれは。とんだ過大評価だったな。もはやジャーナリズムでも何でもない。とりあえず生かしといてやる。お前が俺についてくるなら、今後も生かしといてやる。しばらく考えるんだな」
「おまえこそ、俺が言ったことを何度も噛み締めながら遥さんといちゃついてくれよ」
 がちゃりと扉が閉まる。
 六日後。
「プロジェクトは終わった。答は出たか?」
「社会情勢の変移は予想通りだったな。遥さんに合わせてくれ」
「遥か。もう出発しているだろう」
「家か?病院か?」
「いや、都庁だ。最後にもうひと仕事ある」
「まだ、働かせるのか?愛情があるんじゃないのか?どうかしてる」
「遥が望んだことだ」
「…… 覚悟してるんだな?」
「ああ、それに日本に落としたほうが怪しまれずに済むしな」
 新宿都庁に着くと展望台に上る。無料で新宿の夜景を楽しめるため、お財布に優しい。
「あの車椅子に乗っているのが遥だ」
「あらKさん、どうかされました?」
「あなたは私のダミーの方ですか?」
「ええ、スズキと申します。今日はね」
「コウキ…… コウキ」
「遥、大丈夫だよ、いつも傍にいるよ」
Kがいつになく優しい声を出す。
「お前も人間らしいところあるんだな」
「人間ではないからそのとおりだな」
「で、いつまで待つんだ?」
「他のメンバーが福島に着いたらだ。まだ2時間以上あるな」
「じゃぁ、そこのレストランでも入っていよう」
「そうだな。私とRは遥と一緒にいるのがバレルと不味い。通路側の席で監視してよう」
「誰だRって?」
「霊司、お前のことだ」
「なに?KoukiのKに対して、ReiziのRってことなの?案外かわいいとこあるな、お前。いや、K」
「単に呼称は短い方が実利的だ。それにもう、『御手洗霊司』を名乗れる日が来ると思うなよ?」
「ああ、裏社会は得意分野だ。例の物質を売れば金は手に入るしな」
「悪いがうちは給料制だ」
「福利厚生はあるのか?」
「明日くたばるかもしれない、というリスクがある。リスクが好きなんだろ?」
「何も好きとは言ってね~だろうが。ほんと意地悪だね、こいつ」
「お二人共そろそろ行かれた方が」
 ダミーの仕事は最後まで気を抜かない。
「じゃぁ、続きは中で話すとしますか?」
「端的にな」
KとRはレストランの中へと入っていった。都庁には西日が差込み、展望台から見える風景を朱く染め上げるのだった。



まだま若輩者ではございますが。皆さんの期待に応えられるように頑張ります(*'ω'*)