衡平な選択③

【覚醒】
 チョコレートが溶ける温度までお湯を温める。沸騰したお湯を使ってはいけないとどこ かのウェブサイトで読んだ。確か五十度強の温度だ。湯煎でチョコレートが少しずつ溶け てくる。
 遥の小玉はあれから出ていない。あれは白昼夢だったのではないかと、思いを巡らす。 チョコレートがどろどろ溶けていく。遥の心は既に何かをされてしまったのか被害妄想が 膨らんでいく。チョコレートの焦げた香りが漂う。どうやら熱を加えすぎたようだ。ハー ト形の型に流し込んで形状を整えていく。
 明日は女子が男子に思いを伝えるであろうと、製菓会社が決めた日である。遥はこれま で姉が作るのを見てきただけで、バレンタインを意識するのは今回が初めてだ。智也にチ ョコレートをあげたい、というわけではない。智也に会う口実が欲しいのだ。智也はセン ター試験を終え、二次試験に向けて勉強しているはずだ。そんな彼を癒してあげたい。遥 の母性がそう訴える。智也と会う約束をしているわけでもない。智也が明日学校に来るか どうかさえ分からない。しかし、LINEがある。ただそれで聞けばいいだけなのに遥は 聞くことができない。固まってきたチョコレートを眺めながらも、遥の心は固まらない。 運を天に任せる。もしも赤い糸があったならば、智也と会うことができるのではないか。 遥はあり得る現実から目をそらし、他力本願な気持ちになる。突然訪れたら彼はどんな反 応をするか、そんな重い女であることを遥は自覚していなかった。
 チョコレートを冷蔵庫で一時間冷やした後、遥は智也の家を目指した。ラッピングはデ パートで買った小花柄のものにピンクのリボンをつけている。遥の好きなドラマで演出さ れていたものだ。黒のトートバッグにそれを入れると、遥は智也の家に向かいだした。 歩道橋を登り、通路を渡っていると突風が吹いた。トートバッグが風に煽られ、小花柄 の包みが道路に落ちた。と、一台のトラックが通過した、小包の上を。
 ぐしゃり。
 遥の顔から血の気がひいた。遥と智也の唯一のつながり、それが壊れた。あっという間 に。その瞬間、巨大な塊がトラックの後ろに現れた。後続車が寸でのところで反対車線に 迂回する。そのため、ちょうどこちらに直進していた対向車に衝突した。あたりが騒然と する。遥はその場にぺたんと座り込んだ。歩道橋の上から見下ろすと、事故の様子が良く わかる。右に迂回した軽自動車が対向車のトラックに潰されている。運転席が凹んでいる。 運転手は無事だろうか。遥は今おかれている状況を直視できない。遥の無意識が訴える。
「ワタシノセイナノカ」
「ワタシノノウリョクノセイナノカ」
 逃げ出したい。ここから逃げ出したい。本来なら手元のスマートフォンに一一〇番や一 一九番を入れなければいけないのに思考が及ばない。次第に人が集まっていく。遠くから サイレンが聞こえる。
「ココカラタチサラナケレバ」
 本能が訴える。震える足を抱えながら、一歩一歩道を戻る。もはや智也の家に行く気は さらさら起きなかった。今の現実に耐えることができない。気づいたら遥は自室にいた。 誰かに伝えたい。でも、誰に?
 遥の引き出しに収まっているくしゃくしゃの紙。Kの電話番号が書かれた紙。遥はそれ を意識せずにはいられなかった。手に取ると、遥は書かれた番号をスマートフォンに入力 していた。ワンコールで相手が出る。
「こんにちはHさん。Kです。その後いかがですか?」
「あの…… こんにちは。その…… 能力がおかしいんです。大きな塊が…… 突然…… 」
「能力が暴走したのですね。いまどちらですか?」
「自宅です」
「いまからこちらに来られますか?」
 遥は頷くより他なかった。前回の朧げな記憶を頼りに新宿駅まで行き、例の古びた建物 に辿り着く。もうテナント募集の広告は取り外されている。ドアをノックする。
「失礼します」
 ドアを開けると白髪のKしかいなかった。
「お待ちしていました、Hさん。
いまからあなたに能力のコントロールの仕方をお伝えします。何らかの形で感情が高ぶる とき能力は発動します。つまり、ポイントは感情のコントロールなのです。例えるなら意 図的に涙を流すような行為です。女優になったと思って、今まで一番嬉しかったこと、ま たは辛かったことを思い出してください」
 遥は瞬間的に先ほどの事故を思い出した。あの運転手は無事だったろうか。そう思うと、 遥の目から自然に涙が零れた。
 カツーン、カツーン。
 中くらいの玉が口から零れた。
「ほう、君は才能があるね」
「大切なことは認識だ。その玉が自分の体の延長であると、頭ではなく身体で理解する必 要がある。自転車に乗るようなものだ。学校の授業で自転車の乗り方を習ったことがある かい。習うより慣れろが大切だ。もっと感情を深く掘り起こすのだ」
また、ヒーリングミュージックが流れ出す。気持ちが安らいでいく。遥は遠い昔を思い出 し始めた。

 廃棄物の種類は大きく2種類に分かれている。一般廃棄物と産業廃棄物である。最も簡 単な説明をすると、個人が出すゴミは一般廃棄物であり、事業活動の結果出るゴミは産業 廃棄物である。つまり、たとえば火曜日と金曜日に燃えるゴミを出した場合それは一般廃棄物となる。但し、正確にはこの説明は間違っている。実際は法律で産業廃棄物が 20種類 定義されており、それ以外が全て一般廃棄物となっている。そして、一般廃棄物は自治体 が処理を行い、産業廃棄物は民間が処理を行う。
 つまり、列車内に残されたゴミは一般廃棄物であり、自治体が許可を出した収集運搬会 社によって、自治体が管轄している処理場に送られる。東京都では、東京二十三区清掃一 部事務組合が処理を行っている。霊司は、豊島清掃工場に訪れていた。
「すみません、ライターの御手洗と申しますが、こちらの写真に映ったゴミはこちらに来 ていないでしょうか」
 工場長の戸田が答える。
「ん~なんだろな~これは、石材か?金属か?どっちにしろ?うちじゃ扱わねぇんじゃね ぇかな。あ、ちょっと田中を呼んでくれ」
 受付の女性が呼びに行く。
「しかし、なんでまたこれを調査してるんだ?なにか有害なものなのか?」 「そこも含めて調査しています」
「そうか、そうなると、都にも報告しねぇといけねぇな。何か分かったら連絡をください」
「はい、分かりました」
 若い男性が大きく身体を揺らしながら、近づいてくる。
「こんにちはぁぁぁ !!」
 近い距離で大声を出されて、御手洗は驚く。
「おぉ、今日も元気だな。いいぞ、いいぞ。田中、こいつに見覚えあるか」  田中と呼ばれた男が何度も首を縦に振る。
「それ、すごくめずらしい。とってもかたい。おぼえてる。きんぞくとおなじぐるーぷに した」
「さすが、記憶力がいいな。よし戻っていいぞ」
「しつれいしますぅぅ !!」
 帰りも大きな声で帰っていく。
「驚いたかい。こういう清掃工場では、ゴミの分別をああいった知的障害者が行っている。 逆にそうじゃないとこんな仕事はできねぇ、ずっと流れてくるだけのゴミを分ける仕事だ。 誰もやりたがらない。でもな、こんな仕事にだってつけねぇ、障害者もいるんだ。そうい う意味では、あいつらは障害者のエリートなんだ」
「なるほど、勉強になります。それで、この物体の行く先は?」
「ああ、そうだったな。鹿島金属だ。住所はここに書いてある。連絡は俺からも入れてお くよ」
「助かります。ありがとうございました」
 今まで気にしてこなかったが、ゴミの行方というのは思ったより壮大な冒険だった。たった1つのゴミを処理するだけで、これだけの人の労力がかかっているのか。霊司は鹿島 金属で何が待ち受けているのか、少し楽しみになった。

まだま若輩者ではございますが。皆さんの期待に応えられるように頑張ります(*'ω'*)