衡平な選択⑥

【革命】 

灰色のフードを被った男が紺色の制服に身を包んだ女性に声をかける。タイトなミニスカートから覗く生脚が官能的だ。
「トマトジュースを」
男が注文する。飛行機が到着するまで残り一時間。男は一人で前祝いをする。くるみちゃんの方はどうなっているだろうか?
 その前日、一人の女性がパステルカラーのフリフリのワンピースを翻し、赤いヒールをカツカツと鳴らす。くるみちゃんはタイムズスクエアに足を踏み入れた。アメリカが世界に誇る劇場が立ち並ぶ。「キャッツ」、「マンマミーア」、「レミゼラブル」。くるみちゃんはどの作品を観るか迷う。一通り観てはいるが、本場のブロードウェイで観るのは初めてだ。
翌日のことを思うと、高揚感は増し、気持ちが弾む。明日世界が変わる。その前日を祝う宴として、一つの劇場に入る。「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、聖書を題材にイエス・キリストの最後の七日間を描いたロックミュージカルである。聖書に対する冒涜ともも言われるそのアレンジは、くるみちゃん達の挑戦を示唆しているかのようだ。くるみちゃん達が干渉しようとしている世界のルールにそれはどう反映されるのだろうか。
 そのさらに一週間前、Kと遥はSkypeでビデオ通話をしていた。Kはレクサスで首都高を走っていた。スマホの画面が運転席から窓の方を向いている。
 カツーン、カツーン。
 雹のように小玉が降っている。Kと遥の距離はいま十㎞程度である。先週から初めて徐々に距離が伸びている。遥の力は画面を通じても届くことが確認できたのだ。首都高から東名高速に移動した。距離は百㎞になった。遥の力はまだ機能している。つい一週間前までは遥の能力の範囲は数十メートル程度であった。遥の能力は加速度的に伸びている。中国までは約三千㎞、アメリカまでは約一万㎞、まだまだ目標は遠い。でも、能力が着実に伸びていることは感じる。この勢いだと一週間後には目標を達成できる
かもしれない。
 外には桜の花が咲き誇っている。桜の花が落ちるころには世の中に小玉が降るのだろうか。最近、Twitterでは小玉が局所的に降ることが一部のコミュニティで拡散されていた。フェイクだという人もいれば、単に雹やあられだという人もいる。しかし、遥の雹は残り続ける。Kのレクサスは東海道に入り、距離はどんどん伸びている。遥は強く願う、いや祈る。姉との思い出がどんどん希薄になる。もう覚えていることはほとんどない、
名前だけだ。代償として記憶を失う。その抵抗感は当初こそあったものの遥は既に喪失に慣れていた。遥がもともと持っていたものなどたかがしれていて、それはこの能力以外に誇れるものがないということだった。キリスト教の最後の審判、天国か地獄か、どちらに行くかが決められるとき。もしその時が来たら、遥は天国に行きたかった。現世は辛いことだらけで遥は助けを求めていた。その徳を積むうえでこの能力は都合がよかった。天国に行く前に記憶を失うことに何の問題があろうか。
 飛行機が北京首都国際空港に到着する。世界で三番目に大きいこの空港は、二〇一八年の空港利用客数は一億百万人。日本の人口に匹敵する数だ。その群衆の中に埋もれるよう
に溶け込んでいるてんはスマホの画面を滑走路が見える大きなガラスに向ける。
「準備OKだよ」
 Skypeのチャットに打ち込む。すぐにくるみちゃんから返事が返ってくる。
「こっちもOK」
 あとはK待ちだ。
 北京国際空港とタイムズスクエアを遥の小玉の雹にさらす。それが今回の作戦フェーズ三であった。中国とアメリカをこの世からなくすというのはあくまでも比喩であり、目的
は国家機能の一部停止であった。主要機能は残すことで現在の政策の修正を促すことが狙いだ。Kと遥がいるスカイツリーの展望台からは北京国際空港の距離は二〇八七㎞であり、タイムズスクエアまでは一〇八三八㎞である。中国における作戦は成功するだろう。しかし、アメリカまでその思念が届くかどうかは不確実だった。

 スカイツリーのエレベーターは春夏秋冬の四種類である。それぞれ趣があり、リピートしたいと思わせるうまい工夫だ。しかし、そんな日本が誇る四季も気候変動で失われつつある。亜熱帯に近い環境になり、春と秋が短くなる。遥は四季が好きだった。変わらない自分に対し、四季は時間とともに変化していく。その様を観るのが、聴くのが好きだった。

 使命感。そんなものは遥にはなかった。しかし、姉と違って期待もされず友人にも恵まれなかった遥が何かを成し遂げることができるということのみが大切なことに思えた。存在を肯定されている気がした。歴史の授業で習う数々の偉人たち、彼らは同じことを感じたのだろうか。ゴッホなどの生前評価されなかった偉人もいる、死後再評価されたアインシュタインもいる。遥は歴史の教科書に載ることはない。これらの現象から遥の存在に辿り着くことは不可能だろう。神と崇められることもなく、牢屋で罪を償うこともなく、名もなき女としてこの世の生をまっとうする記憶喪失の女。遥の未来は既に見えていた。
「ねぇ、K。どうせ忘れちゃうと思うんだけど、聞いてもいいかな」
「忘れることと聞くことはあくまで独立した事象だ」
 Kは答える。
「君の名は?」
「その映画は観たよ」
「いや、そういうことじゃない」
「遥ちゃんはペットを買ったことがあるかい?」
「以前言ったでしょ。白い梟を飼ってたわ」
「その梟はマウスは食べるけど、ウズラやヒヨコは食べなかったね」
「どうして…… 」

「同じ種族を食べたくなかったのだ。人が人を食べないようにね」
 Kは続ける。
「成長して初めてマウスを食べたとき、食べるのに慣れてなくてその純白の羽を鮮血に染めていたね。君はそれを見たとき泣いていた。でも、同時に命の尊さも学んだはずだ」
「あなたは一体…… 」
 エレベーターが最上階に到着した。昼の一二時を迎え、展望台は閑散としている。ランチタイムだからであろう。KはSkypeでビデオコールする。ニューヨークで二二時を迎えるくるみちゃんと北京で一一時を迎えるてんがワンコールで電話に出る。
「ショータイムだ!」
 北京国際空港に数多の小玉が降り注ぐ。突然のことにすべてのフライトが離着陸を中断する。一方、タイムズスクエアでは何も起こらない。やはり一万㎞の距離を超える思念波を出すことはできないのだろうか。
「ようやくこのくるみちゃん様の出番ってわけね。遥ちゃん、行くよ~!!」
 遥の鼓動が高鳴る。くるみちゃんによってときめきを覚える。それは智也に対するものでも、この現状に対するものでもなかった。
 ぱさぱさぱさ。
 遥の脳裏に唯一の友人である白い猛禽類が掠める。
「K、あなたは…… 幸喜」
 その瞬間タイムズスクエアの上空に暗雲が立ち込め、小玉の嵐が吹きすさぶ。いくつかの信号が故障し、渋滞が発生する。歩行者もただただ上空を見上げるばかりだ。ついに革命の日が訪れたのである。遥の最後の七日間が始まった。崇められることも裏切られることも磔にされることもないが、遥は名もなき聖人としての道を歩み始めた。

 霊司は、首都高から東名高速にかけて降った謎の雹について調べていた。車がパンクし、渋滞になったことでメディアでも報道されていた。企業を狙った10件の事件は報道されていないが、この主要幹線道路以外でも雹は降っており、一般市民が手に入れられるようになってしまった。警視庁から、もしくは日本政府からの発表も近いところか。
 かく言う霊司もまた、謎の雹を手に入れていた。松井からは同じ物質と考えられると回答が来ている。ということはだ。女子高生Yは1月から3月にかけてこの物質を撒き散らしているということになる。極めて危険な人物だ。高校への聞き込みも行っているが、成果はあがっていない。もちろん、JKビジネスへの流入が一定数行えているのはありがたいが。印だらけのマップを広げると、残った学校に丸をつける。それは遥が通う武蔵高校だった。

 二日目。中国とアメリカはもちろんのこと、主要各国では正体不明の気象現象について報道がなされていた。最後の審判の日が来たという者もいれば、UFOを見かけたという者もいる。もっとも信頼性の高いと思われる情報は、竜巻によって巻き上げられたい謎の物体がたまたま北京とニューヨークを襲ったという仮説である。ファフロツキーズと呼ばれるこの怪異現象は古くから知られている。一八七六年三月、アメリカ合衆国ケンタッキー州バス郡にて百× 五十ヤード四方の範囲に赤身肉の断片が降り注いだ。また、二〇〇九年六月、日本石川県七尾市などにて多数のオタマジャクシが降った。しかしながら、これらの小玉は謎の物体とされており、中国とアメリカにて急遽検査体制が構築されている。

 霊司は武蔵高校の門前で帰宅する生徒に声をかけていた。
「ごめんね、忙しいところ、この子探してるんだけど、見覚えないかな。そうだよね。分かんないよね。じゃぁ、何か変わったことあったら、ここに連絡してくれる?謝礼は出すからさ」
 こういった口説き文句を百人もかければどこかにひっかかるだろう。そのとき、一組のカップルが通り過ぎたので声をかける。
「え~誰か分かんないよ。顔隠れてるし、髪型も体型も普通だし。ともち~ん、早くお家行こう」
「何かあればご連絡ください。謝礼もありますんで」
 そう言って霊司が名刺を差し出したところ、男子高校生は写真を食い入るように見ている。
「何かあったんですか?」
「いや、1月上旬に、女子高生がゴミを撒き散らしたようで、その女性を追ってるんですよ」
「謝礼はおいくらですか」
 その回答に霊司は手応えを感じた。

 三日目。武蔵高校の二年生である渡辺琉衣は、タピオカミルクを片手に帰路に就いた。最近、同じクラスの佐藤遥が学校に来ていない。そのことに気づいていた数少ない生徒であった。家に帰ると、パソコンのスイッチを入れ、いつものようにYoutubeを流す。たいてい猫の動画か好きなアーティストの動画を垂れ流しにしているが、今日は気まぐれ
で急上昇の欄をクリックしてみた。その中に誰も座っていない椅子のサムネイルがある。タイトルは「TothegovermentsofAmericaandChina」である。過激な圧力団体の動画だろうか。それにしても静かな何の主張もないサムネイルが気になる。クリックしてみる。約三分の動画が始まった。
 画面はサムネイルのまま変わらない。ただ、機械のような英語の音声だけが流れている。ここは漫喫だろうか。琉衣はあまり英語が得意ではないので、何と言っているのか分からない。CO2と言っていることだけは分かる。しかし、誰も映っていないのはどういうことだろうか。これでは警察当局も容疑者を絞れないだろう。再生回数は一億を超えている。米津玄師の「lemon」の再生回数は約五億回であるが、それに近い数字である。しかし、世界全体での数字なら大したことはないのだろうか。JustinBieberの「Baby」は世界で二一億回の再生数である。それに比べたら訴求力は低いのだろうか。と、有名アーティストを無意識に基準においている自分に気づく。署名一億人と考えれば凄い数字なのだろうか。もちろん回数はのべであり、賛同もされているわけではない。しかし、バズっていることは確かだ。
 二〇一五年十月に開始された児童扶養手当の増額の署名は約四万人となり、翌年八月に法改正された。一億の視聴数のうち一%でも賛同者がいたら百万人の賛同である。そう考えれば、かなりの効果のロビイング活動になるのだろうか。しかし、琉衣のような一介の女子高生には預かり知らぬことであった。

 椎名智也から情報を得た霊司は、佐藤遥の家に向かったが、留守であった。母子家庭で、母は勤務中、姉は卒業旅行で海外に渡航しているようだ。佐藤遥のLINEに友達申請したが、反応はなかった。クラスメートにインタビューしたところ、クラスでも目立たない存在で特に中の良い友達はいないという。帰宅部で母も姉もいなければ、相当な孤独だろう。考えられるのは2つ。インターネットの中に自分の世界を作っているか、男がいるか
だ。後者の件は、椎名智也の供述からいないと考えたほうがいい。となると、彼女はインターネットを介して団体Xとつながった可能性が高い。
 日本政府は、この米中を揺るがす脅迫動画を受けて、全力を挙げて動画配信者ならびに協力者を見つけること、既に日本でも複数のテロが行われており、その物質について同定したことを国際社会に向けて発信した。もちろん、佐藤遥が主犯格であることを知っているのは、超能力研究会と霊司だけであった。

 四日目。各メディアでアメリカ政府と中国政府に対する声明の動画がネットを賑わせていることが報道された。原文の英語は翻訳されており、日本語でその説明が記載されていた。
「これは警告である。我々が下した鉄槌の意味をアメリカ政府と中国政府に理解して頂きたい。先日、北京とニューヨークを襲った雹のような小玉の嵐は我々からのメッセージである。我々はいつでも二酸化炭素を固定化して降らせることができる。この物質はダイヤモンドのように固い。両政府が二酸化炭素を排出し続ける限り、この小玉は止むことはない。繰り返す。アメリカと中国が二酸化炭素を排出する経済活動を見直さない限り、この小玉は降り続ける。この廃棄物の処理コストと二酸化炭素の削減コストを天秤に載せて考えると良い。選択肢はひとつだ。明日から三日以内に両国首脳は二酸化炭素の排出削減目標の大幅な改善、つまり二〇五〇年に産業革命以前に比べて一. 五度の世界平均気温の上昇を防げるだけの野心的な義務を負う声明を出すことを要求する。最後に、この現象はアメリカと中国に限る話ではない。以上」

 深夜にカツカツとハイヒールの音が近づいてくる。エレベーターが下からあがってくる。
佐藤遥の家の扉に鍵を入れてドアを開けた瞬間、霊司は右足をドアの隙間にすべり込ませ
る。中に入った妙齢の女性は驚いて声が出ない。
「落ち着いてください、和美さん。こういう者です。遥さんを助けに来ました」
 しばらくドアの境界で攻防があったが、遥がしばらく帰ってないだけでなく、学校にも行ってないことを指摘すると、ようやく家にあげてくれた。簡単に状況を説明する。
・遥は、カーボンナイトライドの新構造物を作り出せる
・インターネットを介して知り合った組織に命じられて国内外でテロを起こしてる
・この事実を知るのは霊司と和美、組織Xだけである
にわかには信じられないことであったが、列車内の写真を見せられると、和美はそれが自分の娘だと認めざるを得なかった。そして、東大からの分析結果を見せられてしまうと、最近報道されている事実と共通点があり、何も言えなくなってしまう。
「明日、有給休暇を取ります。警察と共に相談しましょう」
 和美が話を終わらせようとすると、霊司が念を押した。
「どうやら勘違いをされているようだ、和美さん。いま、あなたの娘さんは指名手配犯になっているんです。私の話をそのまま伝えようものなら、いくら遥さんが悪くないからと言っても、警察に拘束されるでしょう。あるいは研究所で被検体とされてしまうかもしれない。でもね、和美さん。あなたの望みはそんなことじゃないはずだ。娘が戻ってきて、通常通りの生活をする、そして受験して良い大学に行く。そういうことじゃないんですか?」
 霊司に言いくるめられ、和美はとりあえずホットコーヒーを煎れに行った。その間霊司は許可を貰って、遥の部屋に入り、パソコンで履歴を検索することになった。
 遥の部屋はいたって普通の部屋だった。整然としているし、かわいい小物なども見られた。ただ、壁中にシロフクロウの絵が飾られていた。それは成長の証とでも言えるように、稚拙な絵から徐々に写実的な絵へと変わっていった。中には女児と共に描かれているものもある。おそらく、これが遥だろう。
 パソコンはもちろんロックされているが、専用ソフトがあれば開けるのはそう難しいことではない。ただ、それを使うまでもないような気がした。霊司は画面にこう打ち込んだ。
「Kouki」
 画面が開く。そして、霊司は辿り着く。超能力研究会の掲示板に。

 五日目。アメリカと中国、両国において国際研究チームが結成され、例の落下物質の解析がされていた。報告書の一節は以下の通りだ。
「ほどなくして落下物質は最近まで理論上の物質であったβ- C3N4によく似た炭素の同素体(以降、β2- C3N4)だということが分かった。これは日本で起きた一連のテロに用いられた物質と同一物質である。既に別の構造であるg- C3N4については光触媒の働きが知られており、有害物質の除去などの効果を持っている。β2- C3N4は既に発見されているg- C3N4より優れた物質であることが分かった。光触媒としてのg- C3N4は紫外線と可視光線しか使えないのに対し、β2- C3N4は赤外線でも利用することができる。その結果、水の分解による水素製造や有害物質の除去がより効率的に行われる。
 処理については化学的な処理をすると二酸化炭素が生じてしまう上に、生物学的な処理では時間がかかってしまう。そうすると、燃えないゴミとして埋め立てるしかないが、近くに有機物があると光で反応して二酸化炭素がやはり生じてしまう。専用の埋め立て場を建設する必要があるが、そんなに簡単に埋め立て場を建設する合意形成と場所と費用を工面することはできない。そのため、仮置き場という一時的なゴミ保管スペースを公共の場に作る必要がある。しかし、それではスペースが足りない。そのため、税金を使って民間会社に場所を借りる必要がある」。
 これは廃棄物ではなく資源として活用する必要性がますます生じた。中国では大気汚染や水質汚濁に活用された。アメリカでは水素の製造に活用された。触媒に使われたβ2- C3N4は廃棄物として埋め立てるのであっても、そのコストは商業利用によって得られた収入で賄うことができるという試算になった。
 二酸化炭素を気体として地下や海中に貯留する技術の実用化が近年期待されているが、漏洩や海洋酸性化などの問題があり、実用的ではなかった。一方、固体化されたβ2- C3N4はそのリスクがないため、実質地球に二酸化炭素を固定化できることとなる。

 霊司は、超能力研究会の掲示板のURLをメモると、佐藤家を後にした。当然、鉄道は動いていない。駅近くのネットカフェで仮眠を取ることにしよう。そう思っていた最中、首筋に鋭い痛みが走った。途端に眠くなる。朧げな意識の中で最後に目にしたのは、白髪と黄色い目。後は闇そのものだった。

 六日目。アメリカ政府と中国政府では、首脳による声明文の草案が作成されていた。当初は、パリ協定の二〇二五年または二〇三〇年の排出削減目標を野心的にする代わりに、β2- C3N4の落下を止めてほしいという内容であった。EUでは、β2- C3N4の落下がないにも関わらず二〇三〇年の目標をさらに野心的にしてきた。米中への国際圧力である。しかし、β2- C3N4の資源的有効性が判明して、草案は差し替えられた。
「貴殿の環境問題に対する懸念、配慮は我々も感じるところである。貴殿が降らせた物質は資源利用が可能な貴重なものである。世界のエネルギーセキュリティならびに汚染浄化のためにも貴殿の協力を仰ぎたい」
 企業や連盟、NGO、果ては学生団体まで同調する声明を出していった。行政や警察当局は動画の配信者を探したが、未だ見つかっていない。都内の漫喫で配信されたことは分かっているが、入場記録は残っていなかった。まるで透明人間かのように。Youtubeのアカウントはいわゆる捨てアドで作成されており、再生回数に応じた収入を受け取る契約もされていなかったので十分な個人情報は得られなかった。収入目的の犯行でもないようだ。しかし、β2- C3N4の落下と犯行声明の因果関係は証明できない。偶然の産物かもしれないし、仮にそんなことができたとしたら某国の科学技術の結晶かはたまた超能力によるテロなのか、そんなものがあればの話だが。単独犯なのか、複数犯なのかも分からない。今や世界中が注目していた。遥達の存在に。
 七日目。遥、幸喜、てん、くるみちゃんが事務所に集まった。幸喜が口を開く。
「私達の目論見は、遥の能力で二酸化炭素を固定化して当該国内の廃棄物とすることで、気候変動による越境問題を内部化することであった。内部化とは、環境負荷に伴う費用を原因者に直接負担させることだ。しかしながら、遥が生成したβ2- C3N4は資源価値があり中国での汚染問題の解決やアメリカでの水素生産コストの低下は社会を変革するイノベーションである。ただし、この変革を維持するためには恒久的な供給が必要である。そして、考えてほしいのは遥のこの状況だ」
 遥は虚ろな目をしている。焦点が定まっていない。
「遥、遥」
 幸喜が語りかける。
「コ、コ、コウキ」
 幸喜のことは覚えているようだ。それ以外のことはどれだけ覚えているのだろうか。
「これ以上続けると頭で覚える陳述的記憶だけでなく、身体で覚える手続き記憶にまで影響が及ぶだろう。せいぜい後一回しか能力は使えないだろう。遥が良ければだが」
幸喜の語りにくるみちゃんが反論する。
「あたしはもういいと思うな。十分、社会にインパクトは与えられたんじゃないかな。遥が可哀そうだよ。こんなに大きな代償を払って…… 」
 てんも続く。
「オイラもそう思うかな」
「そうだな、このあたりで潮時か…… 」
 幸喜も諦めたようだ。
「コウキ、コウキ、ワタシドウシタライイノ」
 遥があらぬ方向を仰ぐ。
「遥、君はもうがんばったよ」

「ワタシ、アナタニズットアヤマリタカッタ。チミドロノアナタヲワスレタコトハナカッタ。コウキ、ワタシドウシタライイノ」
「遥はやりたいのかい」
「ワタシ…… ツグナイタイ」
「能力を使えるとしたら後一か所が限度だ。どの国を救いたい。汚染浄化もできるし、資源として売却して経済を潤すこともできる。アフリカの最貧国のシエラレオネでも、アジア最貧国のバングラデシュでもいい。ただ一か国だけ援助することができる。君の好きな国を選ぶといい」
「私は…… 」

「おい、起きろ」
 霊司は気が付くと身体を何かに縛られていた。手は動かない。足をばたつかせるものの、
宙を切るだけだった。
「目が覚めたか」
 声だけが聞こえる。姿は見えない。周囲の様子からどこかの部屋に寝かされているようだ。
「御手洗霊司、37歳。株式会社Xで週刊誌の雑誌記者をしている。早稲田大学政治経済学部を出た後、青年海外協力隊でアフリカに赴任後、朝日新聞社に入社。政治部、経済部、国際部など回るが、周囲に惜しまれつつも退社。卒論は、『情報の非対称性と社会運用の関係について』。家族構成は…… 」
「分かった。お手上げだ。全部調べてあるんだろ。それよりなんなんだ、お前らは。何が目的なんだ」
「これから死ぬ人間に説明する必要はないな」
「この日本で殺人なんか犯して逃げられると思うなよ。検挙率はほぼ百%だぞ」
「遺体が見つからなければ、話は変わってくる。日本の行方不明者の数を知らないのか。毎年8万5千人前後の人間がいなくなっている。他殺が含まれてないとでも思ってるのか?」
 こいつは何を考えているんだ?そもそも何故俺を活かしているんだ。霊司は思う。
「ここはどこだ。まだ暗いな。佐藤遥の家からはそう離れていないはずだ。悪臭が漂うな。新宿か?」
「お前の仲間はあと何人いる?」
あと何人?ということは誰かを認識されているのか?
「東大の松井は抑えてある。カーボンナイトライドの件を隠蔽していた件を秘密にする代わりに、女子高生の件は秘密にしてもらっている。カーボンナイトライドは没収した」
 秘密の共有か。意外と平和主義者なのか。

「仲間を売ることはできないな。俺が連絡つかなくなったら、仲間は察して逃走するだろう」
「なるほど、しかし、いない仲間についてはこちらも分からない。お前だけでも殺した方が良さそうだ」
「分かった。仲間は2人いる。そいつらを教えるから、俺は解放してくれ。今回の件は誰にも話さない」
「そうか、じゃぁその仲間を2人教えてもらおうか」
 霊司は会社の同僚の名前を2名出した。
「よし、じゃあそいつらの電話番号を教えろ」
 ダメだ。このゲームは負ける。3人とも殺される。
「あ~嘘だ嘘だ。松井と俺だけだ。命欲しさに言ってみただけだ。守るほどの人間でもないけどな~」
「そうか。じゃぁ、お前を殺して終わりだな」
「最後にジャーナリストとして聞かせてくれ。目的はあのYoutubeの動画の脅迫文通りなのか??」
「そうだ」
「大きな正義を振りかざしているようだが、何の権限があってそんなことをしているんだ?あの雹で飛行機事故も死傷者も出てる。交通インフラが止まったことを考えると、経済的な影響は莫大だ。お前さん方はそこらへんの責任はどう考えているんだ」
「今の人類が背負っている二一〇〇年の人類に対する責任に比べればはるかに軽いと思うがな」
「世代間衡平性ってやつか」
「ほう、少しは知っているようだな」
「知らないことを形にするのが仕事なんでね」
「お前は私達を槍玉に挙げて衆目の目に晒すことが目的だったのか」
「ああ、誰もが知る当然の権利だ」
「しかし、お前の卒論『情報の非対称性と社会運用の関係について』には違うことが書いてあったぞ。『完全に論理的な人間に適切な情報を与えることで、集団は適切な回答を導き出し、それに沿って行動することができる。しかし、その適切さは社会構造の安定化に寄与するとは限らない。たとえば、ある国で不況になることが予め分かっていたら、その国から移住する者が増えるだろう。これは不況を加速化させ、最終的には国家破錠を招く。また、五〇年後に地球が滅びることが分かっていれば、年金システムは機能を停止し、出生率が下がり、犯罪が増加するであろう。このため、地球が滅びる前に社会が滅びる可能性がある』とあるな。つまり、なんでもかんでも真実を明らかにしない方がいいということだ。知らぬが仏というやつだな」

「今回の件は黙ってた方がいいってことか?」
「今回の件を明らかにしたところで私達は逃げおおせる。捕まるのは遥だけだ。この可哀想な女子高生に世界中の罪をなすりつけたところで何になるんだ。お前の自尊心を満たすだけじゃないのか」
「じゃあ誰の責任になるっていうんだ?」
「地球からのしっぺ返しだとでも思えばいい。脅迫声明とこの『天災』の因果関係は誰も立証できない」
「なぜそこまでしてあの子を守りたいんだ」
「お前には関係ないことだ。そろそろ死んでもらうか」
 Kが再び注射器を取り出す。
「お前がボスのKってことでいいんだな?」
「それをお前が知る必要もない」
「こうき」
 Kが霊司の方を向く。
「反応したな?KはKoukiのKか?佐藤遥の部屋に、壁中にシロフクロウの絵が貼ってあった。母親に聞くと、遥が10歳のときの誕生日プレゼントだったそうだな。どうやって死んだか聞きたいか」
「構わん、続けろ」
「それなら、条件だ。
1.佐藤遥を解放しろ
2.世界に向けての謝罪会見をうちが独占でさせてもらう
3.そして俺を解放しろ
この3つが条件だ」
「強欲だな」
「勝負ってものは、勝てるときに畳み掛けるんだよ」
「遥の役目は終わった。もう彼女は何もできない。この仕事において何もできないんじゃない。あらゆることにおいて、何もできない。身体障害者一級だな。彼女は障害年金で生きていけるだろう。それにカーボンナイトライドの売却益もある。彼女はお金の面で言えば困ることはないだろう」
「じゃぁ、佐藤遥は解放するんだな?」
「もともと我々が強制したことでもない。彼女が自ら『衡平な選択』を行ったんだ。できる人がやる。ただそれだけのことだ。ホテルニューワンの三一〇号室に泊まっているから、勝手に連れて行け。本件については、他言無用だ。遥の母親にも伝えておけ」
「なに?謝罪会見は行わないのか?その前にこれを解け」
「謝罪は行わない。それこそ遥が行ったことが無意味になる。見えない力に脅かされながら、人類は生きていかなければならない。遥は世界の抑止力になったんだ。もう一歩で神になれるところだったな。この団体も解散する。もうお前が辿り着くことはない」
 そう言うと、Kは持っていた注射器を霊司の首筋に射した。


まだま若輩者ではございますが。皆さんの期待に応えられるように頑張ります(*'ω'*)