ニーチェの永遠回帰は物理的にあり得るか?

ニーチェ哲学の考え方として永遠回帰思想というのがある。無重力環境で箱の中に3つピンポン玉があるとする。これらは今、自由に動き回っている。いま、この瞬間の位置と運動量は今後限りなく永遠に続く時間の中でどこかの瞬間にまったく同じ状態をいつかは取るのではないか。そして、まったく同じ状態を取るということは、そこから再びまったく同じ運動を永遠に繰り返していくのではないか。という話である。この世界を分子や原子の入った箱だとすると、この世界にも同じことが言えて、長い周期で永遠に繰り返しているのではないだろうか?これを踏まえて、哲学としてニーチェが言いたいことは、このような無限に繰り返す世界の中で、一度でも心躍る瞬間があれば、その人生は無限に繰り返すに足りる人生だといえる、という話である。

さて、心躍る瞬間の話はさておき、今は物理的にこのようなことが起こりうるのかということを空想してみる。結論から言うとこのようなことは起こらないだろうといえる。その根拠を2つの視点から説明する。一つは量子力学的なアプローチで、もう一つは熱力学、統計力学的なアプローチである。

まず、量子力学的に考えると、上記の話が成立しない部分は、同じ初期条件(位置と運動の速度(運動量))が与えられたとしても次の瞬間の状態は前の周期と同じにはならないからだ。これは、量子力学的には初期状態に対して終状態は確率的にしか決定されないので、同じ状況が繰り返されるとは到底言えない。つまり、古典力学的なピンポン玉の話が実際のこの世界に当てはまらないのは古典力学と量子力学の違いからくるものなのである。

次に、熱力学的な観点から考えるとこれはエントロピーの増大測に反している。具体的には少量のコーヒーに少量の牛乳を加えたとして、コップの中ではコーヒーの成分の牛乳の成分が渦巻いているわけだが、どれだけの時間を待ってもコーヒーの成分と牛乳の成分が分離することはないだろうといえる。それが宇宙規模の原子の量になると到底どれだけのどれだけの時間をかけたところでまったく同じ瞬間が訪れるとは考えられない。つまり、3つのピンポン玉の話が実際のこの世界に当てはまらないのは、少数の物体の運動とマクロな系での違いからくるものなのである。

参考
これら二つの話はいずれも時間の方向というのが背後に隠されたテーマになっている。物事の不可逆性を生み出している物理現象として、量子力学での波動関数の収束、熱力学でのエントロピーの増大測が、時間の方向を形作っているからこそ同じ状態は二度と訪れない、時間は一方向にしか流れないのである。

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