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『入門 米中経済戦争 』:全文公開 第6章の4

『入門 米中経済戦争 』(ダイヤモンド社)が11月17日に刊行されました。
これは、第6章の4全文公開です。

4 いま中国で起きているのは「第3次天安門事件」

巨大IT企業の力をそぐ
 規制強化が中国の成長にとって大きなマイナスであることを、中国共産党は重々承知しているはずだ。それにもかかわらず、中国政府はなぜIT企業への規制を強めているのか?
 一つの解釈は、中国のIT企業があまりに巨大化すると、共産党の指導力に悪影響が及ぶというものだ。
 アントの企業価値評価は4000億ドルに達してしかるべきだとの見方もあった。そうなると、評価額は資産規模で世界最大の銀行である中国工商銀行に並ぶ。巨大IT企業の力があまりに強くなり、共産党がこれをコントロールできなくなるような状態は、放置するわけにはいかないのだろう。だから、(共産党の目から見て)いきすぎた自由化にストップをかけるための引き締めが行なわれている、との見方である。
 こうした解釈は、これまで述べた規制強化のすべての場合について成り立つ。

中国大衆の不満
 中国大衆の不満も無視できない要因だろう。人々の間で巨大IT企業に対する不満が広がっており、共産党はそれに対処せざるをえないということだ。所得分配の不公平、貧富の差の拡大、巨大IT企業の横暴などに対する不満だ。
 アリババやアント・フィナンシャルに対しても、中国民衆の間では「貪欲」との評価があるようだ。ディディのサービスに対しても、中国消費者の間では多くの不満や不信が蓄積してきたと言われる。
 中国共産党としては、こうした不満を無視できない。そして、農民や工場労働者などを中心とした低中所得者層の立場に立った政策を展開することによって、政権基盤の強化を図ろうとしているのかもしれない。
 つまり、鄧小平の「黒猫白猫論」(白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのがよい猫である)を否定し、共産党の原理念に戻ろうとしているのだ。これが、中国共産党が規制を強める理由として、第2に考えられることだ。
 富の集中は、巨大IT企業に限ったものではない。国有企業にも似た問題があるかもしれないし、共産党内部の汚職もあるかもしれない。ただし、巨大IT企業への富の集中は、あまりに目につきやすいので、放置するわけにはいかないのだ。

データ漏洩防止
 ディディの規制については、以上で述べたこととは別の観点から見ることもできる、それは、米中間の経済対立がデータの領域にも及んできたとの解釈だ。つまり、ディディなどのアプリを通じて中国の情報がアメリカに流れるのを阻止しようというものだ。
 国家間の情報戦争は昔からあった。ただしそれは、軍事情報や国家機密情報をめぐってのものだった。もちろん、それは現在でも問題だ。だが、最近起こっていることの特徴は、そのような情報だけではなく、ビッグデータに関連する情報が問題になっていることだ。
 ディディが蓄積している「移動」の情報は大変重要なデータであり、中国当局が神経をとがらせるのも無理はない。ディディのデータベースには、外国に知られたくない機密情報がたくさんあるだろう。それらをビッグデータとして解析すれば、かなりのことが分かる。上場すれば直ちにこうしたデータが流出するわけでもないだろうが、神経質になるのも理解できる。
 第4章の2で述べたように、中国は「データ安全法」によって、データの国外漏出を防ごうとしている。ビッグデータはAIの能力を高めるカギであり、AIは国の競争力を決める。したがって、データをどれだけ集められるかが国の将来を決める。米中間でデータをめぐる対立が生じるのは当然のことだ。

習近平は中国企業のアメリカIPOを不快に思っている
 ディディへの規制強化については、もう一つの解釈も可能だ。それは「中国企業のアメリカ市場でのIPOを、習近平国家主席が不快に思っているから」ということだ。習近平は、中国企業が中国市場をないがしろにすることにかねて反感を抱いていたが、それが今回具体的な形をとったというのだ。
 中国当局は、ディディのニューヨーク証券取引所でのIPOを取りやめるよう圧力を掛けていたが、ディディがそれを押し切ってIPOを強行したため、アプリの新規ダウンロード停止という強硬措置をとったというのだ。
 中国の威信を強調する習近平がアメリカでの上場を望んでいないというのは、十分にありうることだ。
 こうした見方を裏付ける状況証拠はほかにもある。2021年6月にニューヨーク市場に上場したトラック配車のフル・トラック・アライアンス(満幇集団)と、求人アプリ「BOSS直聘」運営のカンジュン(看准)についても、中国当局は同様の調査を始めていた。また、中国政府と中国共産党は、7月6日、国外で上場する中国企業への規制を大幅に強化するガイドラインを連名で発表した。
 以上で述べたように、さまざまな解釈が可能だが、何が口実で何が本当の理由かは、分からない面もある。

経済的に不合理であると承知しつつ強硬手段
 規制を強めることによって海外からの投資が減ることは、十分に予想される。IT企業の資金調達が難しくなれば、技術開発がスローダウンし、中国の経済発展にとって明らかにマイナスだ。
 その意味では、これは経済的には不合理な決定である。それは、天安門事件の際に、強権に訴えれば海外からの投資が減ると予想されたにもかかわらず、共産党の権威確立のために強硬手段をとったのと同じことだ。
 その意味で、いま起こりつつあるのは「第3次天安門事件」だということができる(1989年6月の天安門事件は「第2次天安門事件」と呼ばれるので、「そのつぎ」という意味で「第3次天安門事件」とした)。

優秀な中国人留学生が中国に戻らなくなる
 IT企業に対する規制強化は、中国の技術開発に大きな影響を与えるだろう。
 もともと中国におけるITの発展は、中国の若者がアメリカの大学院で勉強し、その成果を中国で応用したことによって実現したものだ。
 彼らは「海亀族」と呼ばれる。こうした人々が中国の著しい発展を支えたのは間違いない事実だ。それは中国国内で活躍の機会があるという期待に基づいたものであった。その期待がこれまでは満たされてきた。
 ところが、引き続く規制強化によって、「先端IT企業といえども、共産党のさじ加減次第でどうにでもなる」ということが分かった。共産党の顔色をうかがいながらでしか活動ができない。そうなれば、優秀な中国の若者は、中国に戻るのでなく、アメリカにとどまることを選ぶだろう。
 ズームの創業者エリック・ヤンは、中国の大学で学位を取ったあと、アメリカのIT企業に参加し、その後独立した。そしてコロナ下で事業を急拡大し、売り上げが急増した。まさにアメリカンドリームを実現したわけだ。
 こうしたことを見れば、それに続こうとする者が出てくるだろう。それは、中国の経済発展に深刻な打撃を与えることになるだろう。


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