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『2040年の日本』全文公開 はじめに

『2040年の日本』 (幻冬舎新書)が1月20日に刊行されました。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに:なぜ未来を考えるのか

 未来は、いまと同じではない
 仮にあなたが40歳であるとしよう。20年後には60歳になり、家族も歳をとる。子供たちは仕事に就いているだろう。
 他方で、自分がいまと同じ職場でいまと同じように働いているわけではないだろうとも、漠然と考えている。また、自分や配偶者の健康状態が、いまと同じではないかもしれないとも考えているだろう。
 このように、20年経てば自分や家族のメンバーがいまと同じではないとは、誰でも知っている。
 ところが、そのときに社会全体がどうなっているかについては、はっきりとした見通しを持っていない人が多いのではないだろうか? いまと同じ社会が続くと、無意識のうちに考えてしまう場合が多い。
 つまり、自分と家族が歳をとるとは考えるが、社会が変化することは考えない。いまと同じ社会環境の中で、自分たちだけが歳をとっていくと考えてしまうのだ。
 数カ月後や数年後であれば、社会の状況がいまとあまり変わらないと考えても、大きな間違いはない。しかし、10年後、20年後となれば、そうはいかない。社会の基本的な構造が大きく変わってしまうことが、十分にありうる。
 いま多くの人が就いている職業は、なくなっているかもしれない。その半面で、いまでは想像もつかない新しい職業が登場しているかもしれない。
 退職したら、年金で生活できると考えている人が多いかもしれないが、そうした生活が実現できるかどうか、分からない。病気になったときに、医療保険がどれだけの給付をしてくれるかも、定かではない。いまとは事情が大きく変わる可能性もある。
 他方で、新しい医療技術が開発されて、いまは不治の病と考えられている病気が治可能になるかもしれない。
 だから、人生の長期計画を考えるにあたっては、日本と世界が将来どのような姿になっているかを予測する必要がある。専門分野や職業を選択する際には、こうした検討がきわめて重要な意味を持つ。

仕事の成果を上げるために、未来予測が不可欠
 企業が事業を進めるにあたっても、未来に関する的確な見通しは不可欠だ。現在の経済環境が続くと考えて、これまでの事業を続けるのではなく、未来の世界がいまとは違うことを的確に見通し、それを先取りすることが必要だ。
 未来の的確な見通しはいつの時代においても重要だが、技術革新のスピードが加速しているので、その重要性は、ますます強まった。ビジネスパーソンにとっては、未来の的確な見通しが、仕事の成果を決める。いまとは大きく違う環境の中で仕事をしているはずだからだ。
 日本の将来は、必ずしも明るいものではない。それは、人口の高齢化が避けられないからだ。これは、労働力の減少や社会保障負担の増加という形で、将来の日本人の生活に重くのしかかってくる。他方で、新しい技術が開発されて、われわれの生活を豊かにしてくれるだろう。
 10〜20年後の世界で、日本の地位はどうなっているだろうか? 世界をリードするのは、アメリカか中国か? あるいは別の国か?
日本の産業構造は、いまとどれほど違うものになるか? どのような新技術が利用できるのか? あるいは、期待されている技術が本当に実現できるのか?
 未来を覗ける水晶の玉がない以上、これらについて正確な情報を得るのは、不可能だ。しかし、さまざまな手法によっておおよその姿を摑むことは、不可能ではない。本書は、それによって未来を考える際の手助けになることを目的としている。対象とする時点はテーマによって差があるが、およそ10年後から20年後だ。

 遠い未来のほうが見通しやすい面もある
 10年後や20年後を考えると言うと、「明日のことさえ定かでないのに、そんなに遠い将来のことが分かるはずはない」と考える人がいるかもしれない。確かに、遠い将来になるほど、予測できない問題が多くなる。
 しかし、実は、逆の側面もある。これは、とくに経済的な問題について言えることだ。短期的な成長率は、さまざまな要因に影響される。例えば、金利や為替レートの変動によって、大きな影響を受ける。こうした要因は見通しにくいので、短期経済予測はなかなか的中しない。
 しかし、10年後、20年後という期間を考えれば、ランダムな変動は平均化され、長期的な趨勢だけが残る。その中には、かなり確実に予測できるものもある。その意味では、長期予測のほうが短期予測よりも確実な側面もある。つまり、10年後、20年後の経済の予測は、1年後の経済の予測より確実な面もあるのだ。本書が取り上げるのは、そのような側面だ。

 予測できない「重大な事態」が起こることもある
 長期の予測のほうが、短期より確かな面が多いと述べた。しかし、言うまでもないことだが、長期の予測が、あらゆる側面について可能であるわけではない。
 私は半世紀前に21世紀の日本を予測する本を書いたが、その時に頭の隅にもなかったのは、中国だ。中国の動向が日本に大きな影響を与えることになるとは、想像もしていなかった。私が想像しなかっただけでなく、世界のほとんどの人が想像しなかった。
 しかし、実際には、1980年代以降に500年の眠りから覚めて工業化にばく進し始めた中国が、日本の運命に決定的な影響を及ぼすことになった。
 これと同じようなことが、将来も起こらないとは言えない。それによって、将来の世界がここで描いたのとはまったく異なるものになってしまうこともありうるだろう。
 しかし、だからといって、未来を考えることに意味がないわけではない。変化が生じた時、できるだけ早くそれをキャッチし、それが従来描いていたシナリオにどのような影響を与えるかを考えるべきだ。
 こうしたことを行なうためには、基本となるシナリオを持っていることが必要だ。それを、新しい情報を取り込んで修正していくのである。本書が、そうした意味での基本シナリオとしての役割を果たせることを望んでいる。

 各章の構成
第1章では、将来の日本の経済成長率を考える。今後、年率1%の実質成長率を実現できるかどうかで、日本の将来は大きく変わる。例えば、社会保障の負担と受益を今後どのような水準に維持できるかは、成長率の違いでまったく異なるものになる。
 日本では、今後も高齢化が進むため、労働力が減少せざるをえない。だから、よほどの努力をしないと、1%の実質成長率の実現は難しい。
 人口の高齢化によって、労働力人口が減少する。そこで、技術進歩が経済成長を決める。とくに、デジタル化の推進が重要だ。これができれば、実質1%程度の成長ができる。ただし、2%の実質成長率は、難しいと考えられる。
 それにもかかわらず、日本政府の長期推計では、さしたる根拠なしに、今後、2%程度の実質成長率が想定されている場合が多い。これは、財政や社会保障制度が抱える深刻な問題を覆い隠す結果になっている。

 第2章では、未来の世界における日本の地位がどうなるかを見る。
 中国は、経済規模でアメリカを抜いて世界一の経済大国になる。インドは高い成長率を続け、日本を抜いて、アメリカと拮抗する経済規模になる。
日本の一人当たりGDPは、すでに台湾より低くなり、アメリカの半分以下になった。今後は、アメリカとの賃金格差が拡大する可能性がある。

 第3章では、社会保障の問題について論じる。将来予想される超高齢化社会では、医療や介護の問題が深刻化せざるをえない。
 医療・介護部門が膨張し、他の産業は縮小する。だから、通常の衣食住に関しては、われわれの生活は貧しくならざるをえない。

 医療・介護の問題はこのように深刻だが、医療技術の進歩が事態を改善してくれることが期待される。これが、第4章のテーマだ。未来の医療技術の4本の柱は、ナノマシーン、細胞療法、ゲノム編集、AIの応用だ。介護分野ではロボットの進化が期待される。また、メタバース医療も実現するだろう。

 第5章では、メタバースについて見る。メタバースの可能性は、エンターテインメントだけではない。メタバース内での経済取引が可能になる可能性がある。しかし、契約違反への対処や課税など、難しい問題が多数ある。そうした問題を回避できる利用法としていかなるものがあるかを考える。また、この章では、NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)について解説し、その重要性を評価する。

 第6章では、自動車関連の技術進歩を見る。「レベル5」と言われる完全自動運転が実現すれば、社会に大きな変化が生じ、われわれの生活環境は大きく変わるだろう。
 自動車は保有するものではなく、必要になったときに呼び出して使う無人タクシーになる可能性がある。そうなると、駐車場が不要になるので、都市の土地利用が大きく変わるだろう。また、EVへの転換が必要だが、雇用に与える影響など、さまざまな問題
がある。

 第7章のテーマは、エネルギー問題だ。ここでは、原発に頼らず脱炭素を実現できるか?という問題を考える。

 第8章では、以上で述べた以外の技術について見ることとする。まず、実現が容易でない技術として、どのようなものがあるかを見る。その代表が核融合発電だ。これが実用化されれば、エネルギー問題はほぼ解決と言えるのだが、少なくとも今後20年程度を見る限り、それを期待するのは無理なようだ。エネルギー関係では、早期の実現は難しいと考えられる技術が多い。未来予測は、SF小説を書くようにはいかないのだ。
 この章ではさらに、フードテックの可能性、量子コンピュータや量子暗号について述べる。

 第9章のテーマは、人材育成だ。将来に向けての成長に重要な役割を果たすべきデジタル化は、一向に進展しない。デジタル化を実現する基本は、人材の育成だ。ところが、日本の大学は、とくにコンピュータサイエンス分野で、世界に大きく立ち後れている。
 これまで日本企業が得意だったOJT方式は、この分野では機能しない。政府の「デジタル田園都市国家構想」でこの後れを取り戻せるかどうかは、大いに疑問だ。

 「おわりに」では、未来に対するわれわれの責任を改めて振り返る。

 2022年10月 
野口悠紀雄



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