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香りが呼びさます過去の世界

 「人間はすべてを覚えている?」で紹介したペンフィールドの実験のような「電気的な刺激」では怖いので、もう少し穏やかな刺激を考えてみましょう。
 その一つは、嗅覚です。匂いが再現されると、過去にそれを嗅いだときの感覚が、瞬間的に思い起こされることがあります。
 ダグラス・ハーマンも、『超記憶術」(土田光義訳、白揚社)の中で、匂いが過去をよみがえらせることを述べています。
 道を歩いていて、草いきれを嗅いだ瞬間に、何十年も前に田舎のあぜ道を歩いていたときの状況が突然よみがえる。あるいは、うがい薬や消毒薬の匂いを嗅いだ瞬間に、子供のときに風邪を引いて通った医院の様子を思い出す。診察室の様子も、髭を生やした先生の「はい、あーんして」という言葉も思い起こされるような気がします。それだけではなく、熱で不安になっていたそのときの感情も、胸が痛くなるほどはっきり思い出せることがあります。感情までが匂いとセットになってそのまま の形で保存されているのは、驚くべきことです。

 私の場合でいうとアメリカに留学したときの、カリフォルニアの空気と樹木の香りです。いずれも、すがすがしく快適な感覚と結びついています。
 
 匂いの刺激は、予告もなく突然襲ってきます。だから、過去の回想といっても、意図的なタイムトラベルというよりは、とまどうような急激なタイムスリップです。香りというのは、言語では説明しにくいものです。だから、人にも伝えがたい。しかし、さすがに詩人や文学者になると、繊細な感覚を見事に表現しています。

 三木露風の『静かなる六月の夜』という詩の中に、「われら、その小窓に添ひて、 影くらく層(かさ)なれる林を過ぎ、 かをりよき刈麦の中を出でて 、ひそかに彼の日記憶のあとをあゆみぬ」という一節があります(「記憶」は「おもいで」と読むのだと思います)。
 「ここで、「かをりよき刈麦」というところが重要です。夜の林を抜け出た瞬間に、刈麦の香りに包まれる。それがキーとなって追憶の世界が開かれ、過去にタイムスリップするのです。この言葉が短い詩の中に二度繰り返されていることをみても、いかに重要なキーであるかがわかります。
 もう一つ例をあげましょう。ヘルマン・ヘッセの小説『ナルチスとゴルトムント』の冒頭に、マリアブロン修道院(この物語の舞台)の入り口にある栗の木の描写があります。
「夏のもっとも短い夜の続くころ、やっと小さな葉のあいだから、その異国風の花を、くすんだうす緑の光のようにさしのぞかせたが、それはなにかをしきりに思い出させるような、息苦しいほどつんとくる匂いを放っていた」という箇所です(注)。
何かをしきりに思い出させる」という感情は、植物(特に樹木)の香りでしばしば経験します。具体的な事柄などは思い出せないのですが、感情だけが強烈に思い出せるのです。これは、一年中いつでもというわけではなく、やはり夏の夕方に一番強く感じられるように思います。

 肌が感じる気温も、嗅覚と同じように過去の記憶を呼びさますことがあります。私は、盛夏に異常に涼しい日があると、イギリスを思い出します(イギリスの夏は、日本に比べてずっと気温が低く、夏のドライブで、車のヒーターーをつけることもあります)。
 暑苦しい夏が終わって、秋風が吹き始めるときのほっとした感じも、昔を思い起こさせます。しかし、エアコンが普及して一年中同じような温度の中で暮らすようになると、温度感覚が過去の経験と結びつく機会は少なくなりました。

(注) 西義之訳、岩波文庫。余談ですが、邦訳で6つの文章によって表現されている冒頭の描写(ほぼ1ページ)が、ドイツ語の原文では一つ文章です。ここで描写されている「カスタニエン・バオム ein Kastanienbaum」の街路樹を、秋のハンブルクで見たことがあります。これは、日本の栗の木とは少し違うもののように思います。

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