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『円安と補助金で自壊する日本』:全文公開 第3章の5

『円安と補助金で自壊する日本』 (ビジネス社)が9月26日に刊行されました。
これは、第3章の5全文公開です。

5 日銀金利抑制策の末期症状 
 

まだ続くヘッジファンドの攻撃

 本章の3で述べたように、2022年6月17日の日本銀行政策決定会合直前に、海外ファンドによる国債の先物売りが急増した。
 日銀が必死で応戦したが、国債先物市場でサーキットブレイカーが発動されたり、現物価格と先物価格の裁定が成立しないなどの異常事態が起きた。市場が大混乱に陥り、国債市場が機能喪失状態になった。
 財務省が発表した22年6月12~18日の「対外及び対内証券売買契約等の状況」によると、対内中長期債投資は4・8兆円の売り越しとなった。05 年1月の統計開始以来、最大の売り越しだ。
 ところで、ヘッジファンドの攻撃は6月で終わりになったわけではない。攻防が再び繰り広げられる可能性がある。

整合的でない政策を続ければ、矛盾が拡大する

 22年になって世界の金利が上昇するなかで、日銀が長期金利を抑え込んでいるので、諸外国、とくにアメリカとの間で金利差が拡大している。このため、「円で資金調達をしてドルで運用する」という取引(円キャリー取引)が増大し、円安を加速している。
 日銀はこの状況を継続することはできず、いずれ世界の大勢に応じて長期金利を引き上げざるを得ないだろうと、投機筋は読んでいる。そこで国債の先物売りを行う。これは、現時点で決めた価格(先物価格)で、将来のある時点で国債を売却する契約だ。
 仮に受け渡し時点において金利が高くなっていれば、つまり、その時点で国債価格が下がっていれば、安く買って高く売ることができるので、利益が発生する。
 投機筋は、なぜ日銀がイールドカーブ・コントロールを維持できないと考えているのか?
 金利を抑え続ければ、内外金利差が拡大し、円安がさらに進む。物価高騰が加速し、国民生活が困窮する。企業にとっても原材料価格の転嫁ができないので、利益が減る。このため、企業の立場からも、円安を抑える必要性がある。
 実際、政府は物価上昇が望ましくないとしている。そして、物価対策を講じている。
 ところが、その大きな原因である円安を放置している。これは、整合性のない政策だ。
 もし物価上昇がよくないというのであれば、円安を抑制すべきだ。
 逆に、円安を放置してよいというのであれば、「物価上昇は一時的なものに過ぎないから、我慢しろ」と国民を説得しなければならない。どちらかでなければ、整合的な政策にはならない。
 政府は物価高騰が望ましくないとしているのに、なぜ日銀は円安を抑制するために金利上昇を容認しないのか?
「金利上昇を認めると、企業活動や財政資金の調達に支障が生じる」といわれているのだが、納得できる理由とは考えられない。日銀が政策転換をしないのは、 第4章で述べるように、「金利上昇を認めると、日銀が債務超過に陥るから」としか考えようがない。
 こうして現在の日本の経済政策は、整合的でないものになっている。そして、整合的でない政策は、合理的ではない。だから海外の投機筋は、日本の金融政策はいつか変更を余儀なくされると見ているのだ。

金融緩和を継続しても変更しても、投機筋に利益を与える

 日銀が政策を変更すると、先物売りを仕掛けている投機筋に利益を与えることになる。「これは望ましくないから、いまの政策を堅持すべきだ」といえるだろうか?
 そうはいえない。なぜなら、金融抑圧政策を維持し続ければ、円キャリーという別のタイプの投機に利益を与えるからだ。これは、本来であればリスクの高い投機なのだが、日銀が「金利を上げない」と保証しているために、ほぼ確実に利益が得られる取引になっている。
 つまり、いま日銀は2つのタイプの投機に挟撃されているわけだ。そして、低金利を継続すれば円キャリー投機に利益を与えることとなり、金利上昇を容認すれば、国債先物売り投機に利益を与えることになる。

金利抑制策をとり続けたから、問題が拡大した

 もし日銀がもっと早い時点で他国に歩調を合わせて金利引き上げを行っていたなら、右に述べたいずれの投機も発生しなかっただろう。
 仮に2022年の初め頃に金利を徐々に引き上げたのであれば、対処はもっと容易だったはずだ。その段階で対処していれば、円安が続くという期待はなくなるから、円キャリーはなくなる。また、政策変更が小規模で済むので、国債先物売りの利益もそれほど大きくはない。
 こうした調整を続けることによって、投機筋に巨額の利益を与えることなく、徐々に政策を変化させていけたはずだ。
 世界の大勢に反して頑なに金利抑制策をとり続け、諸外国との金利差が非常に大きく開いてしまったので、どちらに転んでも投機に巨額の利益を与える結果となった。
 喩えていえば、木登りをしていて、間違った樹に登ってしまったようなものだ。低いうちなら別の樹に移るのも可能だった。しかし、高いところまで来てしまったので、別の樹に移るのは簡単ではない。だからといってこのまま登り続けたところで、成果が得られるわけではない。非常に高いところまで登ってしまったために、このような問題に直面するのだ。そして、問題は、時間が経つほど深刻さを増す。


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