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「ご理解とご協力をお願いします」

 「その結果、」と書くべき(言うべき)ところを、「結果、」とだけ書く(言う)のが、このところ目につくようになった。ここ数年の変化だと思う。
 最近では、大新聞紙面にも堂々と表われている。数年前であれば、間違いなく校閲で撥ねられていた表現だ。

 名詞の副詞的使用は、他にもある。例えば、「挙句の果て」と言うべきところを「挙句」とだけ書く。
 このような表現は、文章全体の品格を落すものだ。それが平気で使われているのは、日本人の言語感覚が麻痺していることを意味するわけで、恐ろしいことだと思う。
 「その結果、」を「結果、」と書けば、印刷費や紙代は節約されるから、SDGs(持続可能な開発目標)の観点から言えば、望ましいことかもしれない。しかし、それほどまでに節約する必要があるのだろうか?昔、中国の皇帝は、オリンピックの100メートル競走で世界記録が0. 1秒縮まったという報告を臣下から受けて、「して、その0.1秒を何に使うのか?」と尋ねたそうである。いまの日本には、このようなことを言う人がいなくなってしまった。

 この逆もある。駅で毎日のように聞く、「ご理解とご協力をお願いします」という表現だ。
 「ご協力をお願いします」とだけ言えば良いものを、なぜ「ご理解と」と付け加えるのだろうか?
 このように言う心理的な背景として、「あなた方は理解していないようだが、正しいのはこのことなので、」と考えていることが透けて見える。それが見えるために、聞いていて不愉快になる・・・と、いつも思っていたところ、先日の国会では、ついに一国の総理大臣がこの表現を用いた。

 コンビニエンスストアの会計で、250円の商品を買って1万円札を出すと、「1万円からでよろしいでしょうか?」と聞かれる。これはどういう意味なのだろうか?
 1万円札を出しているのだから、「釣りを9750円ほしい」ということは、別に言葉に出さなくても明らかだ。1万円札を受け取ったということを確認したいのであれば、「1万円札をいただきました」と言えば良い。「からでよろしいでしょうか?」が付け加わっているのは、「 9750円もの釣りを用意するのは面倒だ。せめて千円札にしてほしい。こんな少額の買い物で1万円札を出すのはやめてほしい」と非難しているように聞こえる。
 何でこんな妙な表現が付け加わるのか、いつも不思議に思っている。少なくとも、客に不快感を与える表現であることは間違いない。
(補足:250円の買い物で1万円札を出すのがよくないとは、もちろん反省しています)

小言幸兵衛の日記




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