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『日銀の責任』低金利日本からの脱却                  全文公開:はじめに

『日銀の責任 』低金利日本からの脱却 (PHP新書)が4月27日に刊行されました。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに

 日本銀行は、2013年4月に大規模な金融緩和政策を開始した。その年の1月に、私は『金融緩和で日本は破綻する』(ダイヤモンド社)という書籍を上梓した。そこでは、大規模な金融緩和を行なっても、日本銀行が目標とする2%のインフレ目標は実現できないこと、日本経済の活性化は金融政策では実現できず、構造改革によってしか達成できないことを指摘した。
 『金融政策の死』(日本経済新聞出版社、2014年)、『円安待望論の罠』(日本経済新聞出版社、2016年)、『異次元緩和の終焉』(日本経済新聞出版社、2017年)においても、同様の主張を行なった。
 日銀は2%のインフレ目標を2年間で達成するとしたが、達成できなかった。それどころか、2021年まで9年間かけても達成できなかった。ところが、2022年に海外からインフレが輸入されると、インフレ率は4%を超えた。しかし、賃金が追いつかないため、実質賃金が低下した。これは、そもそも物価上昇率を政策目標とするのが適切ではないことを、はっきりと示すものだ。
 より重要なのは、大規模金融緩和が開始されてから10年の間に、日本経済が活性化することはなく、日本の国際的地位が著しく低下したことだ。日本の一人当たりGDPは、2012年にはアメリカと大差なかったが、いまは半分以下に落ち込んだ。韓国、台湾の一人当たりGDPは日本の半分程度だったが、2022年に台湾は日本を抜いた(第4章の4を参照)。韓国に抜かれるのも時間の問題だ。
 日本は、誤った政策によって貴重な10年間を無駄にした。いま日本は、約50年間続いた先進国の地位から滑り落ちようとしている。
 2023年4月、日銀の総裁に植田和男氏が就任した。これから新しい金融政策の時代が始まる。どのような方向を目指すにしても、過去10年間の金融緩和政策がなぜ日本経済を活性化できなかったのか、また、物価上昇率という目標が正しいものであったのか否かを、まず検証する必要がある。そして、現在の日本の状況を正しく把握し、未来に向けて金融政策がいかなる役割を果たすべきかを考える必要がある。

日本は危機的な状況にある
 日本の賃金水準が国際的に見て低くなってしまったこと、日本企業の生産性が低下の一途を辿っていることなどは、これまでも問題とされてきた。
 2022年に日本を襲った物価高騰と円安によって、この問題が極めて明確な形で表れた。円安が急速に進んだため、日本と海外の賃金の格差はさらに開いた。もはや日本は外国人にとって魅力のある仕事の場ではなくなってきており、そのことがさまざまな面に表れている。
 この問題への対処は、一刻の猶予も許されない焦眉の課題だ。輸入物価高騰の原因の半分程度は円安によるものであり、円安は日本の金融緩和政策によってもたらされているものだから、現在の状況に対処するためにまず必要なのは、金融緩和政策を見直すことだ。それにもかかわらず、日本銀行は、2022年12月まで、金融政策を全く見直そうとしなかった。
 金利を引き上げると、景気に悪影響が及ぶからだと説明された。しかし、大企業が円安によって記録的な利益を享受しているのに対して、零細企業は原価高騰を売上に転嫁できずに、破滅的な状況に陥っている。景気を維持するとは、このような状態を是とし、それを継続するということなのだろうか?
 それは一部の豊かな人たちをさらに豊かにする結果にしかならないのではないだろうか? 一般にインフレは、弱者に対して不利に働くことが多いのだが、いまの日本でも、それが明確な形で進行している。
 それにもかかわらず、国民から、あるいは野党から、このような政策に対して反対の声が起こらない。これも不思議なことだ。
 本書の目的は、日本がなぜこのような状況に陥ったかを分析し、ここから脱出するために何が必要かを明らかにすることだ。そうした分析の上に、低金利時代から脱却した金融政策がいかに運用されるべきかを明らかにしたい。

本書の概要
 以下、本書では、つぎのような議論を展開する。
 第1章と第2章で、日本経済の現状を見る。
 第1章では、日本企業の競争力が著しく低下したこと、とくにデジタル分野での立ち遅れが著しいことを見る。
 第2章では、2022年に日本を襲った円安と物価高騰がもたらした実態を見る。大企業を中心とする企業の利益は記録的な水準を実現したが、賃金が上がらないために消費者の生活が困窮した。
 第3章と第4章とでは、こうした結果をもたらした原因を見る。第3章では長期的な観点から検討する。中国の工業化に日本が安売り戦略で対処しようとしたこと、そして、2000年代頃からの円安政策が日本企業の生産性向上を妨げたことを指摘する。
 第4章では、2013年以降のアベノミクスと大規模金融緩和政策を検討し、異次元緩和が矛盾を含む政策であったことを指摘する。
 第5章から第7章では、金融緩和政策が行き詰まっていることを指摘し、そこからの脱却が必要であることを指摘する。
 第5章では、2022年の急激な円安がなぜ生じたかを見る。問題は、世界的なインフレに対処するため各国の中央銀行が利上げを行なったにもかかわらず、日銀が金融緩和を続けたことだ。
 第6章では、金融政策で円安を進め、その結果生じる物価高騰に対して政府が物価対策を講じるのは矛盾した政策であることを指摘する。
 第7章においては、長期金利のコントロールが行き詰まって、国債市場に大きな歪みがもたらされたことを指摘する。2022年12月、日銀は、市場の圧力に屈して金融緩和政策の修正に追い込まれた。
 第8章では、大規模金融緩和から脱却したあとの日本経済の姿を展望する。ここで強調したいのは、仮に物価高騰や円安が収まるとしても、日本の生産性の低さ、それによる賃金停滞の問題は残るということだ。
 第9章においては、新しい金融政策への提言を行なう。2023年4月に発足した日銀新体制が、中央銀行の本来の使命である通貨価値の維持に戻ることを期待したい。
                     2023年4月 野口悠紀雄



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