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『83歳、いま何より勉強が楽しい』  全文公開:第1章の2

『83歳、いま何より勉強が楽しい』(サンマーク出版)が4月5日に刊行されました。
これは、第1章の2全文公開です。

2.なぜ「勉強は辛い」と考えるのか?

  受験勉強は辛いものだった

 勉強は本来、楽しいものです。それまで別々に捉えていた事柄が一つの法則で理解できるのは、大変楽しいことです。新しい知的発見に胸をときめかせるのは、人間の本性です。楽しさを軸に勉強を捉えたら、必要に迫られずとも、人は自ら進んで学びます。 第2章の3で述べるように、人間は本能的に勉強を楽しいものと考えるはずなのです。
 それにもかかわらず、世の中には、勉強を面白いと思わない人がたくさんいます。正確に言えば、「勉強は辛いもの。だから、勉強は嫌い」と考えている人が大部分です。なぜ多くの人々は勉強が嫌いなのでしょうか?
 第1の原因は、受験勉強でしょう。受験の場合には、合格できるかどうか、常に不安にさいなまれています。そして、不合格になった場合には大変辛いことになります。だから、勉強が辛いものだという考えになっても、やむをえません。
 しかし、シニアの勉強の場合は、そうした問題がありません。勉強が楽しいということが、そのままの形で現れます。
 シニアにとって勉強の制約は、残り時間が少ないことだけです。身体の衰えはデジタル技術が補ってくれます(第8章参照)。第3章で述べるように、物忘れは勉強の障害になりません。ぜひ好奇心を持って、自分の興味のあることを追求してください。

  楽しさを教えることこそ教師の役割なのだが

「勉強が辛いものだ」と考えられる第2の原因は、学校の教師にあります。教師が、勉強の楽しさを教えてくれなかったのです。「勉強が嫌い」と言っている人の大部分は、勉強の面白さを知る機会に恵まれなかった人たちです。
 勉強の面白さを学生や生徒に教えるのは、教師の最大の役目です。教師が果たすべき役割のうち、勉強の楽しさを伝えることに比べれば、知識そのものを教える重要性は、二義的だといってもよいくらいです。そして、ChatGPTなどの新しい手段によって知識の獲得はますます容易になっているので、この傾向はより強くなっています。
 それほど重要な役割であるのに、それを果たしていない教師が多いのは、大きな問題です。私自身も、残念ながら、物理学や数学の面白さを教えてくれる教師に出会いませんでした。数学嫌いを大量に生産してしまったのは、学校の数学教師の責任です。
 勉強の楽しさを教師が教えられないのは、彼ら自身が勉強の楽しさを知らないからでしょう。もし知っていれば、それを生徒に伝えたくなるはずです。その気持ちは、確実に生徒に伝わります。
 私は教えることが好きですが、それは、知識を学生に伝えたいからではありません。それよりも、「私が教えている内容はこんなに面白い」と学生に伝えたいからです。そして、それを学生が知って驚くのを見たいからです。私が一番聞きたい反応は、「こんなことだったとは知りませんでした。目からうろこが落ちました。驚きです」というものです。
 私は、大学4年生のときに、公務員試験の経済職に挑戦することを考え、経済学を独学で勉強しました(第7章の6参照)。その後、大蔵省からアメリカに留学し、経済学の面白さに夢中になりました。それを教えてくれたのは、私の先生のヤコブ・マルシャック教授です(マルシャックは、計量経済学や数理経済学の創始者の一人。彼の弟子には、ノーベル経済学賞受賞者が何人もいます)。

  勉強したくとも、それができなかった

 人々が勉強を楽しくないと思う第3の理由は、(やや逆説的と思われるかもしれませんが)、勉強することに制約がなくなってしまったことです。かつての日本社会では、親から勉強を強制されることは少なく、むしろ制約されることの方が多かったのです。
 進学時に、経済的なハードルを越えられずに断念した友人が大勢います。私の世代では、経済的な理由で進学できない人が多くいました(1965年の大学進学率は、10%程度でした)。この頃の社会では、親の仕事を手伝うことや、親の家業を継ぐことが普通でした(少なくとも長男である場合には)。家の手伝いをすると褒められますが、勉強するだけで褒められるわけではありませんでした。
 また、「女の子には勉強はいらない」「女の子は大学に行く必要はない」というのはごく一般的な考えでした。だから、 能力があってもそれを十分に発揮できずにいた女性は非常に多いのです。
 勉強したくても勉強することができなかった人たちは、親に隠れて勉強したものです。制約されたからこそ、勉強の楽しさを実感できたのです。私は大学院まで進学できましたが、それは就職後のことでした。そして、それは、いくつかの幸運が重なった結果でした。

  恵まれすぎた世代の悲劇 

 日本社会は、1960~70年代ごろを境にして、大きく変わりました。経済的に豊かになったため、勉強を続けることの経済的な制約はほとんどなくなったのです。 そのため、「勉強が特権である」という意識は薄れました。しかし、今度は、親が子供に勉強を強制するようになったのです。
 ところが、子供たちは、まだ勉強の楽しさを知りません。遊ぶことで好奇心を育てる方が大切です。それにもかかわらず、遊びを制限して、家で勉強をさせ、塾に通わせました。勉強を強制されると、楽しくは思えません。だから、勉強から逃げたいと思うのは当然です。この結果、子供たちが勉強を嫌うようになりました。勉強の楽しさを知らない世代の人々を、私は哀れに思っています。


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