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『AI時代の「超」発想法』 第8章 「超」発想法の基本5法則(その1)

『AI時代の「超」発想法』が2019年9月19日にPHP出版社から刊行されます。これは、その第8章 「超」発想法の基本5原則(その1)です。

この章では、本書でこれまで述べてきたことを「発想に関する5つの法則」としてまとめてみましょう。

発想に関する基本5法則

◇ 第1法則 模倣なくして創造なし
「発想や創造は、これまで存在しなかったものを新たに生み出すことだ」というのが常識的な考えです。「模倣を排して創造をめざせ」という類のスローガンが、それを表わしています。
「超」発想法の基本法則は、この常識を否定します。何もないところに新しいアイディアが忽然と誕生することはないのです。インスピレーションが天から突然降ってくるというようなことはありません。
新しいアイディアは、すでに存在しているアイディアの新しい組み合わせや組み替えで生じます。この意味で、どんなに独創的に見えるものも、すでにあるものの改良なのです。商品名やCMのコピーについて、これは明らかです。新事業や新製品の大部分も、従来から存在しているものの組み替えや変形です。

学問で「新理論」といわれるもののほとんども、それまでにあった研究の改良です。例えば、「コペルニクス的転回」といわれる地動説も、ニコラウス・コペルニクスの独創ではなく、彼がクラコフでの学生時代に聞いたマルシリオ・フィチーノの太陽論がもとになっています。
物理学者のリチャード・ファインマンはいいます。「科学的創造性とは、拘束衣を着た創造力である」。物理学者のクラウスは言います。「物理学の進歩は『創造的剽窃行為』によって成し遂げられた」。
信じられぬほどの独創性を発揮した天才数学者エヴァリスト・ガロアも、「創造は先駆者の業績に源泉がある」といっています。ゲーテをして「誰にも真似ができない。なぜなら、人間をからかうために悪魔が作ったものだから」といわしめたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの音楽でさえ、その出発点は完全な模倣だったのです。
経済学の新しい理論の多くも、昔からあるもののリバイバルや再構築です。例えば、金融工学における画期的な業績であるブラック=ショールズのオプション価格理論も、物理学で研究されたブラウン運動や熱伝導理論の応用です。
これだけ例をあげても、この法則への反対意見があるでしょう。「真の創造とは、組み合わせなどではない。それは崇高な知的営みだ」という意見です。
しかし、こうした考えは、人々を発想という作業から遠ざけるものです。この立場に立てば、「創造という高級な知的活動には、普通の人は近づけない」ということになります。実際、多くの人が、「発想など自分には関係ない。能力ある人々だけに許された神聖な領域だ」と考え、しりごみしてしまっています。
しかし、これは、大きな誤解なのです。発想は、一部の人だけに許された特権ではありません。これこそが、この第1法則の最も重要な意味です。

ポイント 発想は、すでにあるアイディアの組み替えで生じる。科学上の発見は、「創造的剽窃行為」。発想は、
 一部の天才の独占物ではない。

* J・W・ヤングも、発想に関する古典的名著『アイデアのつくり方』の中で、これと全く同じことをいっています。
*2 ゲーテの言葉は、エッカーマン(山下肇訳)『ゲーテとの対話(上・中・下)』(岩波文庫、1968〜1969年)による。

◇ 第2法則 アイディアの組み替えは、頭の中で行なわれる
すべての思考は頭の中で行なわれるので、これは自明の命題と思われるかもしれません。しかし、必ずしもそうではありません。
なぜなら、多くの人は、「アイディアの組み合わせは、カードや発想マニュアルなどの外部的な補助手段の活用で生み出される」と考えているからです。そして、そのような手法が、一般に「発想法」だと考えられています。
「超」発想法の第2法則は、発想マニュアル的な考えを否定します。「組み合わせ」といっても、可能な数は、膨大になります。ですから、発想の過程で必要なのは、新しい組み合わせを機械的に作ったり、それらをいちいち点検したりすることではなく、むしろ多数の組み合わせのうちから無意味なものを排除することなのです。
これは、頭の中の作業です。「頭脳は、不必要な組み合わせや意味のない組み合わせを自動的に排除する能力をもっている」とポアンカレはいいます。カードで組み合わせを試みれば、無意味なものをも扱わなければならなくなります。つまり、頭の中で効率的にできることを、わざわざ非効率的にしているのです。
カードや発想マニュアルなどの補助手段は、仮に役立つことがあるとしても、あくまでも補助手段であることを認識する必要があります。
それに、発想のための基本的な方法論は、すでに学校の勉強や日常生活、あるいは遊びを通じて習得しています。ですから、格別新しい発想法を学ぶ必要はないのです。そして、方法論ばかりを意識していては、アイディアは浮かびません。手段だけに気を取られると、肝心の発想作業がおろそかになります。この意味では、マニュアル的発想法にこだわるのは、発想の障害になるといえるでしょう。

ポイント 膨大な数の組み合わせから意味あるものを抜き出す作業は、頭の中でやるしかない。だから、カードや発想マニュアルなどは補助手段でしかありえない。

◇ 第3法則 データを頭に詰め込む作業(勉強)がまず必要
頭の中に何もなければ新しいものは生まれないのですから、まずデータが頭の中に存在していなければなりません。そのためには、材料を仕込まなければなりません。マニュアル的な方法論にこだわるよりは、データの入力が重要です。つまり、「勉強」が必要なのです。
アイディアは過去に学んだ知識の組み合わせから生じるとすれば、知識が多い人ほど、新しい組み合わせを見出す可能性が高まるはずです。
「発想は新しいものを生み出すこと」と考える人は、この過程を軽視しがちです。しかし、勉強のないところから生まれるのは、独善的なドグマでしかありません。「発想法を学べば、勉強という苦労をしないでアイディアが得られる」と思っている人もいます。しかし、これは大きな勘違いです。
旧ソ連の物理学者A・B・ミグダルは、著書の中で、「偽りの大発見の見分け方」をいくつか挙げています。その中に、「その論文の著者は、問題となっている課題について専門教育を受けていない。同時代の科学上の著作を正確にきちんと引用しておらず、それほど事情に通じていない」という記述があります。
これは、私自身も、しばしば実感することです。「経済学のこれまでの理論はすべて誤り。それを克服する基本大原則を発見した」という類のものがあります。しかし、これらは例外なく、基礎的な勉強を怠ったことから生じるドグマなのです。そのことについては、古くから専門的な議論が行なわれているにもかかわらず、全く知らないだけです。
経済学者のポール・サミュエルソンは、『経済分析の基礎』の日本語版への序文の中で、つぎのように述べています。

当時わたくしはどの経済学の専門雑誌を購読しているかと問われたことがある。わたくしとしては全部読んでいると答えるほかはなかった。(中略)他人の研究を読まないことによってのみ独創的である人もいるが、これはしばしば見せかけの独創性であり、シュンペーターが〈主観的独創性〉と皮肉って呼んでいたところのものである。(中略)他人の業績におかまいなく、毎朝彼自身の車輪の発明にでかけるものは、自分の車を発達させるどころか、ついには虚栄心だけを発達させることになってしまう。

第3法則の観点からすると、「創造性教育の出発点は、詰め込み教育でならなければならない」という結論が導かれます。これは、一般常識と大きく異なるものです。

ポイント 発想のためには、関連の情報や知識が必要。だから、知識が多い人ほど、新しい組み合わせを見出す可能性が高まる。

* A・B・ミグダル(長田好弘訳)『理系のための独創的発想法』、東京図書、1992年。
*2 P・サミュエルソン(佐藤隆三訳)『経済分析の基礎』、勁草書房、1967年。

◇ 第4法則 環境が発想を左右する
知的活動は、環境条件によって大きく左右されます。アイディアが出やすい環境と、出にくい環境とがあるのです。
周りに知的な人々がおり、気楽に集まって議論できるような環境は、発想には理想的なものです。それに加えて、生活環境の中に快適な散歩道があれば、素晴らしいアイディアが誕生する確率が高くなります。つねに知的な課題に挑戦しており、必要なときにはいくらでも集中できるような仕事環境にいる人は、創造的な業績を生み出す可能性が高いでしょう。
発想が浮かびやすい環境を作るのは、大変重要なことです。そして、そうした環境を整えることは、努力すれば、多くの場合に可能なことです。とくに、大学や研究機関では、こうした研究環境を整えることが決定的に重要です。企業でも、アイディアの重要性が高まることを考えれば、このような環境を整えることが必要になります。

これとは逆に、発想の妨げになるような環境を指摘することもできます。例えば、人との面会で朝から晩まで予定表が埋まっていたり、毎日こま切れの事務案件と格闘せねばならないようでは、新しい発想は生み出せないでしょう。あるいは、テレビ漬けの生活からも、新しい発想が生まれるとは思えません。また、個人が発想の意欲に燃えていても、組織がそれを潰してしまうようでは、優れた発想も現実に生かされません。このような組織に長くいると、やがて個人の発想力もしぼんでしまうでしょう。
これに限らず、われわれの周りには、発想の邪魔になる環境や要因が沢山あります。もし本当に発想が必要と思えば、こうしたものは排除すべきです。これは、実際には非常に重要なことです。

ポイント 周りに知的な人々がいること、知的な課題に挑戦していること、集中できること、などが発想のために重要。


◇ 第5法則 強いモチベーションが必要
以上の法則にしたがうと、発想のために必要なのは、第一にデータ入力としての勉強であり、第二に適切な環境の整備です。しかし、これで十分かといえば、そうではありません。
のんびり待っていても、アイディアはやってきません。発想は、宝くじの当選を寝て待つこととは違うのです。積極的に求め、挑戦しなければ、何事も起こりません。しかも、時間さえかければ結果が生まれるというわけでもありません。真剣にならなければ、決して成果は生まれません。
そして、必要性がなければ人間は真剣になりません。ですから、どうしても何かを生み出したいという、強いインセンティブとモチベーションがなければなりません。そうでなければ、寝食を忘れて仕事に没頭する状態にはならないでしょう。
どんな仕事においてもインセンティブやモチベーションは重要ですが、知的作業においては、とくに重要なことです。
この意味で、「必要は発明の母」です。必死になって考えたから、発明が出てきたのです。ここでいう「必要」は、広く解釈すれば、名誉欲でもよいし、金銭欲でもよい。あるいは、単なる好奇心でもよいでしょう。実際、科学的発見の多くは、研究者の純粋な好奇心から生まれています。多くの場合、強い好奇心は、発想を生み出す最大の原動力です。

ポイント 「どうしても何かを生み出したい」という強いインセンティブとモチベーションが必要。








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